第439号【長崎の植物観察~晩秋編~】

 秋の七草のひとつ、薄(すすき)。どこか淋しげな姿で郷愁を誘います。身近な植物だと思っていましたが、近頃では近郊に出ないと群がり生える景色は見られなくなりました。薄で思い出すのが、芭蕉十哲のひとり向井去来の「君が手もまじるなるべし花薄」という句です。



 

 長崎で生まれ育ち、京都に出て芭蕉と出会い、門人となった去来。その後、何度か帰郷して蕉風俳諧を長崎に伝えました。「君が手も~」は、元禄2年(1689)夏に帰郷し、仲秋の頃に京都へ帰る際、長崎街道・日見峠で簑田卯七(みのだ うしち/去来の親戚筋で俳諧を志した人物)に見送られたときの句です。別れを惜しみ、いつまでも手をふる卯七。去来が振り返るたびにその姿、その手が薄の間に見え隠れし、ゆれる花穂に混じっていつしか見えなくなってしまった、そんな光景が浮かびます。

 

 この句に出て来るのは仲秋の薄で、花穂がふさふさと付いている頃です。晩秋~初冬の今時分になるとずいぶん散ってしまい、より淋しい感じがします。余談ですが、去来が長崎で過ごしたこの時期、芭蕉は「おくのほそ道」の旅の終盤にありました。

 

 さて、今回は薄の写真を撮りがてら晩秋の植物を観察。長崎の低地は、ようやく紅葉シーズンを迎えたところで、イチョウ、ナンキンハゼ、サクラなどの紅葉がまちを彩っています。寺町通りの一角にある大音寺の大イチョウ(樹高約20m/推定樹齢300年以上)も見事な黄金色に染まりました。





 

 趣のある茅葺きの建物と日本庭園が美しい「心田庵」(長崎市片淵)では、美しく紅葉したヤマモミジが見られました。心田庵は、去来が生きた時代とも重なる16601680年代頃に、唐通事の何兆晋(が ちょうしん)が建てた別荘です。当時、風雅の楽しみを知る人たちが集い、お茶を嗜んだそうです。今年2月長崎市の史跡に指定され、春と秋には期間限定で一般公開されています。庭園では、サザンカ、ツワブキの花などが見られました。石垣や樹木の表面には、ちょうどこの時期に成長する「豆蔦(マメヅタ)」が這いつたっていました。直径2センチ前後の小さな葉ですが、光沢のある緑色が目を引きます。





 

 シーボルトの鳴滝塾跡(長崎市鳴滝)へ足を運ぶと、イチョウやムクロジが鮮やかな黄色に染まっていました。中国原産のイチョウは全国各地で見られますが、ムクロジは関東より西の比較的温かな地域に分布する高木です。市街地の一角ながら雑木林や段々畑の風景が残る鳴滝界隈。雑木林の地面には、アラカシの大木からこぼれ落ちたドングリの実がたくさんころがっていました。辺りを包むんは、ひんやりとした空気と落ち葉の匂い。自然界は着々と冬支度をすすめているようです。

    

 

 

◎参考にした本/「名前といわれ 野の草花図鑑2」(杉村昇/偕成社)、紅葉ハンドブック(林将之/文一総合出版)、どんぐりハンドブック(いわさゆうこ/文一総合出版)












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