おいしい笑顔、長崎から
私たちの使命は、“おいしい笑顔”を追求することで、お客様の「幸せ」に貢献することです。
みろくやのコーポレートスローガンである「おいしい笑顔、長崎から。」にはその想いを込めています。
お客様に「おいしい笑顔」になっていただきたい。
「おいしいひと時を通して、あなたや、あなたと一緒に召し上がる方にホッとやさしい気持ちになっていただきたい。」
そんな想いを大切にして、長崎からおいしいちゃんぽん・皿うどんをお届けし続けています。

ちゃんぽんへの想い

ちゃんぽんは優しさから生まれた愛情料理です。私たちは“おいしく”て“栄養たっぷり”で“優しい”ちゃんぽんの魅力を長崎の地から発信し続けています。

皿うどんへの想い

皿うどんは一度に様々な食感や、香り、味を感じられる楽しい料理です。私たちはその楽しさとおいしさでお客様に喜んでいただきたいと考えています。

みろくやブログ

  • 第673号【節分と長崎ランタンフェスティバル】

     2月3日節分の日の夕刻、役目を終えた正月飾りやお札を持って、諏訪神社(長崎市上西山)へ。すでに大きな炎を上げていた鬼火焚きの中へ投げ入れ、炎にあたりながら無病息災と家内安全を祈願しました。そのあと、徒歩圏内に点在する松森神社、桜馬場天満神社、伊勢宮神社、宮地嶽八幡神社、そして興福寺にも足を運び、それぞれの節分行事の様子を見て回りました。 真冬の夜にも関わらず、どこも境内を埋め尽くすほどの人出。鬼火焚きのかたわらで、年男・年女による豆まきや、ぜんざいなどの温かいものも振る舞われ、なごやかな雰囲気が漂っていました。世代を問わず、大勢の人々が繰り出す節分の行事ですが、翌朝には何事もなかったようになるから不思議です。この伝統行事はこれからも脈々と受け継がれていくのでしょう。 この冬は、連日の北国の大雪のニュースに心が痛みます。一方、九州は、時折強い寒波が到来するものの、雪や雨が少なく乾燥した状態が続いています。今月最初の日曜日、今季最強の寒波が訪れましたが、長崎では、平地にうっすらと雪が積もる程度でした。その日、小雪が舞うなか背中を丸めて中島川沿いを歩いていたら、川石の上からじっと水面をにらむカワセミを見かけました。まん丸に羽毛を膨らませた姿がかわいい。どうやら、稚魚を狙っているようです。野鳥って、本当にたくましいですね。 さて、長崎はいま「2026長崎ランタンフェスティバル」を開催中(2/6〜2/23迄)です。長崎市内の中心部に、約1万5千個に及ぶランタンやオブジェが飾られ、夕刻になると極彩色の幻想的な灯りで彩られます。 長崎の冬の風物詩「長崎ランタンフェスティバル」は、これまで、旧暦の元旦から開催されていましたが、旧暦元旦は、西暦にすると1月下旬から2月の間で年ごとに変わるため、今年から2月の第1金曜日から17日間の開催に固定化されることになりました。(今年は、最終日の翌日が祝日になるため1日延長して18日間の開催。)この期間なら、春節(旧暦の正月期間)と重なる日もあるので、これまでどおり、旧暦新年を祝うことができますね。 新地中華街会場の湊公園には、大きな干支のオブジェ『龍馬精神(りょうませいしん)』がお目見え。龍のように天を駆け、馬のように地を駆ける、若々しく活気に満ちた精神が表現されています。『龍馬精神』という言葉は、健康や活力願うときにも使われるそうです。ランタンフェスティバル開催期間中の平日には、市中心部に設けられた複数の会場で、龍踊りや二胡演奏、中国変面ショー、土曜日には「皇帝パレード」、日曜日には「媽祖行列」とさまざまな催しが展開。毎日、見どころ満載です。  道なりに、どこまでも連なるランタンは、まるで龍のよう。空中を縦横無尽に泳いで、ランタンのまちを楽しんでいるかのようです。あなたも、さっそく、お出かけになりませんか。

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  • お客様の声

    丁寧に作り方の説明書が入っていて普段料理をしない私でも簡単に美味しいちゃんぽんと皿うどんを食することができて大変うれしく思っております。またリピートしていと思います。おいしかったです。愛知県 Y・N様具材まで入っていて、キャベツを切るだけで完成する手軽さなのに、味はお店で食べたような本格派でした!濃厚でコクのあるスープに一口目から夢中になり、長崎旅行の思い出がよみがえってきました本当に美味しかったです!!東京都 R・S様

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  • 第673号【令和8年午年に寄せて】

     新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。  寒の入りから1週間以上が経ちました。北国の大雪のニュース映像を見るたびに、雪に不慣れな九州人は、ただただ、おののくばかり。今季の九州は、暖冬傾向かと思っていましたが、昨年末から強い寒波が小刻みに訪れ、私たちを翻弄しています。一年でもっとも寒さが厳しいこの時季、いつも以上に体調に気をつけて過ごしたいものです。 時代の変化が年々加速している、そんな思いを抱きながら迎えた新年。変貌ぶりが著しい長崎駅界隈では、かねてから工事が進められている「駅前広場」が今年の年末に完成する予定です。新年早々、年末の話?と思われそうですが、路面電車の「長崎駅前」電停に隣接する「駅前広場」は、長崎の顔となる大切な場所です。1年後、どんな景観が広がっているのか、楽しみに待ちたいと思います。 長崎市民の総鎮守、諏訪神社(長崎市上西山町)へ初詣に行くと、本殿近くにある「神馬像(しんめぞう)」の前で、参拝を終えた人々が、入れ替わり立ち替わり写真を撮っていました。この銅像は、平和祈念像の作者で知られる、北村西望氏102歳のときの作品。長寿にもあやかれそうな像でした。 参拝後、諏訪神社に隣接する「どうぶつひろば」へ。ここは、親子連れに人気のスポットで、サル、ウサギ、アナグマ、キツネ、クジャク、ハクチョウなどいろいろな動物と出会えます。今回のお目当ては、昨年秋に熊本県の阿蘇からやって来たポニーです。名前は「オセロ」、8歳のメス馬です。ちなみに、ポニーとは、体高147センチメートル以下の馬の総称。そのサイズ感といい、表情といい、笑みがこぼれるかわいさです。「オセロ」は、ヤギの「ユリ」と同居しています。馬は社会性の高い動物なので、ヤギと一緒でも大丈夫なのだそうです。 さて、午年の長崎の歴史をひもとくと、長崎港にまつわる重要な出来事が起きていました。ときは戦国時代、応仁の乱後、信長による全国統一の機運にあるなか、長崎では午年の1570年(元亀元年)、イエズス会の神父による長崎の浦々の測量が行われ、良港であることが判明。大村純忠とイエズス会の間で、長崎開港の協定が結ばれました。翌年、ポルトガル船とポルトガル人がチャーターした唐船が来航。以後、長崎は国際貿易都市として発展していくことになります。それから、干支がひとまわりした1582年(天正10)には、天正遣欧少年使節が長崎港からローマに向けて出発。3年後、ローマ入りした彼らは、教皇グレゴリオ13世との謁見を果たしました。  こうしてみると、午年の長崎には、まちのターニングポイントになるような何かが起こるのかもと思えてきます。令和8年午年、何があっても、最後には「うまく乗り越えた」といえる年になりますように。

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  • 第672号【令和7年師走よもやま話】

     黄金色のイチョウの葉が散りはじめた長崎。晩秋のような光景ですが、「もう、師走」。一年の早さにびっくりしながら、押入れを片付けていると、奥の方からパッケージに包まれた布が出てきました。それは、20年以上も前に、生月島で買ったもので、江戸時代の力士、生月鯨太左衛門(いきつきげいたざえもん)が描かれた「のれん」。当コラム第23号(2001年2月)で生月鯨太左衛門を紹介した際に使用していて、掲載後、相撲ファンの知人にさしあげる予定でした。  生月鯨太左衛門(1827-1850)は、身長227センチメートル、体重約168キログラムの巨漢力士として、江戸時代の終わり頃に人気を博しました。生まれは長崎県平戸島の北西に位置する生月島。生月鯨太左衛門という四股名(しこな)は、当時、生月島が捕鯨で栄えていたことにちなんだものです。生まれたときの体重は、通常の赤ちゃんの2倍はあったともといわれ、とりあげた産婆さんが「鯨のようだ」と驚いたそうです。  子どもの頃は、その大きな体と力で親孝行。その後、相撲界からのスカウトを受けて、18歳で大坂場所へ、さらに、その翌年には江戸相撲に進出。平戸藩お抱えの人気力士でしたが、23才の若さで病に倒れました。短い人生でしたが、さまざまなエピソードがいまも語り継がれています。  生月鯨左衛門をはじめ数々の人気力士が生まれた江戸時代。当時の相撲は、寺社の再建や修理のために資金を集めるという名目の「勧進相撲」から、やがて興行へと移行し、庶民の娯楽として発展。お江戸はもちろん、全国各地で、神社などの年中行事として相撲が行われました。長崎では、梅園神社(長崎市丸山町)、松森神社(長崎市上西山町)、そして、中川八幡神社(長崎市中川)など。なかでも勝負事の神様を祀る中川八幡神社では、毎年9月に行われる奉納相撲は、「中川相撲」と呼ばれ、九州各地の名だたる力士が集結していた時期があるそうです。  ここで、本筋からはずれますが、野鳥の話。松森神社の境内をめぐっているとき、赤い実をついばむ数羽のシジュウカラを見かけました。ときおり「ピーツピ」という鳴き声が聞こえてきます。鈴木俊貴さんという動物言語学者の研究によると、シジュウカラの鳴き声には意味があり、いくつかの鳴き声を組み合わせて会話をしているそう。「ピーツピ」というのは、仲間に「警戒しろ」と知らせているとか。そっとカメラレンズを向けていたのですが、気付かれていたようです。  さて、冒頭で生月鯨左衛門ののれんを渡しそびれたままという話をしましたが、相手の方とは、長い月日の間に自然に交流が途絶え、もう連絡がつかなくなっています。毎日忙しくしていると、いつでも会えると思っていた友人や知人に、義理を欠いたり、大切なことを伝えそびれたまま時が流れてしまうことがあるものです。年の瀬に、移りゆく季節やどんどん変わっていく街の様子を肌で感じながら、これからは、相手が喜んでくれそうなことや感謝の気持ちは、最優先で伝えていこうと決めました。  ○本年もご愛読くださり、誠にありがとうございました。

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