第178号【日本初の蒸気機関車アイアン・デューク号】
日本で初めて、鉄道が開業したのは明治5年(1872)年のこと。東京の新橋~横浜間の29kmを蒸気機関車が走りました。でも、これが日本の鉄道の発祥ではありません。実はこれより7年前の慶応元年(1865)年に英国人貿易商のトーマス・グラバーが長崎で蒸気機関車を走らせていました。
その場所は、長崎港沿いにある大浦海岸通り。この地は、安政6年(1859)に長崎が神奈川や箱館とともに開港した時、イギリスやロシア、アメリカ、フランスとの貿易も許されたことから、外国人居留地として洋館建ての商社やホテルなどが軒を列ねた通りです。英国人貿易商のトーマスグラバーは、この開国直後に長崎に渡ってきています。
グラバーが長崎で走らせたという汽車は、上海博覧会に出品されていたもので、イギリス製のアイアンデューク号という名の蒸気機関車でした。それを長崎に輸入し、大浦海岸通りに約400メートルの線路を敷き(現在の大浦海岸埋め立て地にある長崎税関付近から松が枝橋付近)、客車2両をつないで人々に走らせて見せたのでした。黒煙をモクモクと吐いて走る汽車に、目を丸くし歓声を上げる見物人たち。地元ではグラバーが、「陸蒸気(おかじょうき)」を走らせているという噂が広がり、連日、大勢の見物人が集まったといいます。
グラバーといえば、他にも造船や炭坑など日本の近代化に大きな影響を与えたことで知られていますが、そんな彼が、大浦でアイアン・デューク号をわざわざ走らせて見せたのには、どんな理由があったのでしょう。日本人にこれからはじまる新しい時代の一端を見せたかった?進んだ西洋の技術を知らしめたかった?いろいろと推測できますが、いずれにしてもこのデモンストレーション(試走)は、当時の日本人に大きなインパクトを与え、日本の近代化の牽引力にもなったと想像されます。
またこの他、鉄道関連の史跡が大浦海岸通りから徒歩約10分の大波止出島ワーフそばにも残されています。昭和5年(1930)、長崎駅から出島岸壁に至る臨港鉄道が開通し長崎港駅が開業。線路は現在のJR長崎駅から南に約1、1kmほど延びてあり、中島川の河口にかかる鉄橋を渡り、当時、出島岸壁に発着した日華連絡船と連結していました。現在、線路のあった鉄橋はなく、残されているのは橋台の一部です。当時は、東京へ行くよりも近くて安い片道26時間の大都会、上海を訪れる旅客でおおいに賑わったそうです。
◎参考にした本/長崎事典~風俗文化編(長崎文献社)