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  • 第173号【好評開催中!長崎ランタンフェスティバル】

    先週「大寒」の日、この冬一番といわれる寒波が来て長崎は大雪に見舞われました。その翌日、雪景色の中「2004ランタンフェスティバル」は開幕。真っ白な雪に1万2千個にも及ぶランタンの光が映えてとてもきれい。寒い中にも関わらず、大勢の市民や観光客が光輝く街へと繰り出しました。(^▽^″)前々回のコラムでもご紹介しましたが、近年長崎の冬を彩る一大イベントとなったこのフェスティバルは、中国のお正月を祝う「春節祭」が発展したもの。約2週間行われ、今年は2月5日まで開催されます。開幕してから今日でちょうど1週間経ちましたが、連日ランタンが飾られた街(新地中華街や浜町が中心)は大勢の人出で賑わっています。異国情緒たっぷりの赤や黄の光の下を歩けば、冴えざえとした寒さの中でも、心が温もってくるから不思議です。メイン会場の湊公園会場(新地中華街そば)と、中央公園会場(メルカつきまちそば)では毎日、中国雑技、胡弓演奏、龍踊りなどが行われ、観客を飽きさせません。極彩色の衣装に、大きな目に長いまつげの可愛い顔をした中国獅子舞の躍動感あふれる演技もお見逃しなく。祭りの楽しみといえば出店ですが、昔懐かしいハトシ(※コラム100号参照)、鯨カツ(※鯨肉を揚げたもの)、桃カステラ、角煮まんじゅうなど長崎ならではの味を楽しめる出店が軒を連ね、観光客だけでなく地元の人にも喜ばれています。唐寺の崇福寺(そうふくじ:鍛冶屋町)、興福寺(こうふくじ:寺町)もランタンが飾られています。崇福寺には大雄宝殿や第一峰門といった国宝をはじめ重要文化財や史跡などがたくさんあります。興福寺は、広い境内と赤寺の雰囲気が日本のお寺とはまた違ったおおらかな大陸の趣きが感じられるお寺です。フェスティバル開催中は、それぞれ17時以降入場無料ですので(21時閉門)、この機会に訪れてみませんか?イベントで賑わう湊公園会場から徒歩5分ほどのところに、唐人屋敷会場があります。ここは江戸時代に中国人の居住地域だったところで、土神堂(どしんどう)、天后堂(てんこどう)、観音堂(かんのんどう)、福建会館天后堂(ふっけんかいかんてんこどう)など中国由来のお堂があります。この4つのお堂を全部巡って赤いロウソクをお供えすると良縁に恵まれ、夢がかなうといわれているそうですよ。あなたもぜひ、お出かけ下さい!

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  • 第172号【長崎の冬の魚~ナマコほか~】

    三方を美しい海に囲まれ、東シナ海、五島灘、対馬海峡など好漁場に恵まれた長崎県。4、200キロメートルに及ぶ海岸線には、100を超える漁港が点在し、長崎人の食卓に新鮮でおいしい魚を届けてくれています。(^▽^)冬場のこの時期、長崎の食卓に登場するのが、「ナマコ」です。体長20~30センチ。円筒状でヌメヌメとした姿はたいへん個性的です。腹をひらいて、わたを抜き、塩でもんだあとよく洗って小口切。そして酢醤油などでいただくナマコのの酢のものは長崎のお正月料理として欠かせない一品でもあります。わが家では、深めの中皿にたっぷり盛り、ダイコンおろしを加えポン酢でいただきます。ヌルリと口に入ってきて、噛めばコリコリ。今でこそおいしいと思える食感ですが、子供のころはヘンな食べ物だとしか思えず、親に「ナマコは腸の掃除をしてくれるから食べなさい」とよく言われたことを覚えています。長崎では大村湾で採れる「大村ナマコ」が有名です。昔からやわらかくて味がいいことで知られていました。ところで江戸時代、長崎から中国へ干鮑(ほしあわび)、煎海鼠(いりこ)、鱶鰭(ふかのひれ)など数種類の水産物が輸出されていたのですが(それらは俵づくりで運んだため、「俵物」と呼ばれた)、その中の煎海鼠というのが、何を隠そう、ナマコを乾燥させたもので、中国料理の貴重な食材のひとつなのです。大村ナマコは煎海鼠としておおいに輸出されたそうです。(□□)/海鼠(ナマコ)季節的に鍋料理を囲む機会が多いですが、長崎名物「アラ鍋」を食べたことはありますか?「アラ」とは長崎地方での呼び名で、本名は「クエ」という魚です。ハタ科で体に数本の帯状の模様があり、大きいものでは1メートル近くになるとか。この魚は、「超」がつくほどの高級魚で、市場から直接、料亭や料理屋へ行ってしまうのでしょう、スーパーの鮮魚コーナーや魚屋さんでもなかなか見かける機会が少ないのです。アラ鍋では、脂ののった白身をホクホクさせながらいただきます。アラは本当に美味な魚で、地方を巡業する力士たちは九州に来たとき、アラを使ったちゃんこ鍋を楽しみにしているのだそうです。この他、一年中出回っている魚ですが「タチウオ」もおいしいです。対馬の方では冬から春にかけてしっぽまでしっかり身のついた大型のタチウオが捕れ、「銀太(ぎんた)」のブランド名で出回っています。あなたの町で銀太を見かけたらぜひ、食べてみてくださいね。

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  • 第171号【長崎の冬の風物詩、長崎ランタンフェスティバル】

    「スローライフ」へ関心を抱くナチュラル志向の人々の間で、今、旧暦カレンダーが注目されているそうです。旧暦とは、古く中国の暦をもとに、太陽と月の運行のリズムに合わせて日本独自に改良を加えたもの。そこに記された冬至、小寒、大寒、立春、雨水、啓蟄、春分などの二十四節気は今でも季節を知る目安として利用されています。旧暦には自然のリズムを大切にする「スローライフ」の知恵がたくさんつまっているのです。長崎の冬を彩る一大イベント、「長崎ランタンフェスティバル」は中国の旧正月を祝う祭(春節祭)。毎年、旧暦の元旦から1月15日に行われており、今年は1/22~2/5まで開催します。年によって開催時期が異なるのは(H14年は2/12~2/26、H15年は2/1~2/15)、旧暦は1年の長さが353日~385日まで変化するので、毎年の日付と季節にズレが生じるためです。期間中には雪が降ることもあり、春と呼ぶにはまだ早い気がしますが、1万2千個にも及ぶランタン(中国堤灯)が飾られた街へ出ると、確かにどこからともなく春の気配が感じられるから不思議です。年々規模も華やかさも増しているこのフェスティバルは、今年も新地中華街と長崎市の繁華街「浜んまち」を中心に多彩なイベントが繰り広げられます。メイン会場となる「湊公園会場」(新地中華街となり)では、初日の夕方5時30分から春節礼祭・点灯式が行われ、フェスティバルが一斉にスタートします。会場は、唐人屋敷会場、浜んまち会場、中央公園会場、鐵橋会場、鍛冶市会場、興福寺会場とあり、くんちでおなじみの龍踊り、中国山西省の太原市(たいげんし)雑技団による華やかな中国雑技、懐かしい響きが魅力の胡弓演奏など中国色豊かな催しが毎日披露されます。各会場間は徒歩で約5~15分ほどしか離れていません。人の波をかきわけながらランタンの明かりの下を渡り歩くだけでもけっこう楽しいものです。この祭の見どころのひとつが、所狭しと飾られた中国伝説の珍獣のオブジェです。極彩色に彩られた鳳凰や龍などが幻想の世界へと誘います。今年は申年にちなんで「孫悟空」をモチーフにした高さ8メートルにも及ぶの巨大オブジェがメイン会場に登場。迫力満点の悟空の前で記念写真はいかがですか?期間中の土日には皇帝パレード、媽祖行列といった、歴史絵巻のような華やかなパレードも行われます。明治以前の日本は旧暦でかすかな春の気配を感じながら新年を迎えていました。今年の「長崎ランタンフェスティバル」を機に、旧暦カレンダー見直してみるのもいいかもしれませんね。

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  • 第170号【大唐人屋敷展】

    明けましておめでとうございます。今年どうぞもよろしくお願い申し上げます。新年第1号は、長崎市立博物館で好評開催中の「唐人屋敷展」です。最近、全国の美術館や博物館で行われる地域性の高い企画展を観て回る人が増えているそうですが、今回の「唐人屋敷展」も、長崎ならではの歴史や美術工芸の貴重な資料が展示され、見応えたっぷりです。長崎市立博物館では、長崎市の冬のイベント「ランタンフェスティバル」の時期に合わせて毎年「唐人屋敷展」を開催しています。唐人屋敷とは、江戸時代に長崎に造られた中国人の居住区域のこと。幕府は中国との貿易でキリスト教の布教や抜け荷(密貿易)を防ぐために、中国人を皆そこへ住まわせました。この「唐人屋敷展」で、中国と長崎の歴史的なつながりがわかると、中国の旧正月を祝う「ランタンフェスティバル」もいっそう味わい深くなるはずです。現在の長崎の新地中華街近くにあった「唐人屋敷」は、1689年に造られました。造成当初の総坪数約8、015坪。敷地内には、唐人屋敷(住居)の他、中国の神々を祭った土神堂(どしんどう)、天后堂(てんこどう)、観音堂などがありました。当時の様子は展示中の唐館絵巻」で観ることができます。この絵巻はシーボルトのお抱え絵師で知られる川原慶賀が描いたもので、そこには唐船が長崎港に入港して積み荷を降ろすところから、唐人屋敷での暮しぶりや年中行事の様子まで次々に描かれています。中には遊女と中国人らが賑やかに遊んでいる場面もあります。唐人屋敷への日本人の出入りは、お役人でも公用以外は厳禁でしたが、遊女だけは許されていたのです。当時、長崎~中国を往来した唐船の絵も数種類展示されています。これらの船はジャンク船(帆船)と呼ばれていましたが、実は福州、台湾、南京など出航港によって船の姿が違います。幕府側は、抜け荷などで逃げた船をチェックする際の資料とするために各種唐船を描いていたのです。もともとは中国国内の川を往来する川船の南京船も長崎に入っていました。その南京船以外は、海洋航海の魔よけの意味で、船に「目」が描き入れられています。長崎市立博物館の所蔵品を代表する「寛文長崎図屏風」も展示されています。まだ唐人屋敷が造られていない江戸初期の長崎の町が描かれていて、唐人らが自由に市中を歩いている様子が観られます。この他、蘇州の土を使って長崎で焼かれた「亀山焼」も展示。蘇州の土は文人好みの色や風合いが出たそうです。この「唐人屋敷展」は前期(~1/11迄)と後期(1/13~2/15迄)開催。後期は隠元によって長崎に伝えられた黄ばく宗の文化にちなんだ資料が展示されます。

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  • 第169号【長崎の正月惣菜~紅さしの南蛮漬~】

    今日、明日とクリスマスを思う存分楽しんだ後は、大晦日、そしてお正月と大切な歳事が待ち構えています。これからおせち作りをはじめ、やり残した掃除や用事を済ませるなど、新年を迎える準備も大詰めですね。最近ではデパートや料亭などにおせち料理を注文するのが当たり前となったご家庭がずいぶん増えたそうですが、やはりどんなに忙しくても、初春の膳は晴れ晴れとした気分でおせちを囲みたいという思いはみな同じです。そのおせち料理には、子孫繁栄を願う数の子、豊作祈願の田作り、まめに働くようにを意味する黒豆の他、昆布巻き、栗きんとんなどの定番料理に、各地の伝統料理がいくつか加わって、その地方独特の寿ぎの膳が作られているようです。長崎の場合、その一品といえば、「紅さしの南蛮漬け」です。紅さし(ベンサシ)とは長崎の方言で、一般に「ヒメジ」と呼ばれる魚のこと。体調15センチ前後の小ぶりな身体で、その名の通りおめでたい紅色をしています。日本各地で捕れ、干物や天ぷらなどでもいただきますが、長崎ではやはり南蛮漬でいただくことが多いようです。新鮮な魚が毎朝水揚げされる茂木漁港から、紅さしを仕入れている長崎市築町市場の「貝賀てんぷら」の女将さんによると、紅さしは年中あるけれど、長崎では正月用の南蛮漬を作るため、師走の時期がもっとも出回るとか。12月上旬過ぎから大晦日にかけてどんどん値が上がるため、ちょっと早めにまとめ買いをするといいそうで、「南蛮漬は冷凍しておいて、お正月には必要な分だけを解凍しながら食べたらいいよ」とアドバイスしてくれました。作り方は、まず紅さしを一日ほど干して適度に水分を抜き、油で素揚げします。漬け汁は、酢、醤油、砂糖、だし汁、唐辛子などを合わせ、いったん煮立てて冷やしてから漬け込みます。半日以上経ったらいただきます。南蛮漬は、現在ではポピュラーな料理法ですが、もとをたどれば南蛮貿易時代にポルトガル人が長崎に伝えたといわれ(また、中国料理のひとつという説もある)、長崎から全国に広まったものです。ちなみにその当時の日本人は、油で揚げた魚は好まず、酢や香料の入ったものも食べなかったとか。南蛮漬はまさに、おっかなびっくりの異国の味だったようです。冬の卓袱料理でも出される「紅さしの南蛮漬」。長崎の歴史をひもとくこの一品には、ふるさとを大切に思う心を育てるおいしいきっかけがあるようです。撮影&取材にご協力してくださった、「貝賀てんぷら(長崎市築町)」のみなさん、ありがとうございました。

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  • 第168号【光の街のクリスマス】

    街へ出れば、どこからともなく聞こえるクリスマスソング。お店のウィンドウは、どこもかしこも赤と緑の装飾で賑やかなクリスマスを演出しています。そんな巷のクリスマスもいいけれど、心豊かに、素敵な夢を見させてくれる本格派のクリスマスはいかがですか?今回ご紹介するハウステンボスは今、約100万球のイルミネーションに包まれて、美しくきらめく「光の街」に変身。このクリスマスシーズン(11月中旬~12/25迄)は、サンタクロースと触れ合える楽しいイベントや本格的なエンターテイメントショーなどが繰り広げられています。ハウステンボスへ入場するとさっそく、キュートなベアをかたどったツリーやサンタクロースの衣装をつけた巨大テディベアがお出迎え。夢見るようなクリスマスシーンへの期待感が高まります。街の中心部にあるアレキサンダー広場では昼も夜もクリスマスのスペシャルイベントが行われています。サンタクロースと一緒に歌って踊れる「サンタクロースショー」では、子供たちも舞台に上がって楽しそう。また本場ニューヨークからやってきたグループによる「ゴスペルライブ」は、魂に響いてくるような歌声がとっても感動的。いつの間にか大勢の人々がステージを囲んで拍手喝采。聖なるクリスマスをおおいに盛り上げます。広場に設けられた純白のウエディングドレスを思わせる「ホワイトラブツリー」や約30本の木をピラミッド状に組んだ「ギャザリングツリー」など、ハウステンボスでしか出逢えないオリジナル・ツリーも見逃せません。またオランダにあるドム教会の時計塔をモデルとしたハウステンボスのランドマーク、「ドム・トールン」(高さ105メートル)も、青やオレンジの美しい光を放つ塔へと変身。さらにオランダのベアトリクス女王陛下がお住まいの宮殿外観を忠実に再現した「パレス ハウステンボス」も、夜にはまばゆい光に包まれた「光の宮殿」になって、訪れる人々を幻想の世界へと誘います。各ショップでは「オリジナルスパークリングワイン」や「クリスマスベア」など、クリスマス限定の品々がラインナップ。今年のクリスマスの素敵な記念になりそうです。厳かな雰囲気と同時に、美しくて華やかな彩りに包まれたハウステンボスのクリスマス。子供の頃の夢を思い出したり、かじかんだ心に希望が灯ったりするような、そんなうれしい体験ができそうです。

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  • 第167号【長崎の囲碁と将棋にちなんだ史跡】

     最近、囲碁が静かなブームだそうです。現在、囲碁人口は推定で500万人以上。また将棋の方は、15才以上の愛好者数は1030万人(H13年度:レジャー白書)。どちらもここ数年、愛好者は増加傾向にあるそうです。 古代中国で生まれた囲碁が日本へ伝えられたのは5~6世紀頃。一方、将棋はインドで生まれ、日本へは8世紀頃、中国(または東南アジア)経由で伝わったといわれています。囲碁も将棋も日本では長い歴史を持つだけあって、全国各地に、時代を超えて語り継がれる名人や名手がいるようです。長崎にも、ちょっとした逸話を持つ江戸時代の棋士のお墓があります。 長崎から小倉へ向かう長崎街道のスタート地点に近い「一の瀬橋(いちのせばし)」。旅立つ者との最後の別れを惜しむ場所だったこの橋のたもとから、日見峠へ向かう街道筋の途中に「碁盤の墓」と呼ばれる墓があります。 ここに眠るのは、江戸時代に中国から長崎に来た南京坊義圓(なんきんぼう ぎえん)というお坊さん。この方は塾を開いて碁を教えたと伝えられ、長崎の囲碁界の草分け的存在だったとか。頭部が丸い無縫塔(むほうとう)と呼ばれる形をした墓石は、当時の一般の僧侶の共通した形だといいます。 実はこの墓石、とても粋なアイデアが盛り込まれています。台石が碁盤になっているのです。今は、摩滅して見えませんが、表面にはちゃんと碁盤の線も入っていました。 そして花筒も、碁石を入れる碁笥(ゴケ)になっています。あの世でも囲碁を楽しんで欲しいという亡き人への思いが伝わって来るようです。1804年、この墓について狂歌師の太田蜀山人は「この墓は 南京房か 珍房か ごけ引きよせて ごばん下じき」という、歌を残しています。 「囲碁の墓」から1分ほど街道を登ると「将棋の墓」があります。これは「大橋宗銀(おおはし そうぎん)」という人の墓。正面には、「六段上手・大橋宗銀居士」と刻まれています。大橋は将棋の宗家で、名に「宗」の字を使っていることから、将棋の師匠であったといいます。武蔵国(東京・埼玉)の出身で、賭け将棋をしながら各地を転々とし、1839年に長崎に来たのですが、この時、偽物の通行手形だったため、のちにとがめられ犯科帳にも記載されています。宗銀は、将棋の指南所を開業してもうまくいかず、最後には長崎の材木町(現:賑町)で、行き倒れになりました。身寄りのなかった宗銀の墓は、他の供養塔と同じく、見ず知らずの旅人たちに供養してもらうため、街道筋に設けられたようです。将棋の実力をまともに活かせず前途多難な人生を送った宗銀。それを哀れにを思う人々の気持が彼のお墓を今に残しているのかもしれません。※ 参考にした本「本河内の史跡」 小森定行

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  • 第166号【長崎の街路樹ナンキンハゼとイチョウ】

     11月下旬あたりにピークを迎えた各地の紅葉。皆さんは楽しまれましたか?長崎で紅葉といえば、島原半島の「雲仙」が有名です。ここは湯けむり漂う高原の温泉地で、先月中旬には見頃が終わり、葉を落として冬支度に入りました。今年はタイミングを逃しましたが、いつか当コラムでもご紹介したいと思います。\(^▽^″)オ楽シミニ! 山の紅葉は終わっても、平地にある街路樹の紅葉は、まだ楽しめるところも多いのではないでしょうか。長崎では、燃えるような赤に染まったナンキンハゼの葉が、街中の通りを風情豊かに彩って通行人を楽しませています。ナンキンンハゼは中国原産の落葉樹。18世紀はじめ頃に、中国より長崎へ渡来し、全国に広まったといわれています。現在は、「長崎市の木」として街路樹に広く利用、市花のアジサイとともに長崎のイメージづくりに役立てられ、すっかり長崎の晩秋の風物詩になっています。病害虫に強く、同じ「ハゼ」が付く「ハゼノキ」とは違い、触ってもかぶれることはありません。ナンキンハゼの丸みを帯びたかわいい葉は、夏場はイキイキとした緑色をし、それがフサフサと風にゆれる光景は、遠目にはイチョウのようにも見えます。とにかく長崎市街地のあちらこちらで見かける木ですが、観光がてらに楽しむなら、原爆資料館周辺(平野町)の通りが本数も多いのでおすすめです。 ところで日本の街路樹でもっとも多く植えられている木をご存じですか?それはイチョウだそうです。イチョウは学校や公園、お寺や神社などでも、よく見かけ日本人にはとても馴染み深い木ですが、もとは中国原産です。またイチョウには雄と雌があり、雌の木には秋に銀杏(ギンナン)がなります。銀杏の実に養分をとられるからか、巨木になるのはたいてい雄の木だそうです。長崎市には樹齢約300年の大イチョウがあります。樹高20メートル、幹周り3.9メートルの巨木(やはり雄)で、寺町通りの一角、「大音寺」の霊園内にそびえています。江戸時代からずっと長崎の街を見つめてきたこのイチョウもまた晩秋、美しい黄金色の姿を見せてくれます。 最後に、イチョウの学名「Ginkgo biloba Linn.」のエピソードです。17世紀にオランダ商館医として来日したケンペルが、日本の植物を帰国後ヨーロッパで紹介した時、銀杏(ぎんなん)をローマ字書きで「Ging-yo」と紹介。それがどこかで誤って「Ginkgo」(ギンゴー)となり、その後、そのままあの著名な博物学者リンネが学名に定めたのだそうです。※ 参考にした本「長崎県文化百選~事始め編」 長崎新聞社「大日本百科事典~ジャポニカ2~」 小学館

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  • 第165号【お諏訪のぼた餅食べて、ぶうらぶら】

     今月の長崎は、小春日和の穏やかな天気が多く、日中は修学旅行生や観光客の方々が、うっすらと額に汗しながら街を巡っている姿をよく目にしました。 今回、ご紹介する諏訪神社周辺は、緑あふれる長崎市民の憩いの場。日中、温かな今頃の季節は、近所の幼稚園の子供たちがピクニックを楽しんだり、大人たちがお弁当を広げたりしているところをよく見かけます。しかもこの辺は、おいしい甘味処やさまざまな史跡などもあって、観光スポットとしても見逃せません。さっそく、そぞろ歩いてみましょう。 スタートはおくんちで有名な諏訪神社の参道下から。その石段を登る途中に、「まよひ子志らせ石(まよい子知らせ石)」という石柱があります。明治12年に長崎県警に勤める警部さんたちが資金を出して建てたものです。当時、この近辺は神社へ参拝する人々でたいへん賑わい、迷子になる子供が度々いたそうです。迷子を見つけた人は、この石に子の名前や年齢などを書き、親を待ちました。今のようにテレビやラジオ、携帯電話のなかった時代、この石の効力はかなりのものだったそうです。 諏訪神社で参拝し、境内から続く長崎公園へ入ると、明治18年創業の老舗「月見茶屋」があります。この店の名物は「お諏訪のぼた餅」。ツヤツヤとしたこしあんをまとった姿は、見るからにおいしそう。一人前5個とボリュームがありますが、ペロリとたいらげてしまいます。昭和レトロという言葉そのものの木造の店から東側を望むと「彦山(ひこさん)」が見えます。 長崎では、彦山から出る月の美しさは有名で、江戸時代の狂歌師であり、長崎奉行所の役人として1年間在任した大田蜀山人(おおた しょくさんじん)が詠んだ「長崎の山の端に出る月はよか こんげん月はえっとなかばい」は、地元でよく知られた歌です。ただ上の句が「わいどんもみんな出て見ろ今夜こそ」というのもあり、いろいろいわく付きの伝説的な歌のようです。 月見茶屋のある公園の広場には池があり、その中央に設けた石づくりの噴水は、公園などでの装飾用噴水としては、日本でもっとも古いものだとか。また、この広場には、明治期に外国人が長崎で過ごした日々を書いた小説「お菊さん」の著者で知られるフランス人小説家ピエール・ロティの顕彰碑もあります。 長崎公園にはこの他、いろいろな史跡や碑があります。またの機会にご紹介しますので、どうぞお楽しみに。※ 参考にした本「長崎の文学」 長崎県高等学校教育研究会国語部会「長崎県文化百選~海外交流編」 長崎新聞社

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  • 第164号【冬、ますます食べたい長崎名物、角煮まんじゅう】

     少しずつ寒さが増してくると、温かい食べ物が恋しくなりますね。今回は身も心もおいしく温めてくれる長崎名物「角煮まんじゅう」をご紹介します。「角煮まんじゅう」とは、豚バラ肉を茹でて角切りにし、こっくり、やわらかく煮込んだ「豚の角煮」を、「中華まんじゅう」にはさんだものです。そのジューシーでとろけるような豚肉と、ほっこりとした中華まんじゅうのハーモニーは、まさに長崎ならではの美味。最近では長崎土産として人気急上昇中ですが、これは長崎の人々が伝統の卓袱料理のメニューの中で、昔からいただいて来たものです。 長崎の料亭などで、卓袱料理を食べた経験のある方はご存じだと思いますが、「豚の角煮」と、具の入っていない「中華まんじゅう」とは、別々の皿に盛られて運ばれて来ます。自分で蒸したての「中華まんじゅう」を開いて、アツアツの角煮をはさみ、好みでカラシを付けていただくのです。ところで長崎では「豚の角煮」を「東坡肉(とうばにく:トンポーロ)」とも呼んでいます。中国の宗の時代の文人である蘇東坡(そ とうば)が、好んだことにちなんで付けられた料理名だそうです。 「豚の角煮」と「東坡肉」。実は同じものではなく、厳密には違いがありました。家庭などで作る「豚の角煮」は、油で揚げることはしませんが「東坡肉」は、豚バラ肉を茹でた後、油で揚げ、さらに蒸すなどして作ります。油で揚げるといい焼き色が付き、中華独特の濃厚な味が増すとか。ちなみに「東坡肉」は醤油や甘味が比較的多く使われる上海料理を代表する料理のひとつです。 その「東坡肉」を中華まんじゅうに前もってはさみ手軽に食べれるようにした「角煮まんじゅう」。主役のお肉は、「東坡肉」本来の方法で作るところもあれば、現代の日本人の口に合うようにと、揚げずに煮込む際に油を加えたり、豚バラから出る油を利用するなど、それぞれ工夫があるようです。 ところで主原料の豚バラ肉は、赤身と脂肪が肉の層を成しているところから三枚肉とも呼ばれています。角煮まんじゅうのお肉にも、その層がはっきり出ていて、口にするとトロリとした食感です。お肌にいいといわれるコラーゲンがたっぷり含まれているので、女性には特にお薦めですよ。 長崎にカステラ屋さんが数多くあるように、角煮まんじゅうもいろいろ。製造元によって微妙に味が違います。まずは当社お薦めの角煮まんじゅうから味わってみませんか?※ 参考にした本「長崎事典~風俗・文化編」長崎文献社、「肉料理」婦人之社編集部

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  • 第163号【海男たちの夢の跡?!五島・日島の石塔群】

     秋の夜長の楽しみで、月や星空を眺めながら壮大な宇宙や遠い昔のことなどに思いを馳せる人もいらっしゃることでしょう。今回はそんな季節にぴったり。遥かいにしえへと誘う五島列島・日島(ひのしま)の遺跡をご紹介します。 五島列島のほぼ中央に浮かぶ若松島。ここから目的地の日島までは、漁生浦島(りょうぜがうらしま)、有福島(ありふくじま)といった橋や防波堤でつながる小さな島々を経なければなりません。道は入り組んだリアス式の海岸に沿ってあり、とにかく曲がりくねっているのですが、信号も行き交う車も少ないので運転のストレスはありません。景色は西海国立公園の一角のまるで湖のような海に浮かぶ大小の島々が見渡せ、東シナ海の洋上とは思えないほど穏やな美しさの自然を楽しみながら日島への道を辿ります。 日島は面積1.65平方キロメートルの小さな島。人口72人ほどで、島に生息する野生シカの数の方が多いといわれる寒村です。しかし古来、中国大陸と本州、九州とを結ぶ交通の要地で、朝鮮半島との貿易の本拠地として栄えた島でした。日島の名も、かつて烽火(ほうか)によって異国船が来たのを知らせる監視所があったことによる「火ノ島」の呼び名が「日島」に転化したといわれています。 そんな日島の曲(まがり)地区に、歴史のロマンに包まれた「日島曲石塔群」という遺跡があります。それは日本の中世(鎌倉~南北朝~室町)時代の古墓で、東シナ海を見渡す場所にこつ然と建ち並ぶおびただしい数の石塔群です。雨風にさらされ摩滅が激しく、所々崩れ落ちたその白い姿は、海の青さを背景に、長い時間をくぐり抜けてきたものならではの圧倒的な迫力を放っています。 石塔群は、石材も石塔の形も数種類あります。いずれも地元で制作されたものではなく、主に関西地方や若狭湾で知られる福井県の高浜町日引(ひびき)で制作されたことがわかっています。これは中世の頃の海道で、福井や鳥取、島根、山口、福岡、五島などを結ぶ日本海ルートの活発な動きを証明するものだそうです。また当時の海賊集団で知られる「倭冦」がこの石塔建立に関係しているという考えもあるといいます。 なぜ、ここにわざわざ運んで建てたのか。海男たちの供養のための墓であろうこの石塔群建塔の背景は不明のままです。繁栄の時代の日島や、シンプルな航海技術で命がけで海上を行き来した海男たちへと思いを馳せる石塔群は、600年以上もの時を超え、人々を魅了し続けています。※ 参考にした本/「石が語る中世の社会」大石一久著

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  • 第162号【長崎のまろき山々~その1、鍋冠山~】

     登山を楽しむ人が全国的に増えているそうです。自然と親しみ、季節を身近に感じ、日常からも解放される。山って本当に気持がいいですよね。長崎市では公民館などが山歩きの講座を設けると、募集人員を遥かに超える申し込みが来るといいます。長崎市街地には、高くけわしい山はなく、標高300~400m級の中くらいの山々が長崎港を取り囲むように連なっています。散策やハイキングなどに適した山々です。 ところで大正~昭和期の京都の歌人で九条武子(くじょうたけこ)という女性が長崎を訪れた際にこんな歌を残しています。「水色にくれゆくまろき山いくつ 紅毛人の夢ひむる町」。大正14年若葉の季節。長崎市内を見物した武子は、神戸に似て坂の多い町だなと感じながら石畳の道を歩き回りました。通りですれ違ったのは、浴衣に赤い帯をたれ、外国人のような目元をした子供。見渡せば夕暮れ色に染まる長崎の小さな山々。武子はその様子にドラマチックな異国の風情を感じたようです。 武子の目にも映ったであろう、まろき山々の中で、頂上からの景色が抜群に美しいことで知られるのが、鍋冠山(なべかんむりやま/169m)です。場所は先週ご紹介したグラバー園の裏手の高台近くで、山の頂きにはこんもりと樹木が茂っています。ちなみに鍋冠山の名は、その樹木の茂り方がまるで鍋を伏せたような形に見えるからという説があるのですが、定かではありません。 この山からの眺めは、長崎の観光ポスターや絵はがきなどによく使われているので、登ったことがなくても、景色を知っている人はいるかも知れません。入り組んだ長崎港のほぼ全体像と、山の傾斜にびっしりはりついた家やビル、そして港をはさんだ向うに稲佐山。また長崎港の入り口の方には、平成18年春に完成予定の「女神大橋(めがみおおはし)」の姿も見えます。海の青と空色のコントラストも美しく、その眺望を一目見ようと観光客の跡が絶えません。 観光客のほとんどは、鍋冠山頂上の展望台まで車を利用しているようです。しかし地元の山登りたちは、その山肌につくられた石段の道か、林の中を通る道を利用します。石段の道がもっとも近道ですが、いずれもふもとからゆっくり登って30分前後。今時分は、道に枯れ葉が敷きつめて、あちらこちらに栗の実が落ちているはず。道の脇にはススキやセイタカアワダチソウが元気にそよいで秋の風情を満喫できることでしょう。※ 参考にした本「長崎県の山歩き」林正康著、「九条武子~その生涯とあしあと」籠谷眞智子著

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  • 第161号【坂の街ならではの工夫。グラバー園への新ルート】

     スロープやエレベーター、床の段差をなくした広いトイレなど、街のあちらこちらでバリヤフリーの工夫を見かけるようになりました。身体の不自由な方はもちろん、全ての人の快適をめざす「バリヤフリー」。今回ご紹介する長崎の人気観光スポット、「グラバー園」への新しいルートも、この考えから生まれたようです。長崎港を見下ろす南山手にあるグラバー園。丘の斜面を利用した園内には、居留地時代のハイカラな洋館が各所に点在。毎日、全国から大勢の観光客が訪れ、ロマンあふれる異国情緒を楽しんでいます。このグラバー園の入り口は、丘のふもと近くにありますが、石畳の坂と石段を少し登らなければなりません。足腰の弱った方や、車椅子を利用している方にとってはたいへんでした。 だけど、これからは「グラバースカイロード」を利用すれば安心です。路面電車の石橋電停下車徒歩2分(相生町)。グラバー園へちょうど背後から登るような位置にあるこのロード(道路)、斜面地を文字どおり斜めに移動するタイプのエレベーター(長さ100メートル)で、周辺に住む住民の足として昨年夏から運行しています。ちなみに「グラバースカイロード」の正式名称は「都市計画道路南大浦線」といい、日本で初めて「道路」と位置付けられたエレベータ。まさに坂の街・長崎ならではの新しい「道」なのです。 グラバー園へは、「グラバースカイロード」を降りてすぐの場所にある普通の垂直エレベータに乗り継ぎます。最上階で降りるとグラバー園のもっとも高い位置に到着。ここに新しく設けられた第二ゲートから入ることになります。従来からの入り口(第一ゲート)に比べ、ゆるやかな下りで、園内全体を巡ることができるので、たいへんラクです。 グラバー園内には、各所に車イス専用のスロープが設けられ、港の景色もあふれる植物もゆっくり堪能できます。また日本最古の木造洋風建築の旧グラバー邸(国重要文化財)や、日本様式を取り入れてつくった旧ウォーカー邸、南欧風のバンガローが素敵な旧リンガー邸は、車イスでの入室が可能です。当時の暮しぶりをじっくり垣間見れます。 ところで「グラバースカイロード」は、東山手や長崎港など坂の街のさまざまな表情を見渡せ、夜景もたいへん美しいビュースポットとして注目されています。この秋のあなたのお出かけスポットに、加えてみませんか?

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  • 第160号【上五島の教会その1・石造りの頭ケ島教会】

     日本の最北西端にある五島列島を訪れたことはありますか?長崎港から五島灘を往来する定期高速船で約80分。南北に連なるこの列島は、南から福江島(ふくえじま)、 久賀島(ひさかじま)、奈留島(なるしま)、若松島(わかまつじま)、中通島(なかどおりじま)の5つの主な島があり、美しい波間に浮かぶ周辺の小さな島々も含めると、島数は130を超えるそうです。 五島列島には、禁教の時代(戦国時代~江戸時代)に、迫害を逃れた長崎のキリシタンたちが渡りました。島内には長い潜伏期間を経て、晴れて信仰の自由が許された明治以降、熱心なカトリックの信徒の方々によって建てられた教会が数多く点在しています。キリシタンの歴史はもちろん、過去の建造物や洋館に感心のある方にとっても必見の教会ばかりです。今回、ご紹介する頭ケ島(南松浦郡有川町)は、中通島の東北部に位置する周囲わずか4km足らずの小さな島です。ここには上五島(五島列島北部地域)で唯一の空の玄関・上五島空港があり、また周囲は絶好の釣り場としても知られています。 有川町の中心部から車で約30分ほどの頭ケ島へは、町内屈指のビュースポット、中通島と頭ケ島を結ぶ全長300メートルの「頭ケ島大橋」を渡って行きます。頭ケ島の山合いの道路を下ると、突然、目の前にエメラルドグリーンの海が広がりました。その海辺には数軒の民家。波音と、風に揺れる樹木のざわめきしか聞こえない静かな集落です。 頭ケ島教会は、この小さな集落の風景に溶け込むように建っていました。石を積み上げたその姿はいかにも堅牢そう。素朴で、しかし洗練されており、不思議な存在感があります。この頭ケ島教会は、大正6年(1917)に建立。日本の教会建築に大きな功績を残した鉄川与助(てつかわ よすけ)の設計・施工によるもので、西日本で唯一の石造り教会です。石はこの島に産出する砂岩で、信徒の方々が労力と全財産を捧げて築いたそうです。 10~12世紀にかけてヨーロッパで発達したロマネスク建築を意識した教会の内装は、珍しい折り上げ天井で、白い花や薄いピンクの文様など華やかな装飾が印象的です。そこには信仰の自由を得た人々の喜びが込められているのかもしれません。人口が少ないため日曜日の御ミサに集まる信徒数は20名に満たないそうですが、教会も、熱心な祈りも当時のまま受け継がれています。

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  • 第159号【とろけて、うっとり。ハウステンボスのおいしい秋。】

    この秋、リニューアルしたみろくやのホームページに合わせて、当コラムも気分一新。これから新設「みろくや編集室」が総力を上げてお届けします。どうぞ、よろしく!第一弾は、秋の「ハウステンボス」をご紹介します。ちょうど今、うっとりするような秋の花々に包まれて、おいしい料理をたーんと味わえる、「秋のフラワーカーニバル」を開催中(11/4迄)です。\(^^)おすすめの見どころは、運河に浮かぶ「花の名画」です。これは水上花壇を巨大なキャンパス(縦10m、横7、2m)にして、マネの「ウィーン娘」やフェルメールの「青いターバンの女」といった世界の名画をマリーゴールドやベゴニアなどの秋の花々で再現。うっとりするような見事な出来映えです。 スペインからやってきた実力派フラメンコチームによるショーも見逃せません。本場ならではの情熱的なステップと、哀愁が漂う歌声。まさに芸術の秋にふさわしいひとときを楽しめます。グルメ心をおおいに刺激する、おいしいものもいっぱいです。ハウステンボスはオランダ産チーズの売り上げ日本一を誇るチーズ王国でもあるのですが、この秋は世界のチーズ100種類を揃えて、街をあげて「チーズ祭」が行われています。クリームチーズを使った「カースシェイク」という珍しいドリンクやチーズたっぷりのパスタ料理、種類も豊富なチーズケーキなど、ハウステンボスでしか味わえないチーズメニューが目白押しです!この秋、球根を植え、春の花壇づくりをはじめようとしている方は、秋植え球根がいろいろ揃った中心広場の「大花市」へお出かけ下さい。特にチューリップは日本一の品揃えと言われるだけあって、珍しい原種のブルーチューリップも手に入れることができましたよ。 ところでハウステンボスは、ご存じのように今年2月、会社更生法の適用を申請しましたが、その後も社員の努力と地元周辺地域の応援により、しっかりと営業は続けられ、先月には新しく投資会社の支援が決定。今後は、百数十億円が投資され新たな「滞在型リゾート」の実現をめざして行くそうです。日本ではまだ未知数のリゾートビジネスの可能性を秘め、注目を浴びるハウステンボス。あなたもその再生の息吹を確かめに出かけてみませんか?

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