第14号【出島・クリスマスパーティーの謎】

 毎年12月に入ると親からお歳暮の手配を頼まれます。贈るのはもちろん我が社の「ちゃんぽん・皿うどん」。手前味噌ながら長崎を代表する味として地元、遠方を問わず喜ばれているようです。(・_ ;)ジーン。ウレシイ・・・。


 そうして久しぶりに商店街やデパートをめぐれば、街はもうクリスマス一色!ロマンチックなイルミネーションのきらめきに寒さも忘れてホットな気分…。考えてみれば日本ではいつの間にか、キリストの誕生日のお祝いが、冬のひとときを楽しく過す口実に使われているようです。でもひとりでも多くの人が幸せな気分になれるなら、キリストも本望じゃないかなって思いません? ^^)vネッ!



▲出島ワーフのクリスマス

イルミネーション。


 さてさて今回は出島のクリスマスのお話でしたね。出島の時代はキリスト教はご法度。激しい弾圧もあったりして、クリスマスのお祝いなんてできるはずがありません。しかし何と出島では盛大にパーティーが行われ、しかもそこには多くの日本人が招かれていたというから驚きです。そんな事がなぜ可能だったのか?謎を解き明かしてまいりましょう。 キーワードは「冬至」です。ハテ?(●●-)?



▲出島の料理部屋

ここでごちそうが作られた


 毎年クリスマスに近い日にやってくる、1年で1番昼が短い「冬至」の日。中国の風習では大切な節句の日とされ、唐人屋敷内ではみな晴れ着に着替えて酒宴が行われていました。そして長崎の町民たちもぜんざいを作ったり野菜やお菓子を供えたりしてこの日を祝ったといいます。フム?(●●-)


 出島のオランダ人は、そこに目をつけたのでした。出島での宗教的行事は一切禁止されていたとはいえ、キリスト教の信仰があった彼等。冬至の日を祝う周囲の賑わいをいいことに、「阿蘭陀冬至」と称して、ちゃっかりクリスマスを祝ったのです。そんなこととはつゆ知らず、招かれた奉行所の役人らは、ワイングラスをなごやかに傾け、アヒルの丸焼きやソーセージなど、珍しい西洋料理の数々に舌鼓を打ったのでした。オイオイ、ダマサレテルゾ…(●●-)



▲出島での宴会風景


 ばれたらたいへん! という嘘をついてまで、催していたクリスマスパーティー。故国を遠く離れ、小さな人工島・出島で退屈で窮屈な日々を過していた彼等の心情を思えば、クリスマスは家族や友人達とひとつの思いでつながる特別な日だったのでしょう。酔っぱらって大笑いしながら、心の中ではグスンなんて泣いちゃったりしてたかもしれませんね。ソウイウコトカ…(●●-)…(;;)グス。

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