第434号【雨の中国盆】
竜巻や大雨の被害にあわれた地域の皆様方に心よりお見舞い申し上げます。しばらくは台風の発生も気になるところ。今後も気を付けてお過ごしください。 長崎でも数日大雨が続いた9月初めの夕方。雨がっぱ姿で寺町通りを抜け、長崎市鍛冶屋町にある唐寺「崇福寺(そうふくじ)」へ向かいました。この日は旧暦7月28日。3日間行われた「中国盆」の最終日です。「中国盆」は江戸時代から続く伝統祭事で、正式には「普度蘭盆勝会」といいます。期間中、全国各地から集まるという華僑の人々が崇福寺の祭壇で竹線香をあげ、静かに手を合わせます。日本のお盆とは違う独特の飾り付けや儀式をひと目見ようと見物客も大勢訪れます。 話がそれますが、崇福寺の山門をくぐる前に、近くにある浄土真宗のお寺、「大光寺」へ寄りました。実はこの日(新暦9月3日)は、日本の活版印刷の創始者として知られる本木昌造(もときしょうぞう)の命日。大光寺にお墓があり、毎年、地元の印刷業関係者によって法要が営まれています。幕末、オランダ通詞だった本木は、明治になると日本初の日刊新聞「横浜毎日新聞」を発刊、製鉄の分野も関わるなど激動と混乱の時代に多方面で活躍しました。本殿裏手にある本木家のお墓には、すでに何人もの参拝者が訪れたらしく、線香の匂いが漂っていました。 大光寺から徒歩1分の崇福寺へ。朱色の門をくぐると参道階段の頭上を覆うように真っ赤なランタンが飾られていました。その階段をのぼれば、だんだん現世から離れていくような不思議な感じ。出迎えた「第一峰門」(国宝)前にも赤いろうそくが灯され、お盆のしつらえ。どこもかしこも精霊を迎えるために整えられた崇福寺は雨に濡れ、いつも以上に幻想的な雰囲気に包まれていました。 先祖の霊はもちろん、ご縁の有る無しに関わらず、亡くなったすべての人々の精霊が極楽浄土へ行けるように供養するという中国盆。崇福寺内には、大小いくつもの祭壇が設けられていました。雨の中、順々に参拝して回る華僑の人々。ときおり、「久しぶり!」「元気だった?」という声が聞こえてきます。この祭事のときにしか会えない知り合いもいるとのことです。 白飯、キクラゲ、寒天、高野豆腐など、十数種類の精進料理が白いお皿にズラリと並べられたお供え物は圧巻。唐寺の軒下で極彩色の光景を眺めていると、ときどき竹線香やジャスミンに似た甘い香りを風が運んできます。お坊さんたちの歌うような読経にも何となくうっとりしてしまい、時間を忘れてしまいそうです。 最終日の夜は例年なら中国獅子舞が奉納されるのですが、雨のため中止に。でも、お供えの「金山・銀山」を燃やす供養は行われました。狭い境内の一角で、盛大に燃やされ、天にのぼるその煙とともに精霊たちは極楽浄土へ送り出されるのでしょう。すべてが燃え尽きたところで、長崎市の消防団がすみやかに放水に取りかかります。雨で十分に濡れていても、念には念を入れ鎮火するのです。この消防団の現実感あふれる勇姿によって、毎回、中国盆の幻想的な世界から、ようやく抜け出た気分になるのでした。
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