第73号【中の茶屋まで、ぶうらぶら】
みぞれまじりの雨にしっとり濡れた丸山界隈。「中の茶屋」へ行くために、久しぶりに歩いた「長崎ぶらぶら節」の町は、相変わらず古めかしく、庶民的で、懐かしい空気が漂っていました。江戸時代中期に築かれた庭園で市指定史跡にもなっている「中の茶屋」が広く市民に利用される施設としてオープンしたのは去年11月のこと。「長崎ぶらぶら節」の一節にも「♪遊びに行くなら♪花月か中の茶屋♪梅園裏門たたいて♪丸山ぶうらぶら♪」とあるくらい名を馳せたこの茶屋の常時公開は、ぶらぶら節ファンをたいへん喜ばせたようです。\(^^)映画、ゴ覧ニナラレマシタ?
▲常時公開となった中の茶屋
中の茶屋へ行く途中、丸山の本通り脇にある狭い路地(梅園通り)に入りました。通りの先にある「梅園身代わり天満宮」では、境内に白い初梅が咲き、そこだけ早春の気配です。ここは元禄13年(1700)に建てられて以来、丸山町の氏神様として親しまれている神社です。(⌒▽⌒)風情あるイイ神社
▲愛八さんも参拝していた
梅園身代わり天満宮
「身代わり~」のいわれは、1693年、このお社を建てた近所の安田次右衛門という人が、暴漢に襲われて自宅に担ぎ込まれた際、あったはずの傷が無く、その代わり庭にあった天神様が血を流して倒れていた事がきっかけだそうです。その時の天神様が「身代わり天神」と呼ばれ、こうして祭られているのです。昔から心や身体の悩みまで身代わりになってくれると言われていて、丸山の芸者、あの愛八さんもよく参拝していたそうですよ。(^∧^;)私はダイエット祈願
その「梅園身代わり天満宮」からちょいと上に行ったところに「中の茶屋」はありました。門をくぐると手入れの行き届いた庭園が広がり、その中に2階建ての日本家屋が建っています。「中の茶屋」は、江戸時代に「中の筑後屋」という丸山(寄合町)の遊女屋が茶屋として設けたもの。当時、丸山を代表する花月楼と並ぶほど、文人墨客や唐人たちに好まれた場所だったそうです。分かりやすくいうなら「ワンランク上の遊廓」だったそうで、それを教えて下さったのは、火曜と金曜の週二回、中の茶屋で案内役を担当されている兼松茂さん。
▲和室(中の茶屋内)は隣の音に
配慮し畳一枚分の間があった
地元の自治会長もされていたという兼松さんは昭和2年生まれ。とにかく長崎のいろんな事をご存じで、1階の和室でついつい長話。江戸時代中期に築かれたという中の茶屋の庭園に植えられている「さつき」は、樹齢300年位で、5月には真っ赤な花が咲いて、たいへん美しいという話や、長崎の芸者さんや遊廓の事など、興味深いお話をたくさん教えていただきました。<(__)>兼松さんアリガトウゴザイマシタ!
ところで中の茶屋の家屋の1階は、長崎市出身の漫画家で「かっぱシリーズ」で有名な清水崑さんの展示館になっています。閑静な庭園を眺めながら、素敵な人と出会い(兼松さん)、長崎の歴史に触れたり、懐かしい清水崑さんの絵を見たり…。中の茶屋はゆったり豊かなひとときを過ごせるいいところでした。(・w・)/カッパッパー、ルンパッパー黄~桜ァ