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  • 第143号【クサっちゃう話!  ~鯖腐らかしの岩と尻腐れの浜~】

    降っては止み、止んでは降るスッキリしないお天気ですね。 こんにちは、こみくらです。こんなお天気じゃ、あぁ身も心もクサりそう…と思っている方はいませんか?  この際、思い切ってクサっちゃいましょう!!  さあさあ、こみくらがご案内するクサっちゃうスポットへどうぞおいでくださいませ。 まずは、国道206号線から見える奇妙な岩。俗名「鯖腐らかしの岩」。 今も昔も時津街道の名物です。「ほら、あれが鯖腐らかしの岩」と言うと、 ほぼ間違いなく相手から「知っとっさ!」と返されるくらい長崎では有名。 ( ̄∇ ̄)/Back No.128号(WEB版)モゴ覧下サイ。 次は、大瀬戸町の尻腐れの浜(尻久砂里浜)… え、お尻がくさっちゃうの!?  面白い名前ですが、「お尻が腐れるまでずっと座って眺めていたいほど、きれいな浜」ということに由来しているそうです。 名前に反して、いえ名前の通りというべきでしょうか…(ややこしいなぁ)澄んだ水と白い砂は本当にきれい。 木陰を渡る風はさわやか。彡彡(´ー` )ウットリ… 引き潮になると、岩場の潮溜まりでは、イソギンチャクや小魚なども発見! 砂浜のすぐそばには、炊事棟やトイレ、シャワーなどの設備をはじめ、 テントサイトもあり、海水浴やキャンプもOK! d(≧∇≦) 街の喧騒もここまでは届きません。夜になると、聞こえてくるのは虫の音と波音だけ。 星空も眺めながら、身も心もリフレッシュ!!う~ん、梅雨明けが待ち遠しいですなぁ。※施設のご利用は事前予約が必要です。詳細は尻久砂里海浜公園キャンプ場へお問い合わせください。▲今も昔も長崎街道のシンボル▲キレイな海に青い空取材日、天気で良かった~▲遠浅の静かな入江には親子連れがチラホラ。

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  • 第142号【雨の日は雨と遊ぶ ~龍頭泉と小崎侃美術館~】

     6月に入り梅雨も間近。こんにちは、こみくらです。 梅雨を好きな方は少ないと思いますが、自然にとっては恵みの雨そのもの。 ひと雨ごとに緑も濃くなっていく今の時期にこそ、外に出て自然観賞はいかがでしょうか? 東彼杵町の千綿渓谷の上流にある「龍頭泉(りゅうとうせん)」と呼ばれる滝は、 江戸時代の儒学者、広瀬淡窓(ひろせ・たんそう)が渓谷を訪れたとき、 この景観を伝説の龍に例えて命名したそうです。 龍のように轟々とうなる滝や岩の上を流れる渓流の「動」と緑の木々の「静」の対比が、別世界に誘います。 しとしとと、そぼ降る雨の中に佇むと、まるで山水画の中にいるような気分。、ヽ`、ヽ``、ヽ```ヽ、T(^-^)傘ハオ忘レナク。 雨がひどくなったら、山の中腹にある侃(かん)美術館へ、急ぎましょう。 龍頭泉の奥、巨大な奇岩と原生林の中に朱色の屋根が見えてきます。 長崎在住の版画家・小崎侃さんの美術館です。 侃さんの作品は「山頭火」「原爆」「葉隠」シリーズの作品が有名ですが、 美術館には版画の他、油絵、書、彫刻なども展示されています。 山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆうべもよろし  山頭火 漂泊の俳人、種田山頭火の詩と小崎侃の版画、そして窓から見える渓谷の 自然に心を縦横無人に遊ばせたなら、渓谷にかかる虹を見ることができるかもしれませんよ。※侃美術館へ入館は事前予約が必要です。▲四季折々、様々な表情を見せる滝(龍頭泉)▲千綿渓谷には48の淵がある▲大正モダンを感じさせる和風建築の侃美術館

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  • 第141号【♪ほ・ほ・ほ~たる・来い。】

     え?!もうそんな時期?と驚いているあなた。 ホタルといえば、夏の風物詩なんてのんびり構えていませんか?  ホタル観賞時期は、地域や種類で多少、異なりますが、5月下旬をピークに前後の約一ヶ月。 今が一番、美しく輝いていますよ。 長崎のホタル観賞スポットは数々あれど、こみくらオススメは… あぁ、教えたいような、教えたくないような…ゆれる女心ですわ… (思い切って)ええい、ここだぁ!西彼杵郡多良見町西河内名。 目指すは「遊びの家共同保育園」。 高速道多良見インターチェンジ近くから、喜々津川沿いを山奥目指してどん詰まりにある、 昔ながらの民家を利用した保育園です。 この保育園の前を流れる川には、毎年かなりの数のホタルが出没とのこと。 こみくらも期待をふくらませて川辺へ。時計は7時半を少し回った頃、 日暮とともに、ほのかな蛍光グリーンの瞬きが少しずつ増えてきました。 静かに灯る姿はとても幻想的です。 そして日もとっぷり暮れた頃、クリスマスツリーのように、 沢山の灯りがリズムを合わせて輝きだしました。 (☆ー☆)ンー大満足!▲左側にある川がお薦めホタルスポットです▲民家を利用した遊びの家共同保育園(..;ホタルの写真が撮れなくてゴメンナサイ……

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  • 第140号【チャッチャカ・ちゃっちゃ・長崎のお茶!!】

     夏も近づく八十八夜♪ 新茶のおいしい季節ですね。 長崎とお茶の歴史は古く、平安時代末期の頃、 遣唐使の時代に禅僧・栄西が大陸から平戸の地に禅とお茶を持ち帰ったのが始まりで、 それらが後に本格的なお茶の栽培として、全国各地に広まったといわれています。 幕末には、長崎市油屋町に住む大浦慶(おおうらけい)という女性が、 日本で始めてお茶の貿易を手がけ、一代で巨万の富を築きました。 当時、世界市場においては、お茶は嗜好品として珍重され、 日本に来た外国商人たちは、喜んで日本緑茶を買い求めたそうです。 かの有名なトーマス・グラバーも、大浦海岸居留地に、大規模な製茶工場を建て、お茶を輸出しました。 長崎県産のお茶は、霧の発生しやすい山間で主に生産されており、 その代表的な銘柄には「そのぎ茶」と「世知原茶」です。 ともに「蒸製玉緑茶」で深みの有るふくよかな香りが特徴です。 八十八夜、つまり5月の初旬に収穫される新芽が、一番茶。 梅雨明け後、7月に収穫されるのが、二番茶。最後に8月ごろに収穫されるのが三番茶。 美しい緑色と格別の香りが味わえるのは一番茶。 二番茶、三番茶となるにしたがって、黄色になってきます。黄色はカテキンの色。 動脈硬化、老化防止、発ガン性予防などの効果があるといわれるカテキンが一番多く含まれるのは、三番茶です。 お茶をおいしく入れるコツは、一杯分をじっくり愛情込めて入れることだそうです。 さて、とっておきの一杯を、あなたは誰に入れてあげますか?▲美しく刈り込まれた緑の茶畑▲摘みたての生茶(なまちゃ)▲生茶を蒸しているところ

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  • 第139号【初夏の味と女の子 ~シオちゃんはエライ!!~】

     こんにちは。初夏を迎え、日差しもギラギラしてきました。 この時期、期間限定の長崎の味と言えば、ズバリ茂木ビワ!  冷蔵庫でほどよく冷やすと、最高にうまぁい!!  今日は、茂木ビワにまつわる女の子のお話をご紹介します。 1818年(文政元)、三浦シオは、現在の長崎市北浦町(もと茂木町)の百姓、吉右衛門の次女として生まれました。 シオが代官屋敷に奉公に出されたある日のこと、代官へ唐人船船主から中国のビワが贈られました。 シオはその種を持ち帰り、自宅の庭に蒔いて育てました。 当時、日本には在来の野生種のビワがありましたが、実も小さく渋い味でした。 もしかすると、おいしそうに食べる代官たちの様子を、シオはそばで見ていたのかもしれませんね。 シオの育て方が良かったのか、気候に恵まれたのか…中国ビワは異国の地でも甘く美味しく育ちました。 1850年(嘉永3)、隣家の山口権之助が枝をもらい、接ぎ木をします。 その後も、三浦万次郎や三浦八十八らをはじめ、接ぎ木は繰り返され、中国ビワは次々と繁殖しました。 (^-、^)オイシイ噂ハ早カッタ!? まさか時を経て長崎県を代表する果実にまで成長するとは、シオも予想だにしなかったことでしょうね。 ちなみに、明治30年2月21日、シオは家族に囲まれ、80才の高齢で亡くなったそうですよ。 ( ̄∇ ̄)長寿もビワのお陰?※参考文献 文献社発行「長崎の女たち」長崎女性史研究会著▲私たち傷つきやすい青い果実なの▲傷つきやすいビワの実は袋の中で育ちます。▲採れたての茂木ビワ

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  • 第138号【激動の歴史とそろばんドック】

     こんにちは、G.W.はいかがお過ごしでしたか? 今回は、5月の風に揺れる新緑と赤レンガの美しさに惹かれて訪れた、 小菅町(こすげ)のそろばんドックをご紹介します。 頃は幕末、ペリー来航を機に日本は鎖国を解き、国防を目的とする海軍の設置、軍艦の建造が始まります。 当時、幕府をはじめ、土佐や薩摩なども軍艦を有しますが、修船場がなく、 せっかく購入しても就航できない船も多かったことから、この地に白羽の矢が立てられました。 そして、まさに歴史の転換期の明治元年12月竣工。 以来、数多くの傷ついた船がここで癒され、再び大海へと船出しました。 あの有名な咸臨丸がここで修理された折には、明治天皇も訪れたそうです。 その後、対岸地区に官営の造船所(長崎三菱造船所の前身)ができ、 次第に業務は先細り、大正9年には廃止状態となりました。 再び、活躍したのは大戦を機に昭和12年。またもや歴史の転換期でした。 大戦中は軍用艦艇や魚雷艇を建造しましたが、終戦後は細々と漁船の補修場として利用され、 昭和28年に完全に閉鎖されました。 その後、昭和44年に重要史跡として国指定を受けましたが、 グラバー園等の観光施設からも離れているため、訪れる人も無く、ひっそりとしています。 多くの船を送り出すという仕事から解放された今は、静かに時の移り変わりを見守っているのかもしれませんね。▲小菅修船場跡通称「そろばんドック▲現存する日本最古のレンガ作り建物「曳揚小屋」▲護岸の石積みは幕末のもの

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  • 第137号【中国寺で動物探検!?】

     日本のお寺は白黒・グレーのモノトーンの世界ですよね。 これはこれでとても美しい、厳粛で清浄な趣がありますね。 ところで長崎には俗に「あかでら」と呼ばれる朱色の美しいお寺がいくつかあるのをご存知ですか。 これらはその昔、長崎に渡来した中国人らが建立した中国寺なのです。 中でもとりわけ有名なのが鍛冶屋町にある崇福寺。大雄宝殿と第一峰門がそれぞれ国宝。 その他にも護法堂、三門などの建築物の5つが重要文化財という、 その道の専門家にとっては垂涎の的の歴史的遺産なのです。 ところが、そうした見事な細工や意匠にまぎれて、私が気になるのは、魔可不思議な動物たちの存在。 中国の三大聖獣といえば龍、鳳凰、麒麟。 龍は天を駆け巡る力の象徴、鳳凰は聖徳を備えた天子が現れる吉兆、麒麟は聖人の出現の予兆と言われています。 魚とコウモリは、福を運んでくる縁起の良い生き物として、今もお祝い事に欠かせない生き物です。 これらの聖獣、生き物の意味合いを考えながら、建築物のあちこちに装飾として隠れているものを発見していくと、 当時の時代背景や人々の思いなどが、かいま見えてくるようです。 ちなみに、私が発見した生き物は獅子(ライオン)3頭、シャチ18頭、魚1尾、龍5匹、コウモリ8匹、麒麟12頭、鳳凰2羽でした。▲彩色が美しい崇福寺、第一峰▲天(上)にシャチと龍▲石碑に彫られた一対の麒麟▲おまけ1蝙蝠、龍▲おまけ2獅子(ライオン)

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  • 第136号【空と海と大地の力 (牧場の里あづま)】

     こんにちは。学校、会社、サークル活動、習い事…4月から新生活が始めた人も多いですよね。 そろそろ、緊張がピークに達する頃では、ありませんか? こんな時、私こみくらは、空と海と大地に、だあぁと溶けに行きます。 牧場の里あづまは雲仙に向かうグリーンロードを車で10分。 南に分かれる道に入ると、段々畑の、のどかな風景。 やがて、いくつかのなだらかな牧草地の丘を越えて辿りつくのは、なぜか万里の長城。 ミニ版だけど、風景になじんでいい感じです。 車を降りて草の上に腰を下ろし、彼方を眺めれば、 島原半島の根元にある森山町と愛野町が広大な海を二分しています。 こちらもミニ天の橋立といったところでしょうか。 左に橘湾と右に有明海。水平線の向うに心が飛んでいきます。 仰向けに寝転ぶと、草のひんやり感と、徐々に伝わってくる大地のぬくもり。 頭上にはどこまでも広がる果てしない空。白い雲がゆっくりと少しずつ、形を変えていきます。 地球の一部になった自分に、空と海と大地の力が注ぎ込んでくるようです。 再生してきた自分がむくむく起き上がってきましたよぉ。 片手を腰に、こぶしを振り上げここで一発。 「がんばるぞぉ!」さあ、5月に向けてGO!(モーレツに走り出すこみくらであった…)▲万里の長城の形をした展望▲広い敷地に遊戯施設や牧場もあります。

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  • 第135号【レトロ&ハイカラ気分はいかが?】

     こんにちは。G.Wを目前に控え、お出かけの計画は決まりましたか?  今回、私こみくらがオススメしますのは、お金も時間もかけずに、ハイカラ &レトロな気分に静かに浸れる場所です。 観光客がひしめくグラバー園から浪の平町の方へ5分ほど歩いたところに、 ペパーミントグリーンのペンキ塗りの小さな洋館があります。通称、南山手乙 9番館。明治中期に現在地に住宅として建てられたものを復元したものです。 現在は、須加五々道(すか ごごどう)氏の作品を展示する美術館として利用 されています。 作品は、水墨画の技術に西洋美術の遠近法を取り入れた空間の美しさ。そう いえば、この洋館も、日本人大工が造ったもの。和と洋が混ざりあうことで、 ハイカラなのに、どこか懐かしい独特の雰囲気を感じます。 隣にあるレンガ造りの建物は、明治30年代頃、当時南山手の居留地に住んで いた英国人のウォーカー兄弟が、工場として造ったもの。日本初のジンジャー エールやラムネなどの清涼飲料水が、ここで生産されました。2階の重厚な鉄 窓と1階のアーチ型窓のコントラストがレトロな雰囲気を醸し出してます。 今でも、地元の人が親しみを込めて呼ぶ「ウォーカーさんのラムネ工場」その ままの姿で、現在は綱(ロープ)を作る工場になっています。▲通称、南山手乙9番館長崎市須加五々道美術▲須加五々道作品の展示中▲レトロな雰囲気の寶製綱さんは元ラムネ工場

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  • 第134号【神々の集う場所(なかよし神様トリオ)】

     こんにちは。桜の花をかわきりに、つつじに菖蒲、お花見シーズン真っ盛りですね。 さて、「神様」と言ったら、あなたはどんな神様をイメージしますか? 私の場合、受験の時は神社で願かけて、見事合格! 結婚式は教会がいいなぁ。 お葬式は、きっとお寺のお坊さんに来てもらって…。と宗教お構いなしの人生です。(^ ^;)ゞ クリスマスに初詣、七五三、精霊流し、おくんち…。年中行事も、節操なく全て楽しんでおります。 宗教戦争なんてとんでもない! みんなまとめておおらかに楽しむ。 それが長崎っ子の心意気!! そんな気概を感じさせる場所がここです! あの有名な国宝大浦天主堂(1865年建立)。お隣にあるのは、日本中を歩いて測量し、 日本地図を作り上げたという伊能忠敬も立ち寄ったり(1812年)、 日本初の英国領事館にもなった(1859年)という東本願寺派法嶺山妙行寺!  そして、もう1件! 天正年間(1529~1573年)に創建され、 長崎を治めていた大村藩主が武運長久・子孫繁栄のため社殿を建立した(1693年)という大浦諏訪神社。 いやはや、さすがおおらかな土地柄でしょうか。それとも神様のお人柄なのでしょうか。 なんともスケールの大きなお隣さんだと思いませんか?▲お寺から見た大浦天主堂▲お寺と神社の間の道は大浦天主堂に続く

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  • 第133号【長崎は龍の街】

     初めまして!今回からちゃんぽんコラムの新テーマ、★☆ガイドブックにない長崎☆★を担当します、こみくらくみこです。 読んで下さった方が、今よりもっと、 長崎のことが好きになっちゃうような‥そんなお話をお届けできたらシアワセ です。どうぞ、よろしくお願いします。(^0^)/ 思案橋の街灯・ダムのシンボル・ちゃんぽんの丼・神社。この4つに共通す るもの!何だか、わかりますか?実は、「龍(竜)」なんですよ。他にも、ビ ルの壁、商店街のゲート・おくんちの竜踊りなど…、街を歩けば、りゅうにあ たる?!日本全国探してみても、こんなにりゅうを身近に感じる街はないかも しれません。 ところで、「竜」と書くと日本の民話や昔話に登場する水神様の化身、ドラ ゴンといえば、西洋の翼のある火を吐くヤツ、龍は中華料理店やちゃんぽん・ 皿うどんを連想しちゃうのは私だけでしょうか?中国では、龍は古来権力の 象徴とされ、皇帝の住む宮廷の装飾として用いられてたそうです。長崎の竜踊 りは、中国から伝わったものですが、氏神様への五穀豊穣の祈願という点、ど うやら日本の昔話に登場する庶民派の竜のようですね。 さあ、竜が出るか、龍が出るか、はたまたドラゴンが出るか…暖かい日差し を背中にしょって、あなたも街に出かけて探してみませんか?折りしも大陸か ら風にのってやってきた黄砂と春霞にもやった春の空。こんな日はの~んびり 空を散歩する「りゅう」に逢えるかもしれませんよ。▲街灯の上に発見▲町中で見た案内板▲ガードレールの見事な細工

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  • 第132号【勝海舟と長崎】

     明治という新時代の到来に大きな役割を果たした坂本龍馬。 彼と同じ時代を生き、日本を動かした重要人物のひとりに勝海舟(1823~1899)がいます。 海舟といえば1860年「咸臨丸」の艦長として、日本初の大平洋横断航海を達成したことや、 1868年西郷隆盛との話し合いで「江戸城無血開城」を成し遂げた話がよく知られています。 また攘夷論者だった龍馬が、海舟の人柄と先見の明に感銘し、弟子になったことも有名です。 ( ’∇ ’)エピソード多彩ナ人物!▲本蓮寺。この境内にあった庵に海舟は住んだという。 海舟はお江戸の下町、貧乏旗本の生まれ。若い頃、剣術や禅の修行をして心身を鍛え、 オランダの兵学の知識を得るため蘭学を学び、西洋と日本の文化の違いを早くから認識していたようです。 幕末、長崎海軍伝習所(79号参照)の頭取として、30代前半の5年ほどを長崎で過ごしているのですが、 その時、寝泊まりしていた筑後町(長崎駅前)にある本蓮寺には現在、「勝海舟寓居の地」の石碑があります。 (`▽´)/チャキチャキノ江戸ッコデイ。▲海舟寓居の地の碑 下っぱ侍だった海舟が一躍、表舞台へ出るきっかけとなったのは、1853年ペリーの来航でした。 浦賀沖で開国を求める黒船の対応に困り果てた幕府は、その対応策を大名や武士たちだけでなく、町民まで広く求めます。 この時、海舟は、軍制の改革と人材育成、 そして江戸湾における台場建設と軍艦の調達を急いで行うべきだという意見を提出したのでした。 もともと鎖国や士農工商の身分制度をナンセンスだと考えていた新時代の男・海舟の意見は、幕府を動かす力があったようです。海舟はペリー来航から2年後には長崎の海軍伝習所に派遣されたのでした。 そして当初、2年のつもりが、5年も伝習所に勤務したのは、海舟自身、 長崎に留まることで海軍の知識を学び、世界情勢をオランダの教官らから得るためであった、ともいわれています。 長崎での海舟の日常の足取りをちょっとたどってみます。 宿舎の本蓮寺から徒歩20分ほどのところに長崎奉行所立山役所が。 そこからさらに中島川へ下って石橋を渡ると寺町通りに出て、 さらにその先には江戸時代の日本三大花街のひとつだった丸山があります。 このルートで海舟も丸山に通った可能性は大いにあります。 ( ̄∇ ̄;イヤ、キットアル!?▲丸山へ続く思案橋通りで海舟のオブジェ発見 さて寺町通り近くには龍馬の亀山社中があります。 龍馬は海舟が長崎を離れた後、来崎しているのでここでの接点はないようですが、 長崎という町を介して、二人が新時代への夢や希望をふくらませたのは想像に難く有りません。 テヤンディ!(  ̄ O ̄) (^_ ^; )ゲニマコト…◎参考にした本/「長崎事典」、「長崎遊学の標」(長崎文献社)「日本史新聞」(日本文芸社)

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  • 第131号【職人の心映え伝わる長崎刺繍】

     世界各地には民族性がしのばれる伝統刺繍がたくさんあります。 日本には総じて「日本刺繍」と呼ばれるものがあり、 主に着物や帯など和の装いや小物などに施され、その伝統は大切に受け継がれています。 その日本刺繍をベースに、江戸時代に中国等の影響を受けて生まれたのが今回ご紹介する「長崎刺繍」です。 ( ’o ’)ゴ存ジデスカ? 長崎刺繍の代表的な作品はくんちの傘鉾や衣装に見る事ができます。 例えば万屋町の傘鉾の垂れで、海老や鯛などの魚を何匹も繍(ぬ)った「魚づくし」。 そして以前使用されていた桶屋町の傘鉾の垂れで「十二支」を刺繍したもの。 同じく東古川町の川船の船頭の衣装に施された「龍」などです。▲東古川町(川船)、船頭の上着 こよりや和紙で厚みや膨らみを作り、ときにガラスや金属を使って生み出す立体的な表情。 華やかな金糸・銀糸をふんだんに、シルク糸の光沢も存分に活かした独特の刺し方で、 龍や魚などの絵柄は今にも動き出しそうな躍動感にあふれています。 貿易で栄えた長崎の町の裕福ぶりが伝わる贅沢な美しさはまさに豪華絢爛。 (☆o☆)日本刺繍ヨリ、キラビヤカ!▲同じく川船、船頭用 現在、長崎でただひとり、その伝統を受け継いでいる嘉勢照太(かせてるた)さんにお話を伺いました。 「長崎刺繍は、絵師、彫師、摺り師がいる木版画に似て、絵師、繍師(ぬいし)、そして全体を仕立て上げる人がいます。 その中で絵師の力というのはとても大きかった。 いわば長崎絵師の力の上に成り立っていたという事がひとつ言えるでしょう」。 当時の長崎は海外の絵や文物を模写していた唐絵目利きをはじめ、川原慶賀に代表される町絵師たちも、 当時の日本にはない奥行き感のある絵を描くなど、爛熟した文化がありました。 そうした絵を元にさらに繍師が糸という素材から創造を重ねたのです。 「100年や200年経ても魅力を発し続ける作品があります。 そこには職人の気骨、ものづくりに対するこだわりがあるんです」。 長崎刺繍は、効率一辺倒の時代からすれば正反対の位置にあり、本当に贅沢なものだとおっしゃる嘉勢さん。 現在は万屋町の「魚づくし」のレプリカづくりに取りかかっています。 ( ’∇’)「魚づくし」ハ長崎刺繍ノ代表的作品デス▲嘉勢さんが制作している万屋町「魚尽し」の鯛の下絵。 「ありがたい縁でこの仕事に出会いました。制作は10年程かかる予定です」。 嘉勢さんは、熟達した職人の作品は見れば見るほど新しい発見があると言います。 一針一針に精魂込める職人の息遣いや心映えが伝わって来る長崎刺繍。 「皆さんに、よく見て楽しんでいただくことが何よりの応援です」とおっしゃっていました。 <(_ _)>貴重なお話、ありがとうございました。

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  • 第130号【みさき道は、抜け荷の道?】

     長崎から長崎半島を南下して西彼杵郡野母崎町脇岬に至る約28kmの古い街道をご存じですか? この道は「みさき道」と呼ばれ、江戸時代は脇岬にある観音寺へ参詣するための道でした。 この観音寺は京都の御室仁和寺(おむろにんなじ)の末寺とされ、当時の観音信仰の一大霊場だったそうです。▲野母崎町脇岬の観音寺風待港もすぐ近くです。 鎖国時代の長崎の人々は物見遊山、今でいうハイキングに近い感覚で参詣し、 おおむね1泊2日の行程で行き来していました。 中には朝暗いうちに出発して参詣を済ませ、 夕方には戻ったという健脚もいたというから驚きです。(^^; みさき道は唐人屋敷にほど近い十人町から始まります。 そこの坂段を上り、東山手から石橋へ下り、出雲町~二本松~戸町中学校~ダイヤランド~土井首 郵便局~深掘町~大籠町~三和町(西彼杵郡)~蚊焼峠~黒岳~野母崎町殿隠山 ~堂山峠~観音寺というルートです。( ’ー’)分カル人ハカナリノ長崎通!?▲十人町の坂段に残されたみさき道の道標(緑の掲示板横) 現在のみさき道は、車道になってるところもありますが、山あいや小高い丘をいく土の道も多く、 便利なハイキンググッズに身を固めた現代人でもその道のりはかなり大変そうです。 道筋にはこの街道の整備に出資した「今魚町」(現在の魚の町)の町名が記された道塚が数カ所残されています。 みさき道のスタート地点、「十人町(じゅうにんまち)」の町名はちょっと変わってます。 江戸時代、脇岬にほど近い権現山で長崎港に入港する外国船を見張るための「遠見番所」に勤める役人が10人いて、 交代で勤務する彼らの役宅10軒がこの町にあったからだそうです。 ( ̄∇ ̄;;通勤ガ大変ダネ この「権現山遠見番所」は、島原の乱で一揆軍を攻め落とした直後、 幕府がポルトガル船の来航を見張る為に設けたのが始まりです。 さらに長崎半島には海防警備のため台場や番所が全国に類を見ないほど何カ所も設置されました。▲遠見番所があった権現山からの眺め。左端に軍艦島が見える。いわばこの一帯は日本屈指の要塞地帯だったのです。 みさき道はそういったところへ勤める役人らの通る道、いわば軍事の道でもあったといえます。 またみさき道は、抜け荷(非合法な商取引)の道ともいわれています。 脇岬が唐船の風待港だったことから、その時を利用して抜け荷をやる人が観音参りと称してこの道を往来したというのです。 抜け荷は発覚すると遠島(島流し)などの厳しい処罰を受けましたが、 それでも魅力は大きかったらしく、あとを断ちませんでした。 抜け荷といえば、もと遠見番が、仕事を辞めた後も役宅の近くに住み、 そこから唐人屋敷まで穴を掘って品物を得、抜け荷をしたという珍事件が長崎奉行所の犯科帳に記されているそうです。 (・・)/遠見番ハ薄給デ暮ラシモ厳シカッタヨウデス。◎参考にした本と資料「わが町の歴史散歩(1)」(熊 弘人著)「長崎ぶらり散歩」(原田博ニ著)「白帆注進」(旗先 好紀・江越弘人著)「第65回みろくや長崎食文化講座~岬道って何?~」(講師 中島勇)

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  • 第129号【武蔵と島原の乱と出島】

    今、大河ドラマの影響で時代を越えた国民的ヒーロー!? となっている剣豪・宮本武蔵。 その生涯は謎が多いといわれていますが、佐々木小次郎との厳流島での戦いや、 剣の修行のため諸国を巡る旅をしていたこと等はよく知られています。 その足跡をたどると、島原の乱に参戦するため長崎(島原半島)へも来ていました。((^。^;ノナント…▲原城、城壁跡 江戸時代はじめ1637年(寛永14)に起きた島原の乱は、 島原藩主の厳しいキリシタン弾圧と過酷な年貢の取り立てに苦しむ地元民の不満を背景に起こった一揆です。 約3万人ものキリシタンや農民らの一揆軍が原城(南有馬町)に立てこもり、幕府軍の度重なる攻撃にも強く抵抗。 その戦いは約120日間にも及び幕府を震撼させました。(゜0゜;; 武蔵が幕府軍としてこの乱に参戦する時、小倉から鍋島藩(佐賀)、そして海路を渡り、 同じく鍋島藩で島原半島北部にある国見町神代(こうじろ)の港に上陸し、同半島の南側に位置する原城へ出向いたかもしれないという説があるそうです。 海岸の絶壁にあった神代鍋島藩の船着場は現在、神代橋が架けられ島原鉄道も通っています。 橋の下には小さな船が数隻停泊し、その名残りが感じられます。 (’’;)モシヤ、ココニ武蔵ガ…▲国見町神代。ここに武蔵が? ところで島原の乱の起きる前年、長崎港内には人工島・出島が完成しています。 すでに南蛮貿易で栄えていた長崎に幕府はこの出島に市中にいるポルトガル人を住まわせることで、 彼らによるキリスト教の布教活動の取り締まりをしながら、南蛮貿易も掌握しようと考えていたのです。 しかし出島の完成で鎖国の基礎が固まったと思っていた矢先に起きた島原の乱に、 幕府は大きなショックを受け、まもなくポルトガル船の日本渡航は全面禁止。 ポルトガル人は国外追放となります。そして出島には平戸にあったオランダ商館が移転。その後200有余年にも渡り貿易が行われることになります。 ちなみに島原の乱では幕府の依頼によりオランダ船から砲撃も行われています。 ( □o□)/ 砲撃デ幕府ノ信頼ヲ得タヨウデス▲城跡から望む南有馬 さて養子の伊織とともに参戦していた武蔵は、 一揆軍による城壁からの投石でスネに怪我したというエピソードが残されています。 既に54歳だった武蔵は剣豪というより、兵法に優れた軍師として招かれたようで、 島原での体験は晩年に執筆した『五輪書』にも影響を及ぼしたかもしれません。 武蔵と島原の乱と出島。 戦国末期から江戸初期という変化に富んだ時代に生まれ起きたこの三つをつなげると、 まだまだ新たな興味や謎が生まれて来そうです。 (^ー^)武蔵ハ西洋ニ興味ナカッタノカナァ

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