第438号【長崎の狛犬いろいろ】
神社などで見かける狛犬。そのルーツは古代文明の発祥地といわれるオリエント(エジプトやメソポタミア)の時代にまでさかのぼり、ライオン(獅子)がその意匠のモデルだといわれています。オリエントから東へは、シルクロードを経て伝わり、中国では唐獅子、日本では狛犬として現在に至っています。西へ伝わったものは、神殿や宮殿を守るライオン像や紋章のデザインに取り入れられるなどしました。
長崎で狛犬といえば、「カッパ狛犬」や「トゲ抜き狛犬」、「立ち狛犬・逆立ち狛犬」などめずらしい狛犬が数多く点在している諏訪神社が良く知られています。もともと長崎のまちには、神社や唐寺、道の脇にひっそりとある祠(ほこら)など狛犬が置かれるような場所がたくさんあります。その姿も、威風堂々としたものから、愛らしくユーモラスなものまでいろいろなタイプがあり、見比べながらのまち歩きも楽しいものです。
長崎市内各所の狛犬を数多く見ていると、タイプによっていつ頃つくられたものかが、何となくわかるようになってきます。たとえば、諏訪神社の参道でいちばん最初に出会う大きな狛犬は昭和10年のものですが、たてがみも表情もくっきりと彫られ、胸には「瓔珞(ようらく)」という飾りも付けるなど、全体的に堂々として、いかにも強そうな雰囲気が漂っています。こういう「立派で、強い」印象の狛犬は、大正時代から昭和10年代のものに多いようです。戦争が続いた当時の時代背景がなんとなく感じられます。
聖福寺(長崎市玉園町)の参道にいらっしゃる狛犬は、江戸時代のものと思われます。どこかアニメチックな表情で、短い足と広い尾がかわいい。この狛犬に限らず、江戸時代の狛犬は、石工の人柄やセンスが偲ばれるほど個性的。発注者のこまかい注文がある一方で、職人が自分の思いを込める余地があったのでしょう。
長崎のまちの狛犬(?)でもっともめずらしいと思われるのが、出雲大社長崎分院(長崎市桜町)にあります。神話に出て来る鰐鮫(ワニザメ)と白兔をモチーフにしたもので、狛犬的な存在らしいのですが、その鰐鮫が「サメ」ではなく、「クロコダイル」なのです。向かって左側はクロコダイルの背中に、白兔が腹這いで乗り、右側は白兔が立ち上がった姿勢で乗っています。関係者のお話によると、これは大正時代につくられたもので、当時、動物園を通して「ワニ(クロコダイル)」が知られはじめた頃だったとか。「石工は一人でも多くの人の注目を浴び、参拝に来ていただこうと、クロコダイルを彫ったと思われる」とのことでした。ハイカラ好みでどこかおおらかな明治の気風を残した大正時代の空気が感じられるエピソードです。
歴史的に中国とのゆかりが深い長崎らしい狛犬が、崇福寺の山門前に佇んでいます。こちらは「唐獅子」と呼んだほうがしっくり来る姿です。また、長崎には江戸時代の唐通事のお墓で、約20年の歳月をかけて築いたといわれる「東海の墓」があります。そこにもお墓を守るように設けられた狛犬的なものが見られます。
表情豊かな狛犬を見ていると、特に江戸時代などはその地域の人々に愛され親しまれる存在で、いまでいうご当地マスコットキャラクターではなかったかと思われ、現代の日本人に通じる国民性が垣間見れる気がするのでした。
◎参考にした本/「狛犬の歴史」(藤倉郁子/岩波出版サービスセンター)、「狛犬事典」(上杉千郷)