第149号【長崎のホテル王は美貌の才人 ~稲佐お栄~】

 明治中期。長崎市稲佐(いなさ)は冬の間、氷に閉ざされるウラジオストックに代わって、 ロシア極東艦隊の基地として栄えていました。


 その稲佐でホテルを経営した「稲佐のお栄」こと道永栄(1860~1927年)は、 天草出身で代々庄屋の家柄でしたが、12歳の頃に相次いで両親を失い、親戚を頼って長崎に入りました。 20歳頃から稲佐のロシア村で働き始めたお栄さんは、旅館の女中や食堂の給仕をしながら、 独学でロシア語を身につけるほど賢くて努力家でした。 (^∇^)長崎三大女傑ノ1人デス。


 その上、生来きっぷがよく、社交的、色白で目鼻立ちが整った大変な美人であったお栄さんは、 下は水兵から上は将官までロシア海軍の憧れの的でした。 稲佐のお栄さんの名は、ウラジオストック、遠くはモスクワまで聞こえていたそうです。


 明治24年(1891)、後の帝政ロシア最後の皇帝、ニコライ皇太子や、ロシア東洋艦隊指令長官クロパトキン少将が、 稲佐を訪問した際も心のこもったもてなしをしたお栄さんは、稲佐にロシア人向けホテルを、 茂木にも外国人向けのリゾートホテルを造り繁盛させます。 経営手腕もさることながら、彼女の人柄が多くの人々を魅了したのだと言われています。


 日露戦争(1904~1905年)が始まると、お栄さん一家も数々の迫害を受けますが、 終戦後は延べ9000人以上のロシア軍捕虜の世話を引き受け、ロシア人墓地にも私財を投じました。 国境を越え、地位や名誉にとらわれず、真心込めて人と接したお栄さん…そんなお栄さんに思いを馳せながら、 「お栄さんの道」をそぞろ歩いていたら、さわやかな一陣の風が通り過ぎていきました。 (^ー^)ゴルバチョフ元大統領モ墓地ヲ訪レマシタ。



▲ロシア人墓地のある

悟真寺(長崎市稲佐)



▲お栄さんの碑

(長崎市稲佐)



▲ゴルバチョフ元大統領も

訪れた、ロシア人墓地

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