第430号【気になる形や文様(中国編)】

 七夕に夜空を見上げた方は、どれくらいいらっしゃるでしょうか。織女星と彦星が年に一度だけ出会うこの日、「成績が上がりますように」「逆上がりができますように」と短冊に書いた思い出のある方もいることでしょう。ちなみに、願い事を記した短冊を笹竹に付けるようになったのは、寺子屋が普及した江戸時代のこと。当時の人も手習いの上達を星々に祈願したそうです。その頃、長崎にも多くの寺子屋があり、七夕(旧暦)は賑やかな年中行事のひとつでした。師匠が、師弟やその親を招いてしっぽく料理をふるまったと伝えられています。

 

 ところで夜空の星を見上げたとき、つい北の空にある北極星を探してしまうという方も多いはず。見つけやすく、常にそこにある北極星は、方位の目印。古く「北辰(ほくしん)」と呼ばれ信仰の対象でもありました。西山神社(長崎市西山)には、この星をかたどったと思われる鳥居の額束(がくづか)があります。額束は通常、長方形ですが、ここのは円形です。西山神社(当時は妙見社)は、唐通事を祖とする家柄で、長崎聖堂(学問所)の学頭であった盧草拙(ろ そうせつ)が中国から持参したという「北辰妙見尊星」を祀るために1717年に建てたもの。盧草拙は天文学者で、西川如見らとともに将軍吉宗に招かれるほどの人物でした。



 

 まちを歩けば、行く先々で気になる形や装飾文様と出会う長崎。唐寺・聖福寺(長崎市玉園町)では、境内そばの石造りの柵に「蝙蝠(こうもり)」の文様が刻まれていました。蝙蝠は、中国語では「蝙」と「福」の発音が同じことから、吉祥文とされています。また、聖福寺は本堂の扉にある「桃」の彫刻でも知られていますが、この「桃」も延命長寿の吉祥文です。





 

 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)で、ひときわ色鮮やかな第一峰門には、牡丹の花や青い蝙蝠など縁起のいい文様が描かれています。門の軒下に組まれた木の一つひとつには「雲」が描かれていました。「雲」もまた古代中国以来、瑞祥を意味する文様です。



 

 玉泉神社(長崎市寄合町)では、唐寺にも負けない色鮮やかな文様をいくつも見ることができます。たとえば、拝殿の軒下には魔除けの役割として「獏」と「獅子」と思われる霊獣の彫刻がほどこされています。周辺には長寿の象徴である「亀」や愛嬌のある表情をした「獅子」もいます。唐人屋敷や丸山にもほど近いこの神社。江戸時代は中国の人々との関わりもあったのでしょう。唐寺の面影のある長崎らしい神社です。





 

 長崎のまちでもっとも多く見かけるのが、龍の文様です。古代中国で創られた想像上動物で、中国とゆかりの深い長崎のシンボル的な存在です。建物や看板、お土産品、喫茶店のコースターなど、龍の姿を数え出したらキリがありません。神獣・龍は、あらゆる場面で長崎のまちや人々を見守っているのでした。

 


参考/『すぐわかる日本の伝統紋様』(並木誠士 監修/東京美術)、『長崎事典~歴史編~』、『江戸文様図譜』(熊谷博人 編著)












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