ブログ

  • 第681号【近代活版印刷の祖・本木昌造のこと】

     令和8年熊本地震の後、各地で大雨による災害が起きています。被害に合われた方々に心からお見舞い申し上げます。一日も早く復旧し、安心安全な暮らしができますようお祈りいたします。  9月初め、多良岳の上に連なっていたのは、真夏の雲。その日の最高気温は36℃でした。その後、曇りや小雨の日が続き、気温はようやく下降傾向に。中島川では、炎天下では見かけなかったアオサギが、川面を歩いていました。ただ、涼しさを感じるとはいっても、長崎の日中の気温はまだ30℃台。引き続き暑さと大雨への対策は必要です。 さて、今回は、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍したオランダ通詞で、印刷技術者でもあった本木昌造(もとき しょうぞう)(1824〜1875)をご紹介します。昌造は、長崎の新大工町出身。11歳のときオランダ通詞を家業とする本木家の養子となりました。好奇心旺盛で才気あふれる昌造は、家業を継ぐ一方で、造船や製鉄、さらには航海術など西洋の技術を習得。なかでも、昌造の興味を強く引いたのは、西洋の印刷でした。 当時の日本の印刷は、木に掘った文字を紙に写し取る「木版印刷」。それは、職人たちが手間をかけて作るもので、ものによっては、かすれて読みづらいものもあったようです。通詞の仕事を通して手にする、西洋の本の克明に刻まれた文字は、「活版印刷」といって、あらかじめ金属で文字の型(活字)をつくっておき、それを組み合わせて機械を使って印刷するもの。昌造は、木版印刷よりも早く明確に印刷できるこの技術が、国の発展に寄与すると考え、活版印刷機を手に入れて、見よう見まねで木製の活版を作るなど、試行錯誤をしたと伝えられています。  時代は、幕末の激動期。通詞としての仕事も忙しくなり、長崎に来航したロシア極東艦隊司令長官プチャーチンに同行したり、日本各地を飛び回ったりしながらも、活版印刷への情熱は消えることはなく、長崎奉行に働きかけ、1869年(明治2)「活版伝習所」(現在の長崎市興善町・長崎市立図書館付近)を設立しました。 その後、アメリカ人の印刷技師ウィリアム・ガンブルから伝授された技術、「電胎法(でんたいほう)により、銅で型どった丈夫な活字をつくることに成功。「活版伝習所」にほど近い場所に、私設の「新町活版所」を設立し、日本における印刷企業の産声をあげました。現在、その跡地に建つ「〜近代活版印刷発祥之地〜新町活版所跡」の碑の文字は、当時、昌造らが鋳造した活字をもとにしたものだそう。また、現在の長崎市役所前には、いまから150年ほど前に昌造らが作成した新聞の活字を再現した「長崎市役所」「長崎市議會」の銘板が設けられています。 新聞や書籍、雑誌など、活字を扱う業界の基礎をつくりあげ、印刷物をとおして、当時の日本人に新たな世界、知識に触れる機会をつくり、ひいては新時代の文化を生み出すことに貢献した昌造。その人生は濃密で、印刷関係以外でも、多くの偉業を残しました。1875年(明治8)52歳で亡くなった昌造は、大光寺(長崎市鍛冶屋町)に葬られました。もっと、その人となりについては、さらに研究がなされ、後世に語り継いでほしい人物です。 ◎参考:『本木昌造先生略伝〜追録 新町活版所の記〜』

    もっと読む
  • お客様の声

    いつも九州の実家から送られてくると、とても幸せな気持ち、なつかしい気持ちになり食べるとほっとする味です。埼玉県 A・H様家族旅行で九州一周した時に購入しました。自宅でこちらの皿うどんをみんなで食べた時、楽しかった旅行を振り返ることもできました。おいしかったです。神奈川県 K・I様

    もっと読む
  • 第680号【なぜ、ペンギンはかわいいのか】

     令和8年熊本地震で被災された方々に、心からお見舞い申し上げます。酷暑の下、余震が続くなかでの復旧は、過酷な作業だと思います。どうか、1日も早く安心して日々を過ごすことができますようお祈りいたします。  先週8月7日は立秋でした。酷暑のなかにあっても、風や日差しにかすかな涼の気配が感じられます。時は流れ、季節はめぐるもの。声をかけ合い、助け合いながらこの猛暑を、厳しい状況を、乗り越えていきたいですね。  さて、今回は、夏休み中の子どもたちで賑わう「長崎ペンギン水族館」(長崎市宿町)へ行ってきました。自然界は、ときにたいへん愛くるしい姿の生き物を生み出しますが、ペンギンもそうした生き物といえそうです。ポテッとした丸いお腹、タキシードを思わせる白と黒の羽毛。体を左右にゆらしながらヨチヨチと歩く姿…。本当にかわいらしいですね。 キングペンギン、ジェンツーペンギン、ヒゲペンギン、キタイワトビペンギン、ミナミイワトビペンギン、マゼランペンギン、フンボルトペンギン、ケープペンギン、コガタペンギン。「長崎ペンギン水族館」ではこの9種類が飼育・展示されています。世界中の動物園や水族館のなかで、もっとも多い種類数だそう。ちなみに、世界に生息するペンギンは、全部で18種類。そのうちの半分の種類と、この水族館で出会えるのです。 ところで、「ペンギン」の名の由来は?館内の展示物のなかに、その答えがありました。スペイン語で「太っちょ」を意味する「ペングウィーゴ」が語源だそうです。また、ペンギンは、空を飛ぶことはできませんが、海鳥の仲間です。水中では、まるで飛ぶようにビュ〜ンと移動。ヨチヨチ歩きの陸上とは違うその姿を、水深4メートルの大水槽で見ることができます。 すぐ目の前でペンギンの生態を観察できて楽しい館内。岩場に立ったままほとんど動かないキングペンギン、ラッコのようにお腹を上にして泳ぐフンボルトペンギン、ガラス越しに見ている子どもたちの方へ近づいてくる人なつっこいヒゲペンギンなど、個体ごとにいろいろな一面を見ることができました。 長崎ペンギン水族館の魅力は、ペンギンだけでなく、長崎の海に生息する魚類やめずらしい魚なども見ることができます。また、水族館に続く散策道は、長崎の里山を再現したビオトープになっていて、草地、棚田、湿地、果樹園、小川、渓流、落葉樹林、常緑樹林といったゾーンごとの自然を体験できます。湿地ではスイレンの花が咲き、棚田にはメダカがいて、渓流ゾーンではアカテガニを見つけてうれしそうにはしゃぐ子どもたちの姿がありました。  長崎ペンギン水族館は、コンパクトな水族館ですが、ペンギンをきっかけに世界の海を知り、陸の生き物にも思いを馳せられる魅力的なネイチャースポットです。ぜひ、お出かけください。

    もっと読む
  • お客様の声

    ごちそうさまでした!ありがとうございました。お土産で頂きました。とても美味しく、子供たちはちゃんぽんが気に入り野菜も沢山食べてくれ、親としてはとても嬉しかったです。埼玉県 A・T様

    もっと読む
  • 第679号【七夕とそうめん】

     梅雨明けが近づくと、雷鳴をともなう豪雨があることが多いですが、先週末から今週初めにかけて長崎を含む九州北部地方はまさにそのような天候でした。天気予報を見ると、これからしばらくは晴れマークが並んでいます。しかも、気温は北上する台風などの影響で35度くらいになるとか。暑さ対策を怠らず、体調に気をつけて過ごしたいものです。 梅雨空の下、長崎港に出ると松が枝岸壁にダイヤモンド・プリンセスが停泊中でした。約116千トン、全長290メートルもあるので、長崎港に入ると、その大きさが際立ちます。この7月は、18日(土)、30日(木)にも入港予定。次回は、輝くような夏空の下、大きな白い船体がゆったりと女神大橋をくぐって来る姿を楽しみにしたいと思います。 さて、昨日は「七夕(たなばた)」でした。織姫と彦星が年に一度、再会を許された日、笹竹を用意して五色の短冊を付けたり、天の川は見えるかな?なんて言いながら夜空を見上げた方もいらっしゃることでしょう。ちなみに、笹竹に願い事を書いた短冊を付けて祈る風習は、江戸時代からはじまったとか。その様子は、当時の絵師たちが多く描き残していますが、シーボルトのお抱え絵師として知られる川原慶賀も、長崎の七夕の風景を描きました。興味のある方は、インターネットで検索を。ライデン国立民族学博物館所蔵の作品を見ることができます。 ところで、あまり知られていないようですが、七夕の行事食のひとつに、「素麺(そうめん)」があります。一説には、七夕の頃は麦の収穫時期と重なり、その祝いも兼ねて小麦粉で作るそうめんを食べるようになったとか。そのほかの七夕料理としては、笹餅や夏野菜のてんぷらの盛り合わせなどがあります。 「素麺」は、西日本を中心に全国各地に産地がありますが、長崎県では全国屈指の生産量を誇る「島原手延べそうめん」が有名です。のどごしや口あたりがよく、とてもおいしいです。 一年を通して常備しているご家庭も多い、素麺。そのルーツは、平安時代に中国から伝わった「索餅(さくべい)」という、縄で編んだような形のお菓子だという説があります。それは、現在、長崎で「よりより」の名で親しまれている中華菓子とそっくりの形をしています。もしかしたら、「よりより」と素麺のルーツは同じかもしれません。 余談ですが、ここで「よりより」の形から連想した野の花をご紹介します。ちょうどこの時期、全国各地の道ばたや公園などの草むらで見かける小さな花で、螺旋状に花を咲かせることから「ネジバナ」と呼ばれています。高さは10〜40センチほど。螺旋は右巻き、左巻きと両方あり、ときには、巻き損ねたタイプも見かけます。ランの仲間で、白い1枚の花びらの上にピンク色の花びらが重なり、たいへん美しい。足元の草地でちょっと、探してみませんか。  さて、かつては旧暦で行われていた七夕行事。今年の旧暦7月7日にあたるのは、8月19日。お盆が過ぎ、かすかに秋の気配を感じる頃です。冷やしそうめんを食べ、涼しい夜風を浴びながら、南の星空を見上げてみませんか。いにしえの伝説やめくるめく森羅万象に思いを馳せるひとときは楽しいものです。

    もっと読む
  • お客様の声

    夫の出張のお土産で初めてみろく屋さんのちゃんぽんを食べました!子ども達は早く食べたい!と言ってその日の夜ごはんにすると「もうないの?」と言うくらい気に入っていました!!京都府 I・T様春休み、子ども2人(8才・6才)のごはん問題に悩んでいるところ頂きました。キャベツ・玉ねぎ・しめじを追加して出したところ、いつも野菜を頑なに食べない子どもが2杯食べてくれました。(もっとあれば食べれたと思う・・・)神奈川県 R・N様

    もっと読む
  • 第678号【2026年アジサイの季節】

     長崎県を含む九州北部地方は、6月4日に梅雨入り。昨年の梅雨入りは、かなり早い5月中旬でしたが、今年は平年並みでした。街角では目にも涼しい青紫のアジサイが、道行く人々の目を楽しませています。この時期、開花している花々はアガパンサス、タイサンボク、クチナシ、ザクロなどなど。どの花も美しく、雨の日の気分を和ませてくれます。 梅雨の晴れ間に中島川沿いを歩けば、甲羅干しをしているカメや羽根を広げて虫干しをしているアオサギの姿が。みな貴重な晴れ間をムダにしません。眼鏡橋界隈では、いろいろな種類のアジサイが設置され、多くの人がスマホでの撮影に夢中になっていました。 アジサイの季節になると、足を運びたくなるのが、長崎市鳴滝にある「シーボルト記念館」です。シーボルト(1796-1866)は、江戸時代後期に出島のオランダ商館付の医師として来日。西洋医学や博物学を伝え、日本の近代化に大きく貢献したことで知られています。アジサイはそんなシーボルトのゆかりの花。シーボルトが帰国後に著した『日本植物誌』のなかには、「Hydrangea otaksa」という学名を付けたアジサイが載っています。これは、妻のお滝さんの愛称「オタクサ」によるもの。美しいアジサイに、遠い異国の人となった最愛の妻のイメージを重ねたのでしょう。 シーボルト記念館の広い庭園の中央に設けられたシーボルトの胸像は、アジサイに囲まれていますが、年を重ねた株のようで、花は以前より小ぶりになっている印象です。アジサイは、落葉低木の多年草で、冬場は枯れて葉を落としますが、適切な剪定と水やりで何十年も花を楽しめます。シーボルト記念館の古株のアジサイも、味わいのある風情を漂わせていました。 ところで、シーボルト記念館の庭園の入り口付近には、「シーボルトの木」が植えられています。この木は、シーボルトが帰国後に、鳴滝塾跡の周辺に生えていた木を移植したもので、当時、牧野富太郎博士(1862-1957)によって新種と判断され、「シーボルトの木」と名付けられました。それから約60年後の1966年、中国原産の「クロウメモドキ」であることが判明。シーボルトが薬木として中国から取り寄せ、鳴滝やその周辺に植えられていたと思われるそうです。低い木なので、つい見過ごしてしまいそうですが、シーボルトと牧野博士をつなぐエピソードを持つ貴重な木です。  さて、季節がめぐるなか、雨にも風にも負けず、着々と工事が進められているのが長崎駅前界隈です。先月15日に、かねてから工事中だった駅前広場(長崎駅東口)の歩道橋が完成し通行できるようになりました。今後、歩道橋下の広場の整備が行われます。この「長崎駅東口多目的広場」の完成は、来年の夏だそう。本当に楽しみです。

    もっと読む
  • お客様の声

    みろくやのちゃんぽん・皿うどんは、変わらないおいしさで食べるたびに、ほっとする味です。長崎の祖父母から贈られてくるたびに箱を開ける瞬間から嬉しく、遠く離れていても気持ちがつながっているように感じています。我が家にとっては特別なごちそうです。神奈川県 R・O様

    もっと読む
  • 第677号【初夏の花便り グラバー園のバラ】

     朝晩は肌寒さが残るものの日中は初夏の陽気。長崎の市街地を囲む新緑の山々から心地よい風が吹き抜けていきます。諏訪神社(長崎市上西山町)に参ると、バナナに似た甘い香りが鼻先をくすぐりました。これは、カラタネオガタマの花の香り。日当たりのいい参道脇で、たくさんの花を付けていました。 長崎の街のあちらこちらで青い実を付けたビワの木を見かけるようになりました。固い実は次第に熟し、梅雨直前に食べ頃を迎えます。昔からビワは、実も葉も種も薬効があるとして、民間療法に用いられてきましたが、日差しに向かって、たわわに実を付ける様子を見ると、確かにパワーのある植物だなと思います。ちなみに、友人宅では庭になったビワの実を食べた後、その種を使って焼酎漬けを作っています。しばらく漬け込んで琥珀色になった焼酎は、あせもや筋肉痛、傷跡の痛みなどに塗布するといいとか。友人は、「種を捨てるのがもったいない」と、毎年欠かさず作っています。 さて、ゴールデンウィークの最終日、バラが見頃を迎えたグラバー園へ行って来ました。幕末・明治期に建てられた洋風建築物と石畳や石段の通路が、異国情緒あふれるノスタルジックな景観を生み出しているグラバー園。訪れた人々は、色とりどりのバラの芳香に足を止めながら、散策を楽しんでいました。なかでも、旧リンガー住宅前では、長崎港を背景に美しいバラを楽しめ、写真を撮る人の姿が後を絶ちませんでした。 長崎港を望む丘の斜面に造られたグラバー園。園内には、もともとこの丘に自生していた樹木も多く残され、美しい景観を創っています。生い茂る新緑の間から見えたのは、長崎港の対岸にある三菱長崎造船所の「ジャイアント・カンチレバークレーン」です。1909年に日本で初めて建設された電動クレーン(英国アップルビー社製)で、いまも現役で使用されています。150トンもの荷重を吊り上げる能力は、当時のままだそうです。 「ジャイアント・カンチレバークレーン」は、2015年に登録された世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産のひとつです。幕末から明治期にかけて、造船・炭鉱を中心に日本の近代化を支えたその遺産群は、グラバー園にもあります。それは、日本最古の木造洋風建築として知られる「旧グラバー住宅(1863年建設)」です。日本の近代化に大きく貢献した英国人貿易商のトーマス・ブレーク・グラバーは、ここに住まい、ビジネスの拠点としました。  幕末から明治へ、激動の記憶を秘めた旧グラバー住宅。ここで、幕末の志士らとグラバーとの間で、緊迫したやりとりがあったかもしれません。園内では、そうした歴史など知る由もない美しいチョウたちが、蜜を求めて花から花へ飛び交っていました。

    もっと読む
  • お客様の声

    お土産でいただきました。家にあった残り物の野菜をたくさん入れて、ボリュームたっぷりでとてもおいしかったです。スープも全部飲み干しました!麺もモチモチで食べごたえたっぷりでした!!京都府 A・F様「手軽」というイメージはなかったのですが、インスタントラーメンでは満たされない、子供たちの胃と親の想いをちゃんぽんで満たせたかなと思います♡神奈川県 S・K様

    もっと読む
  • 第676号【諫早公園のつつじと本明川のオオバン】

     4月はじめに満開となった長崎の桜は、ただいま葉桜へ移行中。桜が散ってしまうのは寂しいですが、新緑の季節がはじまり、いろいろな花が次々にシーズンを迎える喜びが待っています。散ったばかりの桜の花びらが地面を覆う諫早公園では、つつじが見頃を迎えました。  諫早市の中心部に位置する諫早公園(諫早市高城町)。公園のシンボル、諫早眼鏡橋(国指定重要文化財)のたもとには色とりどりのつつじが咲いていました。公園のつつじは、大正時代に地元の有志によって植栽されたもので、現在、約3万本もあるとか。この日は「諫早つつじ祭り」の開催日で、会場となる諫早公園では、野点や出店などの準備が整えられ、朝から多くの人々が訪れていました。  諫早公園は、戦国時代の領主が築いた山城があった丘稜(周囲約1km、標高約50m)一帯を整備してつくられました。自然林に覆われた丘稜は、「諫早市城山暖地性樹叢(いさはやししろやまだんちせいじゅそう)」として国の天然記念物になっています。丘の頂きまで続く石段を登りきると、樹齢600年以上の大クスが青葉を茂らせていました。この大クスの根元付近には、貴重な植物というヒゼンマユミの樹が生えていました。その場に居合わせた地元の女性が、「兄の大クスが、妹のヒゼンマユミを守っているみたいに見えるでしょ」。晩秋に付けるというヒゼンマユミの黄褐色の実が小枝に残されていました。 今回、諫早公園へは諫早駅近くを流れる本明川に出て、川沿いに設けられた歩道を歩いて向かいました。途中、コガモ、マガモ、シラサギなど、水鳥を中心に10種類ほどの野鳥を確認。その中に、先月、長崎港で見かけた渡り鳥のカンムリカイツブリもいました。カンムリカイツブリは、春になっても渡らず、留鳥になる個体もいるそうなので、本明川に棲み着いているのかもしれません。 うれしかったのは、「幸せを運ぶ黒い鳥」と呼ばれるオオバンを見かけたことです。長崎市内ではまだ確認したことがありません。オオバンは、全体が黒い羽毛に覆われ、くちばしと額だけが白い。たいへん温厚な性格で、自分が採って来た餌をほかの鳥に横取りされても怒ったり、争ったりしないとか。再び潜水して自分の分の餌を採りに行くそうです。そんな平和的な行動が、「幸せを運ぶ」と言われる由縁のようです。   実際、そうした性格が垣間見える場面に遭遇しました。小魚の群れが近づきシラサギとカワウが競うように餌を採りはじめたとき、近くにいたオオバンは、餌採りに加わらず、そっと離れていきました。また、川面をスイスイと移動中、カンムリカイツブリが進路をふさぐようにやって来ると、道をゆずり、後ろからゆっくり進んでいました。オオバンの行動は、いろいろな生き物が同じ川で共存するために、競わず、ゆずり合うことが大切だと知っているかのようです。人間界にもオオバンみたいな人が増えるといいですね。

    もっと読む
  • お客様の声

    初めて皿うどんを頂き、家で作りました。初めに野菜とその他具材をさっと炒めるだけで味もとろみも決まり感動しました。中華がひとつ私の得意料理になりました(笑)おいしかった~福岡県 Y・N様野菜や肉、魚介がたくさん入っていたのでびっくりしました。作り方も簡単で美味しく頂きました。冷凍とは思えないクオリティでした!子供達も「おいしい」と言ってたくさん食べました野菜もたくさんとれるので、親としてもうれしいです。埼玉県 T・S様

    もっと読む
  • 第675号【スミレとカンムリカイツブリ】

     長崎地方の菜の花は、2月中旬に咲きはじめました。長らく少雨状態が続いていましたが、その後、春の嵐とともに断続的に雨が降るように。後から思えば、これが、菜種梅雨だったのかもしれません。菜種梅雨とは、3月中旬から4月にかけて降る、春の長雨のこと。菜の花の咲く時期と重なるため、そう呼ばれるようになりました。早々と春の雨の季節を終えた長崎は、三寒四温で着々と次の季節へ移行中です。  まちを歩けば、色とりどりの春の花々が気分を上げてくれます。長崎市役所の19階展望フロアへ、スミレの咲き具合を見に行きました。ここには、数本のサルスベリの木が植えられた庭園があり、春になると庭園の土にもともと混ざっていたと思われるスミレが一斉に花を咲かせます(スミレの種は土作りの際に使われることがある)。庭園の芝生は、まだ冬枯れ状態でしたが、その合間から元気に多くのスミレが咲いていました。 3月初めの雨上がり、長崎港湾沿いを歩いていると、海上に浮かぶ鳥の小群れに気付きました。ときおり細長い首を伸ばし、ひんぱんに潜水しては小魚をくわえて上がって来ます。図鑑で調べると、カンムリカイツブリという水鳥で、中島川に冬鳥として渡って来ることがある「カイツブリ」の仲間であることがわかりました。大きさは、マガモよりやや小さいくらい。今回、見かけた個体の羽毛の色は、ベースは白、背中は灰色、そして、頭頂部は黒く、名前の通りカンムリのようでした。 ネットで調べると、カンムリカイツブリは、「北海道から九州まで分布する鳥」で、長崎県では、「冬鳥として秋から春にかけて飛来」、「宇久島、福江島、長崎市野母崎樺島などで確認されている」とありました。かつては、冬にユーラシア大陸からやって来る渡り鳥だったそうですが、近年、日本で繁殖する群れも現れ、留鳥となっている地域もあるとか。今回、長崎港で見かけた小群れは、そろそろ温かくなって来たので、北へ帰る途中だったのかもしれません。 この春、長崎港界隈には、もうひとつ注目の話題があります。「大浦海岸通り」に面した場所に建つ「旧長崎英国領事館」(国指定重要文化財)です。なんと11年にも渡る保存修理を終えて、今年1月末に開館しました。明治41年(1908)建造の赤レンガ造り。均整のとれた外観デザインで、正面左右の2階部分に設けられた丸窓が、目のように見えて親しみを感じます。建物は、戦後、長崎市が購入。児童科学館や野口弥太郎記念美術館として活用されました。 設計は英国人、建設は日本人技術者たち。一見、西洋風ですが、屋根は瓦が使用され、和洋の建築文化が調和した建物です。本館1階は、領事事務室、書記室、応接間、食堂など。階段や床、調度品など、古き良き英国のしつらえを体感できます。壁の色やタイルなどは、可能な限り建築当初の姿を目指して施工されています。仕事の丁寧さは素人目にもわかるほどで、当時の日本人技術者と、今回の保存修理に携わった現代の技術者に敬意を表したくなります。 居留地時代の長崎の様子が垣間見える旧長崎英国領事館。何度も訪れ、じっくり味わいたい、長崎観光おすすめスポットです。

    もっと読む
  • お客様の声

    初めて皿うどんを食べた3歳の息子が大喜びでした!親としても野菜をたっぷり食べてくれるのでとてもうれしかったですちゃんぽんもスーパーで買うよりおいしく、また食べたい味でした島根県 H.H様

    もっと読む
  • 第674号【節分と長崎ランタンフェスティバル】

     2月3日節分の日の夕刻、役目を終えた正月飾りやお札を持って、諏訪神社(長崎市上西山)へ。すでに大きな炎を上げていた鬼火焚きの中へ投げ入れ、炎にあたりながら無病息災と家内安全を祈願しました。そのあと、徒歩圏内に点在する松森神社、桜馬場天満神社、伊勢宮神社、宮地嶽八幡神社、そして興福寺にも足を運び、それぞれの節分行事の様子を見て回りました。 真冬の夜にも関わらず、どこも境内を埋め尽くすほどの人出。鬼火焚きのかたわらで、年男・年女による豆まきや、ぜんざいなどの温かいものも振る舞われ、なごやかな雰囲気が漂っていました。世代を問わず、大勢の人々が繰り出す節分の行事ですが、翌朝には何事もなかったようになるから不思議です。この伝統行事はこれからも脈々と受け継がれていくのでしょう。 この冬は、連日の北国の大雪のニュースに心が痛みます。一方、九州は、時折強い寒波が到来するものの、雪や雨が少なく乾燥した状態が続いています。今月最初の日曜日、今季最強の寒波が訪れましたが、長崎では、平地にうっすらと雪が積もる程度でした。その日、小雪が舞うなか背中を丸めて中島川沿いを歩いていたら、川石の上からじっと水面をにらむカワセミを見かけました。まん丸に羽毛を膨らませた姿がかわいい。どうやら、稚魚を狙っているようです。野鳥って、本当にたくましいですね。 さて、長崎はいま「2026長崎ランタンフェスティバル」を開催中(2/6〜2/23迄)です。長崎市内の中心部に、約1万5千個に及ぶランタンやオブジェが飾られ、夕刻になると極彩色の幻想的な灯りで彩られます。 長崎の冬の風物詩「長崎ランタンフェスティバル」は、これまで、旧暦の元旦から開催されていましたが、旧暦元旦は、西暦にすると1月下旬から2月の間で年ごとに変わるため、今年から2月の第1金曜日から17日間の開催に固定化されることになりました。(今年は、最終日の翌日が祝日になるため1日延長して18日間の開催。)この期間なら、春節(旧暦の正月期間)と重なる日もあるので、これまでどおり、旧暦新年を祝うことができますね。 新地中華街会場の湊公園には、大きな干支のオブジェ『龍馬精神(りょうませいしん)』がお目見え。龍のように天を駆け、馬のように地を駆ける、若々しく活気に満ちた精神が表現されています。『龍馬精神』という言葉は、健康や活力願うときにも使われるそうです。ランタンフェスティバル開催期間中の平日には、市中心部に設けられた複数の会場で、龍踊りや二胡演奏、中国変面ショー、土曜日には「皇帝パレード」、日曜日には「媽祖行列」とさまざまな催しが展開。毎日、見どころ満載です。  道なりに、どこまでも連なるランタンは、まるで龍のよう。空中を縦横無尽に泳いで、ランタンのまちを楽しんでいるかのようです。あなたも、さっそく、お出かけになりませんか。

    もっと読む

検索