第67号【野口彌太郎記念美術館(旧長崎英国領事館)】

 長崎市大浦町の海岸通りで、ひときわ異国の風情を醸す建物があります。古いレンガ造り2階建。英国領事館として1908年(明治41)に造られたものです。国の重要文化財になっている現在では「長崎市野口彌太郎記念美術館」として使用されています。m(^o^)ノ 近クニ米・仏ナド各国ノ領事館モアッタラシイ



▲長崎市野口彌太郎記念美術館

(旧長崎英国領事館)


 上海の英国技師エイリアム・コーワンの設計に基づいて、地元長崎の後藤亀太郎という人物が施工にあたったこの建物は、正面から見ると2階部分の両端にまるで目のような造形の丸窓があります。ベランダには2本対の柱が3組あるなど、ちょっと珍しい造りが見られます。この建築はイオニア様式といわれギリシヤ美術上重要な様式なのだそうです。 (“)個性的ナ洋風建築ダヨ


 「長崎市野口彌太郎記念美術館」として使用されるようになったのは平成5年から。野口彌太郎の作品(油彩・水彩・パステルなど300点以上)が長崎市に寄贈されたのがきっかけです。



▲所蔵品より60点ほどの作品を

展示替えを行いながら展示


 画家・野口彌太郎(1899~1976)は東京・本郷生まれ。30才でヨーロッパに渡り4年間過ごします。帰国後はヨーロッパで学んだ事をもとに戦後の日本洋画壇を代表する作家として活躍しました。大胆な線と豊かな色彩でのびやかに描かれた彌太郎の絵は、描いているものの本質を的確にとらえ生き生きとしています。その表現方法にはヨーロッパで受けた野獣派(フォービズム)といわれる強烈で赤裸々な精神を尊重しようとする考え方の影響があったようです。(@_@;)生命力ヲ感ジル絵デス!


 画伯の父は長崎県諫早市出身で、画伯自身も子供の頃に半年ほど父の郷里で暮らしています。その後、異国情緒あふれる長崎の風景と、素朴で親しみやすい長崎の人々をこよなく愛するようになった画伯は、たびたび訪れその風景を描き、数々の名作を残しました。『長崎のよさは、のんびりした土地とのんびりした気質だと思う。これはいつも長崎駅に降り立った時に風のように感じることである。長崎が特に画材に適している理由は、古い木造洋館が自然と調和した風景美を持っているからである』と画伯は語っています。(⌒▽⌒)大切ニシナキャ



▲アトリエを再現した部屋


 昭和34年に描かれた「長崎の港」という作品では、茜色の空と港の景色が大胆に描かれていて、今の長崎とはちょっと違う、のんびりとした街の気配が感じられ、懐かしい気分がこみあげてきました。(・◇・)コノ絵ハ館内デ展示中


 今、美術館では企画展【21世紀から見た野口芸術~野口彌太郎日本の旅】が行われています(~2002年3月31日迄)。北海道、和歌山、鹿児島、沖縄など日本各地の人や風景がエネルギッシュにたくましく描き出されていて何だか元気が出て来る絵画展ですよ。

 さてここで大切なお知らせです。旧英国領事館、「長崎市野口彌太郎記念美術館」の建物は、老朽化で痛みが目立ってきたため来年秋頃には一旦閉館し、改修のための調査・工事が行われる予定です。改修期間は数年かかるそうなので、ぜひその前にお出かけなって、ゆっくり野口芸術と明治後期の洋風建築をご堪能下さい。

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