第175号【出島の料理部屋】
久しぶりに出島へ行ってきました!さすが、長崎の人気観光スポット、小学生からお年寄りまで大勢の観光客で賑わっていましたよ。
出島は今、復元計画が進められていて建物も街並も19世紀初頭の再現をめざしています。すでに出島西側には、オランダ船の船長が宿泊した「一番船船頭部屋」、へトル(商館長次席)が居住した「ヘトル部屋」、砂糖などの輸入品をおさめた「一番蔵」、染料などをおさめた「二番蔵」、そしてオランダ商館員らの食事を作った「料理部屋」の5棟が復元され一般公開しています。
今回は、その中から「料理部屋」をクローズアップしてみましょう。「料理部屋」といっても、家屋の一角にあるのではなく、小さな木造の平家建てです。中に入ると、板張りの床に調理台として使った大きなテーブルがあり、煮炊き用のかまどが2つ。
天井は漆喰(しっくい)を塗って防火策が施され、屋根には煙出が付き、さらに壁の上部には板がすき間を作って張られ風通しよくなっています。
出島にいたオランダ商館員ら十数人分の食事が一日に2回、ここで作られ、その隣に建つカピタン部屋(商館長の住まい)に運んで食べていたようです。
この調理室はシーボルトのお抱え絵師だった川原慶賀による「唐蘭館絵巻・調理室図」(長崎市立博物館所蔵)をもとに再現したものです。ソーセージやハム(塩漬け肉)といった食材を作っている様子が描かれています。
広いテーブルでお肉を刻む複数の商館員や、かまどの火にかけた大鍋をかき混ぜている日本人、鍋の中の料理を瓶(かめ)に移している日本人、すり鉢でスパイスらしきものをすっているちょんまげ頭の日本人と商館員の従者。その他、オランダ商館員がレシピらしき本を読んでいたり、とらえた豚にナイフを突き刺して血抜きをしている様子などが描かれています。この絵は当時の食文化を知る情報が満載のようです。
この料理部屋で、スープやパンなど当時としては珍しい数々の西洋料理が作られました。その食事づくりには前述のように3人の日本人が雇われていました。その彼らによって数々のオランダ料理が長崎の町に伝えられたのでした。
興味深かったのは、オランダの調理道具です。ヨーロッパでは17世紀から19世紀末まで調理道具はほとんど変化がないそうで、その頃の真鍮や銅製の鍋、やかんなど、まさにアンティークなスタイルの道具が棚に並んでいました。いずれもシンプルでお洒落なデザイン。当時の人の美意識の高さが伝わってくるようです。
◎参考にした本
「よみがえる出島オランダ商館」(長崎市教育委員会)
「出島~異文化交流の舞台」(片桐一男)