ブログ

  • 第4号【中島川の石橋のたもとで】

     9月も下旬。小春日和のようなお天気に誘われて、お気に入りの散歩コース、中島川へ。上流にある桃溪橋(ももたにばし:小さな石橋だけど情緒たっぷり)をイソイソと渡り、川沿いの通りへ出ると鮮やかなオレンジ色のコスモスが満開。(^∪^)▲中島川の石橋群ルンルン♪気分になりながら先に進むと、眼鏡橋のたもとで網棒を持った男の子が何やら奮闘中! エビ採りに夢中になっていたこの子は、どうやら中島川の常連さん。 アヒルやスッポン、カメ、さらには“シーマン”と呼ばれる人面魚(鯉)がいることまで教えてくれました。ドモドモ\(^‐^)。▲噂のシーマン!? 川のそばには小さな古美術商が何軒もあって、散歩がてらにのぞくのも愉しみのひとつ。そういうお店が多いのは江戸時代、唐船が中島川の上流まで来て、たくさんの貿易品を荷おろしていた名残りなんだそうです。 さて中島川の石橋群は上流から、大井出橋(おおいで)、編笠橋(あみがさ)、古町橋(ふるまち)、一覧橋(いちらん)、芋原橋(すすきはら)、東新橋(ひがししん)、眼鏡橋(めがね)、袋橋(ふくろ)の8つあり、さらに上流の支流には阿弥陀橋(あみだ)、桃溪橋があります。これらの橋はいくつものお寺が立ち並ぶ寺町へ通じる門前橋として、今も昔も長崎の人々の生活に欠かせません。江戸時代には、膨大な費用がかかるというのに、多い時で合計20も架けられていたとか。当時の長崎は本当に裕福だったんですね。(゜゜;) (;。。)ソウソウ数は減ったけれど、これほどの石橋群は世界的にも珍しいんですって。 特に有名な眼鏡橋(1634年建造)は、日本石橋文化のルーツ!完成当時は、宙づりされたような半円形の姿に、皆 ))))(゜O゜;)/仰天!▲眼鏡橋と少年木造で川底に柱を何本も立てた橋しか知らなかったから、驚くのも無理はない。落ちるんじゃない?って心配したのも、わかるような気がする。 面白いのは、この橋が中国の僧侶の指導で架けられたのに、その造りは欧州型だということ。(石橋には中国型もあり、石の積み方が違うらしい。)アーチの長さも出島の西洋人が、当時の日本では誰も知らない円周率πを使って出している。それにしても西洋の技術を、中国の僧侶のもとで、日本人の石工が形造る。何とも国際色あふれる長崎らしい話だと思いませんか。

    もっと読む
  • 第3号【青い目のサムライ、グラバーへ思いを馳せる秋】

     グングン秋めいてきましたね。私はこの時季、必ず出かけるお気に入りの場所があるんです♪ それは何を隠そう「グラバー園」。▲リッパなお髭のMr.グラバー 数年前、夏から秋にかけて夜間解放されるようになったのがきっかけで、秋晴れの休日ともなると、観光客がグンと少なくなる夕方を待って、ひとりで繰り出します。テクテク∨(⌒-⌒)∨。 幕末~明治期に建てられた洋館のクラシカルな雰囲気は、しっとりとした秋の風情と大人の私(?)にぴったり。長崎港と街の夕暮れの景色もVery Good ! それに樹齢百年は超えてるような大木が何本もあって、空を覆うほどのたっぷりとした枝葉をゆさゆさと気持ちよさそうに風に揺らしてる。これはもう、ちょっとした森林浴。グラバー園は癒し系の観光スポットなんだと思うな。(¨)(‥)ウン。▲ご存じ、グラバー邸 それはそうと、今年は園内のどこかにあると噂されていた「ハート・ストーン」を発見! 汗水流して自力で見つけた時は、思わず合掌。いつか運命の人に出会えますように…なあんて願い事をしちゃったけど、どうだかなぁ…。▲発見!ハートストーン そして秋の虫たちの演奏をBGMに思いを馳せるのは、やはりトーマス・グラバーのこと。彼は文明開化の立役者なのに、あまり知られてないのが残念! 幕末の1859年、21才で長崎にやって来たグラバーは貿易商人として大活躍。日本で初めて洋式採炭法を取り入れたのをはじめ、これも日本で初めて蒸気機関車を長崎で走らせているんです! さらに現在の麒麟麦酒株式会社の前身、「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」の設立にも力を注いでいて、今もその会社のビールのラベルに描かれている麒麟の絵は、グラバーに敬意を表して彼の口ひげをたくわえた風貌を反映したものなんですって!ヾ(@◇@)☆オオ▲明治頃の麒麟ラベルこちらもリッパなお髭です ところでグラバーは、薩摩藩や長州藩など倒幕派の若いサムライたちの情熱に共感し、密航の手助けや資金面での援助もしています。いくら大金持ちとはいえ発覚したらたいへんな事。(●●-;)メッ 大胆で勇気ある行動ですよね。サムライたちの姿と、若き日に大きな野心を持って日本にやって来た自分がオーバーラップしたのかなあ。グラバー自身、頑固で高い志を持つサムライ気質みたいなものを持っていたのかも…などと、ロマンチックにライトアップされたグラバー邸を眺めながらいろんな思いを巡らすのでした。

    もっと読む
  • 第2号【気ままがいちばん、丸山ぶらぶら節】

     いきなりですが、今、長崎ではある映画が大きな話題になってます!それは9月15日、全国一斉公開される「長崎ぶらぶら節」! 何でも大正から昭和にかけての長崎での実話に基づくストーリーとかで、しかも吉永小百合、渡哲也という超豪華なキャスティング\(☆O◎)/wao! 地元では“長崎の宣伝になるばい”と、ものすごく期待されています。 数カ月前、長崎でロケがあった時も大騒ぎで、長崎市民全面協力体制で撮影が行われたのです。何を隠そう私もエキストラとしてちゃっかり参加。おくんちのシーンで、人垣づくりに協力しました! 映画初出演にして、ニ大スターと初競演!エキストラとはいえ、ありがたい体験。人垣の一番後ろの方だったので、まず映ってないでしょうけど、吉永さん、渡さんをたっぷり見る事ができたので、大満足ヾ(*^O^*)ノ …… 人生のイイ思い出として小さな胸にしまっておきます。そこで今回はこの映画の舞台となった「丸山」界隈についてちょいとご紹介。 「丸山」といえば、男の人が遊びにいくところ。江戸時代は、全国的に名を馳せるほどの繁盛ぶりだったのです。丸山へ通じる「思案橋」は、魅惑的な丸山遊女もとへ「行こうか、戻ろうか」と思案に暮れてしまったところから付いた名前。さらにその先にもうひとつ「思い切り橋」というのがあって、ここで「よし、行くぞ」と決意して渡ったというから、遊びに行くのもよほどの覚悟が必要だったみたい。 とはいっても・・・ ┐(´‐`;)┌ それでも行っちゃうのよね…。 さて丸山には当時の名残りを残す料亭「花月」があって、幕末には坂本竜馬や高杉晋作など当時の著名人がいっぱい通ってたとか。その一室の柱には竜馬が酔狂でつけたといわれる刀傷・・・「竜馬殿、なしてこがん場所で、刀ば振り回したと?」と、謎は深まるばかり。▲料亭花月そんな花月を後にして、芸者さんたちが所属する置屋をまとめた「長崎検番」、そして花月と並ぶ遊び処「中の茶屋」へ。いずれも古い木造建で、味わい深いものがありました。←(”#)ジ~!▲長崎検番 気ままに歩いた私の丸山ぶらぶら節。映画「長崎ぶらぶら節」を見ても、見なくても、結構楽しめる大人の観光スポットですわよ。(^.^)オホホホ。

    もっと読む
  • 創刊号【甦った出島で、江戸時代へタイムトラベル!】

     長崎の観光名所としてよーく知られる「出島」。でも実は、少し前まで地元の人間には不人気のスポットだったのです。私自身も何度か訪れましたが「江戸時代、日本で唯一、西洋に開かれた窓」といわれるものの、扇形といわれる姿は明治以降の埋め立てでその形を失っているし、オランダとの貿易やシーボルトに関するさまざまな史跡を見ても、その地味で質素な姿に(?・_・?)。何だか拍子抜けしたような気分になったものです。 そんな出島が、あらためて注目されるようになったのはここ数年のことで、出島の石蔵が復元されたり、出島史料館の展示内容が充実されるなど、今世紀半ば頃から行われてきた地道な復元整備事業が次々に形を現すようになってから。地元の見学者も増えて来たというウワサo(^o^)o……。▲復元整備が進む出島 そこで、さっそく足を運びました。まず興味を持ったのが、出島の護岸石垣。それまで道路だったところが当時の輪郭に合わせて掘られ、江戸時代初期の工法で石垣を再現。なだらかな曲線を描く扇形の一部が見えてきた感じです。 さらに出島史料館本館・分館には当時の貿易や日本と世界の情勢を知る資料、発掘された食器類、調理器具、コンプラ瓶、伊万里焼などが展示。さらにオランダ商館員らが愛用したといわれるクレーパイプなどがあり、当時の出島の様子がぐっと身近に感じられました。(°°)(。 。 )ウンウン。 出島の西側の通りは、この春復元された江戸期の建造物5棟が軒を連ね、まるで江戸時代にいる気分に。オランダ商館員やオランダ通詞らが同じ場所を歩いたと思うと、とても不思議な感じに。復元された一番船船頭部屋(オランダ船の船長の部屋)を覗いてみると、畳の部屋に舶来の調度品が並べられていました。面白かったのはベッドのサイズ。子ども用くらいの大きさで、このベッドでオランダ人が寝起きしたとは思えない大きさなのです。(・・? 聞けば、足を放り出して寝ていたとか…。ちゃんと眠れたのかしらん?▲一番船船頭部屋と小さなベッド ということで甦った現在の出島は、見どころ満載!本当に地元おすすめの観光スポットになりました! めでたし、めでたし V(●⌒▽⌒●)V

    もっと読む

検索