第68号【日本最古の大浦天主堂】
長崎の観光ポスターによく登場するのが教会のステンドグラス。いかにも西洋チックなその美しさは「異国情緒・長崎」を演出するのにぴったりです。もちろん、その背景に長崎とキリスト教の歴史上の深い関わりがあることはいうまでもありませんが。 \(^-^(*^^* )ゝキレイダネ 現在、日本には戦前に建築された教会が108棟残っていて、そのうち約半分の56棟が長崎県にあるそうです。それらのほとんどは豊臣秀吉のキリシタン禁教令(1587)以来、県下各地で密かに信仰を続けた人々が、明治6年(1873)に信仰の自由を手にしてから建てたものです。その教会の数の多さからからみても、なんとなく近代日本における最初のカトリック教会は長崎にありそうなのですが、実際は禁教がとける少し前の1862年に造られた横浜天主堂が最初だそうです。(ノ_・。)横浜天主堂ハ関東大震災デ焼失シテイマス。 今回、行って来た大浦天主堂(長崎市南山手)は、横浜天主堂の3年後(1865)に完成。現存する日本最古の天主堂で、国宝に指定されています。建設はパリ外国宣教会の神父の指導の下で、日本の大工棟梁が手がけました。ちなみに棟梁の名は小山秀。天草出身で、グラバー邸やオルト邸も施工したといわれている腕利きの職人です。▲ゴシック造りが美しい大浦天主堂(南山手町) 長崎に在住していたフランス人のために建てられたことから当初「フランス寺」とも呼ばれた大浦天主堂。実はその名は正式なものではありません。この天主堂は豊臣秀吉の禁教によって捕縛され長崎の西坂の丘で処刑された日本人20人と外国人6人の殉教者たちに捧げられたもので、落成時に「日本26聖殉教者天主堂」と命名されています。なのに「大浦天主堂」と呼ばれているのは、日本では地名をつけて呼ぶ習慣があったからだそうです。(←_→) フランス“寺“トハ禁教ノ影響? 大浦天主堂の天井はコウモリが羽を広げたような形がいくつも連なっていて、窓はステンドグラスがはめ込まれ上部が尖ったアーチ型をしています。これはいわゆる「ゴシック建築」といわれるものの特徴で、ヨーロッパでは12世紀から16世紀に都市部で建てられた聖堂の様式だそうです。▲堂内を外からパチリ“撮影禁止”の室内に入ると、信者さんたちがお祈りをする長椅子が整然と並べられていて、その脇にクリスマスが近いからでしょう、質素なツリーとキリストが生誕した時の馬小屋の様子を再現した小さなコーナーが設けられていました。チョットハヤイケド(*^^)/ Merry X'mas.。.:*・°☆ さて天主堂完成後間もなくの話です。まだ禁教下にあったにもかかわらず、長崎の浦上地区の信者が大浦天主堂を訪れ、神父に自分がキリシタン信者であることを告げました。250年以上もの間、厳しい禁教下にありながら、この国で信仰の灯火が消えていなかったことに当時のヨーロッパは驚き、そしてたいへん喜びました。なかでも宣教師を派遣していたフランスは祝いのしるしにと、聖母像を贈り届けたほどです。現在、その聖母像は天主堂の入り口で、訪れる人々を静かに見守っています。▲この角度の写真は珍しい?結構、奥行きがあります。
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