第429号【長崎~江戸を旅したゾウ】

 雨が小休止した昼下がり、諏訪神社(長崎市上西山町)に隣接する長崎公園内の「動物ひろば」へ立ち寄りました。そこは、ウサギやニホンザルなど数種類の動物を観察できる小さな動物園。目を止めたのは、いまにも羽根を広げそうなしぐさをするクジャクでした。


 

 美しい羽根を持つクジャクは、東南アジアや南アジア、アフリカなどに生息する動物です。日本に運ばれてきたもっとも古い記録は『日本書紀』にあり、6世紀末の推古天皇の時代だとか。古来、「珍しい動物=珍獣」のひとつとして人々の関心を惹き付けてきたクジャクは、江戸時代も将軍へ献上されています。また当時、一部の富裕層や西洋かぶれの学者などが、その羽根をあしらった装飾品や文具を珍重したと伝えられています。



 

 江戸時代、長崎には唐船やオランダ船で、ダチョウやオランウータン、南国の鳥類などがいろいろ運び込まれています。特に珍しかったり、美しいものなどは将軍へ献上されていて、その中にはゾウやラクダなどの大型の動物もありました。



 享保14年(1729)、8代将軍吉宗へ献上されたゾウは、長崎からお付きの人間とともに街道をテクテクと歩き、川を渡り、約2カ月半かけて江戸へ入ったと伝えられています。ちなみに献上されたのはオス。大人のゾウではなかったそうですが、3トン近くはあったと言われています。実はこのゾウ、前年ベトナムから唐船で長崎へ運ばれてきたときはメスも一緒でした。しかし、残念なことに長崎滞在中にメスだけ亡くなっています。


 


 さて、吉宗のもとをめざして街道を行くゾウ行列には、いろいろなエピソードが残されています。京都では天皇の上覧があり、このゾウに『広南従四位白象』の官位が与えられました。また、愛知県の浜名湖近くを通る姫街道(見附宿と御油宿を結ぶ東海道の脇街道)には、道中の様子を物語る地名がいまも残されています。その名も「象泣き峠(または象泣き坂)」。勾配が急で、足下も悪かった峠道をゾウが悲鳴をあげ、涙を流しながら歩いたことから、そう呼ぶようになったと伝えられています。

 

 江戸に入る直前の「六郷川」(多摩川)では、ゾウを無事に通すようにと幕府からお触れが回っていたため、村人らは川に30隻の舟を並べて、その上に板を敷き、杭を打って固定させるという大工事を行いました。村人たちは、ヒヤヒヤしながらゾウを出迎えたに違いありません。大勢の人々に迷惑(!?)をかけながらようやく江戸に付いたゾウ行列。見物人が後を絶たず、「享保のゾウ」と呼ばれ、人気を博したそうです。

 

 ゾウと同じく江戸っ子たちを熱狂させた動物がラクダです。オランダ船で長崎に運ばれたラクダは、各地で興行しながら江戸へ。当時、「駱駝(ラクダ)」は、「大きくてノロマ」を意味する言葉として江戸っ子たちの間でおおいに流行ったそうです。



 

 

参考/『~長崎から江戸へ~象の旅』(石坂昌三/新潮社)










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