第158号【大光寺に姿三四郎のお墓?】
黒沢明監督によって映画化もされた、富田常雄作の青春柔道小説の主人公、「姿三四郎」。 151cm、52kgというミニモニサイズながら、相手の力を利用して倒す「山嵐」を生み出し、 講道館四天王の一人に成長するも、ライバル村井半助の娘、乙美とは悲恋に終わってしまう…という、 男気に感服する内容です。(^^;元祖スポ根物?
三四郎のモデルとなる西郷四郎(1866-1922年)は新潟県(当時は会津藩)出身。 なのになぜお墓が長崎に? じつは講道館で活躍後、四郎の生活の中心は長崎に移ります。 そして1902年、同郷に近い二本松出身の鈴木天眼と一緒に「東洋日の出新聞」を創刊。 ジャーナリストとしての道を歩みます。
東洋日の出新聞は努めて分かりやすくという編集方針のもと、1934年まで発行されました。 大手発行の新聞各紙が日露戦争後のポーツマス条約に反対するという状況のなかでも、 日本とロシアの国力の違いを見誤ることなく、条約支持を主張。 「勇気ある少数意見」として、新聞史上にもその評価が残っているそうです。 (□_□;長崎県立図書館ニ資料ガアッタハズ。
第2の故郷となる長崎で20年以上過ごす間、柔道、水泳、弓道などの振興にも努めた四郎は、 晩年を尾道で過ごしましたが、病没後はその半生を過ごした長崎の大光寺に眠ります。 享年57歳、四郎の死を悼んだ恩師嘉納師範は翌年、特別に講道館の六段を授け、その功績を讃えました。
▲慶長19年(1614)創建
大光寺(長崎市鍛冶屋町)
▲近くに保育園もあって
賑やかだった大光寺境内
▲姿三四郎モデルとなった
西郷四郎のお墓