第5号【長崎くんちが、派手やかなワケ】

 風がちょっぴり冷んやり感を帯びて来て、季節は、秋本番へ向かってひた走ってる。

なのに長崎の街には静かな熱気が漂っていて、人々の様子も何だかソワソワ。もうすぐはじまる「長崎くんち」のせいだ! 今年の演し物は、五島町の「龍踊」(じゃおどり)、銀屋町の「鯱太鼓」(しゃちだいこ)、麹屋町の「川船」(かわぶね)など全部で7ヶ町。



▲無料特等席?「長坂」


いずれも豪華絢爛、異国情緒たっぷり! くんち好きの私は今から「モッテコーイ」の気分なのです。(●⌒▽⌒●)/わーい


 ところで秋は長崎くんちに限らず、全国各地で大小たくさんの祭がありますよね。そんな中で366年の歴史を持ち、日本のどこにもない不思議な雰囲気で異彩を放つ「長崎くんち」。


その超個性的で豪華な理由は、皆さんよーくご存じのとおり、かつてこの街が日本で唯一開かれた西洋への窓口だったから。祭りは、さまざまな異国の文化が入り交じったものになり、出島貿易の恩恵で、お金も充分かけることができた…。そしてさらに、もうひとつ、あまり知られていない理由があるのです…。(^。^3ナニナニ?



▲資料館で展示中の龍


 話が遠回りになってしまうけれど、当時の長崎は、唯一の海外貿易港の街であると同時に、日本の要塞的存在でもあったのです。だから鎖国・日本の国情を知られるような情報は絶対に流しちゃダメ(><;) ということで、出島への出入りや外国人との接触は厳しく制限されてたし、地理的な情報モレにつながる恐れがあるからと、勝手に長崎の風景画を描くのも×だったんです。その上、幕府直轄の天領ということで、喧嘩も御法度。(天領の民を傷つけることは、上様を傷つけることと同じなんですって)。

血の気の多い若者たちにとっては、迷惑な話。(ε´)ブーブー


 町中には常に厳しい取り締まりの目。

長崎の人々は、そんなこんなの規制を受けて暮らしてた。



▲練習中の鯱太鼓


だから表向き裕福そうでも、目に見えない息苦しさはあったんだと思うな。

もともと日本のお祭りには、閉鎖的な社会でたまったストレスを発散させる役割もあったそうで、となるとダメダメづくしのこの街で、長崎くんちはそのうっぷんを、堂々と健全に晴らせる絶好のチャンス!だったわけ。


 ここぞとばかりにお金も気力も体力も使い果たす怒濤の3日間。人々の中で、灰色に渦巻いていた思いは、天高く澄みきった秋空へ、気持ちよく昇華していったに違いありません。v(●^∪^●)

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