第64号【異国の木綿布】

 長崎の街角にある小さな骨董屋さんにはよく古い木綿布や着物が置いてあります。かつて長崎にはインド更紗(さらさ)、オランダ更紗といわれる洒落た絵柄の木綿布がオランダ船によって運び込まれていました。その頃のものがあるのかどうかは分かりませんが、店内に並べられた古裂(こぎれ)を見ていると、ついつい遠い日のこの町に思いを馳せてしまうから不思議です。(¨)コギレパワー?


 江戸時代、オランダ船は木綿の原産国であるインドや東南アジアの島々を経由して長崎に入港していました。経由地で手に入れた木綿の織物は鮮やかな赤が用いられ、その文様も個性的でたいへん美しいものでした。当時の日本では木綿は藍色や茶系統にしか染まらないと思われていたこともあり、大きな驚きをもって人々に迎え入れられたのです。I(o_O)i オォォ。。


 この舶来織物は出島に輸入されると、取り引きを円滑に行うために、反物目利(たんものめきき)の役人が、それぞれ布の切れ端を「紅毛持渡端物切本帳」と呼ばれた布の見本帳に張り込みました。そこには千種類にも及ぶ織物があったそうです。



▲紅毛持渡端物切本帳

(長崎市立博物館蔵)


 その中で人気があったのが、縞(しま)模様の木綿です。一口に縞模様といっても、たとえば「唐桟(とうざん)」と呼ばれた藍や赤などインド渡りの艶やかな縞模様のものや、「甲比丹(かぴたん)」といって縦糸に絹、横糸に木綿を用い、黄・赤・藍・緑の個性的な縞模様をしたものなど、いろいろ種類があったようです。ちなみにこのストライプ柄を意味する「縞(しま)」という言葉は、インド周辺の島々から渡って来た布、いわゆる「嶋渡り(しまわたり)」の反物に筋柄(縞模様)のものが多かっことに由来したもので、つまり「縞」は「嶋」から来ているのだそうです。 ( ̄□ ̄|||)ソウダッタノカ……



▲当時、人気のあった縞柄

(長崎市立博物館蔵)


 縞模様とはまた違った趣きの「更紗(さらさ)」も人気がありました。インド産の「更紗」は柔らかくて丈夫で保温性にも富み、文様も花鳥、人物、幾何学など、異国情緒にあふれ色鮮やか。日本人だけでなく世界の人々に珍重されたといいます。更紗が日本に持ち込まれたのは、室町末期のポルトガルとの南蛮貿易の頃。「更紗」という名はポルトガル語で木綿布を意味する「saraca」に由来するのだそうです。貿易相手がオランダに変わってもなお、輸入は引き続き行われました。それだけ人気があったのでしょう。



▲世界でも人気が高かった更紗

(長崎市立博物館蔵)


この17世紀から18世紀にかけて輸入された更紗は、今では「古渡更紗(こわたりさらさ)」と呼ばれ、古裂ファンを魅了しています。  |||\( ̄∇ ̄ ) イイヨネェ。。


 ところで長崎には『♪あっかとばい♪かなきんばい♪おらんださんから♪もーろーたーとばい♪』という古いわらべ歌があるのですが、この歌詞の中の「かなきん」とは「金巾(かなきん)」と呼ばれたインド産の木綿でした。堅くよった糸で目を細かく織ったもので、オランダ人の服装に用いられていたようです。わらべ唄は「オランダ人に赤い木綿をもらったよ、うれしいな」という意味でしょうか。当時の人々の異国の赤い木綿布に対する憧れが感じられ、いかにも長崎らしい唄だなと思うのです。 (〃⌒ー⌒〃)∫アッカトバイ

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