第70号【明けまして阿蘭陀正月でございます】


 明けましておめでとうございます。<(__)>

 皆さんはどんなお正月を過ごされましたか? 長崎の元旦は夜明け前から風雨で大荒れのお天気。私は朝7時頃、大きな雷の音に起こされてしまいました。この天気じゃ、初詣では無理かなと思いきや、午後には晴れ間が広がり、さっそく長崎市民の総鎮守・諏訪神社へお参りに行って来ましたよ。



▲お天気のせいか着物姿が

少なかった、元旦の諏訪神社


 何でも日本でもっとも初詣の参拝客が多いのは東京・明治神宮で、長崎県ではこの諏訪神社が一番なんだそうです。参道の近くまで行くと、お天気の回復を待っていた人々が大勢やって来ていました。近くの電停では満員の電車からこぼれるように人が降りて来ます。参道の階段を埋め尽くす人々は、ゾロゾロ、ゆっくりお諏訪さんを目指し登っています。みんな新しい年に希望を託し、幸せや平和を願いに来ているのだ思うと、何だか胸がキュンとして思わず「神様、ひとり残らず、よろしくね」なんてお賽銭をはずんじゃったのでした。( ^^)//"" パンパン


 さて2002年最初のコラムは長崎の歴史もの「阿蘭陀正月」についてお届けします。ときは江戸時代、とある冬の朝。出島に続く石橋を使用人や町人らが続々と渡って行きます。日頃、出入りを許されている彼等ですが、いつになくこざっぱりとした身なりで、表情もどこかあらたまった雰囲気が漂っています。それもそのはず、この日は太陽暦の元旦で、オランダ人らの新春のお祝の日だったのです。当時、旧暦(太陰暦)で一年を送っていた日本人にとっては、自分たちのお正月はそれより少し後。でも長崎の人々らは西洋の暦を知っていて、これを「阿蘭陀正月」と呼び関係者は祝っていたのです。( -○_○)/日本ガ太陽暦ニナッタノハ明治5年ノコト



▲阿蘭陀正月を楽しむ様子

(作者不詳/長崎市立博物館蔵)


 「慎んで貴国の新年をお祝い申し上げます」とカピタン(オランダ商館長)へ祝いの言葉を述べる日本人たち。この日、カピタンはお正月の習わしとして、お年玉を使用人へあげたりしています。そうして新年の祝賀ムードが高まる中で、今度は午後からの宴に招待された、カミシモ姿(江戸時代の武士の礼装)の奉行所の役人や阿蘭陀通詞らが次々にやって来ました。新年吉例・阿蘭陀正月の大パーティーの会場はカピタン部屋です。畳み敷きにテーブルとイスが置かれたエキゾチックな空間。テーブルの上には白いナプキンが置かれた皿、そしてフォーク、ナイフ、スプーン、パンがセッティングされています。 ('-'。)(。'-')。ワクワク


 客人らが席に着いたらいよいよ宴のはじまりです。まずはワインで乾杯。テーブルにはスープ、牛や豚の油揚げ、野菜のバター煮など珍しい西洋料理が次々に運ばれて来ます。愉快なのは招待された日本人たち。この日の料理の豪華さを知っていて、こっそり料理を包んだり、中には前もって出島の橋の近くに家人を待たせておき、料理を持ち帰らせる者までいたそうです。でもそういうことがきっかけで、市中の人々に西洋料理が広まっていったのでしょうね。


 さて、一通りオランダのメニューでもてなされた後は、日本料理と日本酒が出されました。丸山遊女らのお酌を受けながらラッパや太鼓の演奏を楽しむオランダ人や日本人。阿蘭陀正月の宴はなかなか贅沢なものだったようです。(@^¬^)o∀☆∀\(●~▽~●)У Happy New Year!

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