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  • 第646号【秋だ!祭りだ!】

     10月に入ってから、中島川ではキセキレイ、ハクセキレイが活発に飛び回る姿を目にするようになりました。ようやく、秋めいて過ごしやすくなってきましたね。食や催しなど、何かと楽しみの多いこの季節を存分に楽しみたいものです。  長崎くんちが4年ぶりに開催されました。今年の踊町(おどりちょう)は、桶屋町(本踊)、船大工町(川船)、栄町(阿蘭陀万歳)、本石灰町(御朱印船)、丸山町(本踊)、万屋町(鯨の潮吹き)の6ケ町。踊町の役割は、本来なら7年毎に回ってきますが、新型コロナの影響で、今回10年ぶりの演し物の披露となりました。  10月7・8・9日の本番を前に、10月3日には、「庭見世(にわみせ)」が行なわれました。これは、踊町が傘鉾(かさぼこ)をはじめ、本番で使う衣装や道具、贈られたお祝いの品々などを披露する催しで、まちはお祭りムードに包まれます。大勢の人々がまちに繰り出し、そぞろ歩きながら見物して回るなか、旧友や知人に久しぶりに再会して声を掛け合うといった光景もよく見られます。ご年配の方々の見物客が多いのも、そうした楽しみがあるからかもしれません。  今年の長崎くんちは、開催期間の3日間のなかで、8日(中日)はあいにくの雨に見舞われましたが、7日(前日)、9日(後日)は、薄曇りの間に青空がのぞき、さわやかな秋風が吹きぬけました。長崎くんちは、踊町の多彩な演し物のほかに、諏訪神社にまつられる「諏訪」・「住吉」・「森崎」の3基のみこしを担ぎ渡る「お下り」や「お上り」、そして踊町の旗印である「傘鉾」が練り歩く「傘鉾パレード」や「流鏑馬(やぶさめ)神事」など見所が満載です。今回も、踊り場や沿道の観客から大きな歓声が上がっていました。  長崎市内では、長崎くんちのほかにも、大小たくさんの祭りや伝統芸能が受け継がれています。例年秋に開催されている「長崎郷土芸能大会」は、そうした各地域のさまざまな伝統芸能を一堂に集めて披露しています。第46回目となる今年は、「長崎シャギリ」、「中尾獅子浮立と唐子踊」、「式見女相撲」、「高島鼓響塾(姫大蛇)」、「長崎女子高等学校龍踊」など5つの民俗芸能が登場。会場の長崎市民体育館の観客席はほぼ満席で、多くの市民が楽しんでいました。来年の開催は11月10日だそうです。 地域の歴史や風土がうかがえる伝統の祭りや芸能。いくつもの大きな時代のうねりを乗り越えて、いまに至っているもののなかには、新しい時代の息吹を浴び、新たな表情で歴史を刻みはじめたものもあります。いずれにしても、そこには、人々が失いたくない大切なものがあるよう。時代が大きく変わりつつあるいま、どうしようもなく消えていくものには、ありがとうを。そして、残されたものは、引き続き先人の思いも一緒に次代へ繋いでいけたらいいですね。

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  • 第645号【初秋、シーボルトを想う】

     いままで経験したことのない猛暑と、厳しい残暑に見舞われたこの夏。そんななか、秋の味覚のザクロがご近所の庭で早くもたわわに実っていました。今年は花も早めに咲いたので、果実も前倒し気味なのかもしれません。  この暑さのなか、いつもと変わらぬ元気な姿を見せていたのが、中島川のカワセミです。石橋のアーチをスイ〜とくぐり抜けて来て、川辺の石に留まり水中の小魚をじっと狙っていました。ブルー&グリーンの美しい羽根の印象から、「渓流の宝石」などとも称されるカワセミ。かつては清流にしか棲まないと言われた時代がありましたが、いまでは街なかの川でも見られるようになりました。けっこう、たくましい野鳥のようです。  江戸時代、このカワセミをはじめ日本の多くの動植物に学名を付け西洋に紹介した人物がいました。出島の商館医フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796-1866)です。シーボルトは、日本に西洋医学や博物学などを伝え、日本の近代化に貢献。一方で日本の生物や歴史、風俗など幅広いジャンルの調査・研究を行い、帰国後にまとめた『日本』『日本動物誌』『日本植物誌』などを通して、日本を広くヨーロッパに知らしめました。その功績は、はかりしれないものがあります。  野心あふれる27歳の青年シーボルトが、出島に初上陸したのは、1822年(文政6)8月のことです。今年はシーボルト来日200周年にあたり、シーボルトに関するさまざまな講座やイベント、企画展などが「シーボルト記念館」(長崎市鳴滝)や「長崎歴史文化博物館」(長崎市立山)、「出島和蘭商館跡」(長崎市出島町)などで行われています。  節目の年ということで、今回は思いつく限り、シーボルトの名を刻んだ記念碑をご紹介します。もっとも古いのは、シーボルト自身が1826年(文政9)年に出島内の花畑に建立した「ケンペル・ツュンペリー記念碑」です。先達の商館医ケンペル、そしてツュンペリーをたたえた碑文が刻まれています。この石碑が設けられた頃のシーボルトは、鳴滝塾を通して塾生らとの交流があり、また江戸参府も経験するなどして、日本研究に大きな手応えを感じていたと思われます。石碑は、シーボルトの自信と誇りの現れであったかもしれません。また、出島には、1973年(昭和48)に建立された「シーボルト来日150周年記念碑」があります。細長い碑の上部に、若き日のシーボルトの顔が刻まれています。  「県立長崎図書館郷土資料センター」(長崎市立山)の入り口付近には1879年(明治12)に建立された「施福多(シーボルト)君記念碑」があります。篆書体の題字と碑文の揮毫(きごう)は、長崎生まれの書家・篆刻家の小曽根乾堂によるものです。  「シーボルト記念館」に隣接する「シーボルト宅跡(国指定史跡)」の敷地内には、当時の長崎県知事の発議により1897年(明治30)に建立された「シーボルト先生之宅址」の碑があります。また、すぐそばにある「シーボルト胸像」は、来日100周年記念時に設けられたもの。ちなみに1923年(大正12)10月11日に予定されていた来日100周年記念式典は、同年9月1日に関東大震災が起こったため、翌年の4月に延期して行われています。 節目節目に建立されたシーボルトのさまざまな碑。その大きさやデザイン、碑文に、時代ごとのシーボルトへの関心度などが映し出されているようで、興味をそそります。50年後、シーボルトはどんな節目を迎えるでしょうか。  ◎参考にした本/『長崎市史 地誌編 名勝旧蹟部』

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  • 第644号【乗り越えて、平和へ】

     残暑お見舞い申し上げます。キョウチクトウが美しい花を咲かせています。きのう8月8日は立秋で、暦の上では秋を迎えました。この夏はとにかく暑すぎて、外出もままならないという方も多いよう。そんななか、近頃はひんやりとした夜風が吹くようになりました。昼の暑さが厳しいだけに、かすかな秋の気配がとてもうれしい。とにもかくにも、体調管理と台風災害への備えを万全にして、無事に乗り越えていきましょう。  この夏、各地では新型コロナの影響で中止になっていたイベントが次々に再開しています。長崎の夏の風物詩、「長崎ペーロン選手権大会」も4年ぶりに開催されました。「長崎ペーロン」は、江戸時代から続く長崎の伝統文化のひとつです。長崎の津々浦々で継承されているペーロンチームや職域チームが、長崎港を舞台に熱いレースを繰り広げました。 地元のペーロンチームは、いずれも古くから漁港を中心に栄えた地域にあり、今年「一般レース」で優勝した野母崎チームも漁業が盛んなところです。野母崎は、長崎半島の最先端にある地域で、美しいビーチが点在するエリアとしても知られています。ということで、夏らしい景色を求めて野母崎へ行ってきました。  長崎市街地から南へ伸びる長崎半島。緑豊かなこの半島を囲むのは五島灘、東シナ海、橘湾、天草灘。半島の最先端をめざして海岸沿いの車道を南下する途中、岳路海水浴場や高浜海水浴場などの美しい浜辺、ダイナミックな自然美を感じる海岸の岩場、そして沖合に浮かぶ軍艦島(端島)の景色が楽しめます。  野母崎エリアに入り、まず降り立ったのは、「長崎市恐竜博物館」(長崎市野母町)そばの海岸です。潮が引いたときに歩いて渡れる「田ノ子島」が目の前に。海岸には、夏休みの自由研究にしたくなるような個性的な模様の石やかわいい貝殻がたくさん。ちなみに、野母崎では、九州でもっとも古いといわれる「変はんれい岩」が見られるそう。この海岸の岩場もかなり古い地層の現れと思われました。 さまざまな文様の小石を楽しんでいるとき、海岸に流れ込む小さな水流で、かわいい野鳥と遭遇しました。遠目にはスズメのようでしたが、よく見ると、「トウネン」でした。「トウネン」は、シギの仲間のなかでは、もっとも小型。名前は「当年(とうねん)、生まれたばかりと思うくらい小さい」ことに由来するそうです。  「長崎市恐竜博物館」前から、さらに南下して、脇岬海水浴場へ。ここは、1.3Kmも続く白砂の浜で、干潮時には波の浸食でつくられた自然の棚瀬(ビーチロック)が見られることでも知られています。マリンスポーツが盛んのようで、この日は、サーファーとボードセーリングを楽しむ人の姿がありました。このビーチをよく利用しているという方の話によると、いまでは「海の家」が1軒だけになったこともあり、海水浴客はひと頃より減っているそうです。   真夏の空と脇岬の海岸の景色は、とても美しく、波音とともにしばらくその景色を楽しみました。この平和な海や空とつながる国で、まだ争いが続いていることを思うと悲しい気持ちになります。きょうは8月9日。78年前、長崎に原爆が投下された日です。原爆で亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、一日も早く世界中に平和が訪れることを願います。

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  • 第643号【梅雨から健やかな夏へ】

     梅雨末期の記録的な大雨による災害で、被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。一日も早くふだんの暮らしに戻れますようお祈りいたします。  九州は、そろそろ梅雨明け。長崎では夏の花、ノウゼンカズラが開花しはじめました。猛暑の中、たくさんの花をつけるノウゼンカズラ。明るい色合いが美しく、見かけると元気をもらえます。そんな容姿にちなんでか、花言葉は、「豊富な愛情」「華のある人生」など。原産は中国で、平安時代に薬用として日本に伝えられたそうです。この時期はオニユリも開花。花びらの茶色の斑点が特徴的です。オニユリは葉の根元に黒いムカゴをつけます。それが土に落ち、次の世代につながるのです。ちなみに、オニユリのムカゴも、ヤマイモのそれのように食べられるらしいのですが、苦味があるそうです。  7月を迎える前に各地で30度越えの真夏日が記録されました。年々暑さが厳しくなるこれからの季節を、健やかに快適に乗り切るために、こまめな水分補給はもちろんのこと、部屋のカーテンを遮熱タイプに変えたり、冷感素材のタオルや寝具を使ったりなど、あれこれ対策をはじめている方も多いことでしょう。なかには、最寄りの神社の「夏越の祓(なごしのはらえ)」で厄除けを行った人方もいらっしゃるのではないでしょうか。  全国各地の神社で6月30日に行われる「夏越の祓」。この日、境内には大きな「茅の輪(ちのわ)」が設えられ、参拝者は、『水無月の夏越の祓へする人は千歳の命延ぶというなり』という和歌を唱えながら、「茅の輪」を8の字を描くようにくぐります。この「茅の輪くぐり」をすると、今年半年間の穢れが祓われ、夏場の災厄も免れ、残りの半年を無病息災に過ごすことができると古くから伝えられています。 「夏越の祓」の行事は、神社によってくぐり方の作法や行われる時期に、違いがあります。長崎の諏訪神社(長崎市上西山町)の場合は、6月30日と翌7月1日の2日間。淵神社(長崎市淵町)は6月30日から7月初旬まで行われています。  今回、久しぶりに淵神社へ足を運んだので、隣接する長崎ロープウェイの「淵神社駅」から、ゴンドラに乗って稲佐山の山頂(標高330m)へ行ってみようと思ったのですが、7月14日まで点検のため運休中でした。そこで、急きょ、「長崎稲佐山スロープカー」を利用することに。乗車駅は、稲佐山中腹の稲佐山公園にあります。  2020年1月に誕生したスロープカー。稲佐山の尾根を行くレールは、山頂まで約8分間。全方位を見渡すスロープカーの快適な乗り心地のなかで、近年大きく変わりつつある長崎市街地と、五島灘の眺望を楽しみました。このときスロープカーに一緒に乗り合わせた方が、「長崎は、夜景の美しさはよく知られていますけど、茜色の夕日を浴びたまちの景色も、とてもきれいなんですよ」と教えてくれました。長崎の市街地の西側に位置する稲佐山。地元の多くの人が夕焼けに包まれる稲佐山を見上げることはあっても、逆の景色を見る機会はなかなかありません。梅雨が明けたら、あらためて、茜色に染まった長崎の街を眺めに行こうと思います。

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  • 第642号【6月のあれこれ】

     長崎を含む九州北部地方の今年の梅雨入りは、5月29日でした。雨の季節になると、眼鏡橋そばの川沿いにアジサイの鉢植えがズラリと並べられます。今年も先月下旬から色とりどりのアジサイが道行く人の目を楽しませてくれました。  アジサイのそばに一輪の真っ赤なダリアが咲いていました。美しく、育てやすいダリアは多くの人に親しまれ、今ではたくさんの品種があることで知られています。そんなダリアは、長崎ゆかりの花のひとつです。18世紀後半に原産国のメキシコからヨーロッパに伝えられ、19世紀中頃にオランダ船によって出島に運ばれてきたといわれています。  さて、6月1日は、4年ぶりの開催が決まった長崎くんちの「小屋入り」でした。「小屋入り」は、秋の本番に向けての稽古始めの日とされ、今年の奉納踊りを担当する「踊町」(桶屋町、栄町、万屋町、本石灰町、船大工町、丸山町)は、朝から諏訪神社(長崎市上西山町)に参拝し、稽古の無事と本番での成功を祈願。久しぶりに響き渡ったシャギリの音色が心に沁みました。  6月5日、全国ニュースでは、藤井聡太竜王名人と佐々木大地七段のベトナムでの対局が話題になっていました。佐々木七段が、長崎県対馬市出身ということもあり、地元での注目度はひときわ高かったようです。そんな将棋の大きな話題の中で、ふと頭をよぎったのは、旧長崎街道沿いに残る、「大橋宗銀」のお墓にまつわるエピソードです。  長崎街道の出発地点(長崎市新大工町)から徒歩約30分。長崎市本河内にあるその墓碑に刻まれているのは、「六段上手 大橋宗銀居士」、「天保十年巳亥十一月廿三日 東武産而客死長崎」。大橋宗銀という江戸の優れた将棋指しが、幕末の1839年11月に旅先の長崎で亡くなったとあります。 江戸時代、将棋は、武士階級はもちろん町人や農民の間でも広く行われていました。幕府が認めた将棋三家のひとつ、大橋本家には、実際に大橋宗銀という名の家元がいたそうですが、長崎のお墓の人物とは思えません。  長崎奉行所の犯科帳には、この墓に眠ると思われる人物についての記載が残されていました。名前は大橋宗元。偽の往来手形を使い、将棋指南の目的で長崎に入ったことや、行き倒れになったことなどが記されているとか。想像するに、江戸であぶれたひとりの将棋指しが、自身の将棋の腕だけを頼りに、ときに家元と偽りながら諸国を渡り歩くなか、長崎に流れ着いたのかもしれません。   当時の旅人は、病気やケガに見舞われて旅先で行き倒れるというケースも多く、土地の人が街道脇に旅人の墓を設けることがあったそう。大橋宗元についてのこまかな真相は定かではありませんが、長崎のどこかの家に滞在し、将棋を指南したかもしれません。それにしても、旅ガラスとなった将棋指しのお墓がひっそりと残り、こうして語り継がれるとは、当の本人も想像だにしなかったことでしょう。

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  • 第641号【新緑の季節の長崎めぐり】

     新緑の季節、どんな連休をお過ごしになられましたか。長崎は期間の後半はあいにくの雨となりましたが、観光スポットはどこもコロナ禍前を思わせる人出で賑わったようです。5月4日には長崎港に4年ぶりに、客船「クイーン エリザベス」(全長294m、約99,000トン)が寄港。シックで優雅な巨大船体を一目見ようと多くの人々が港周辺に集いました。  連休中の雨は、「走り梅雨」を思わせるような降り具合でした。「走り梅雨」は、例年なら5月中旬から下旬にかけて見られる空模様。近頃は、季節のめぐりが前後することもよくあるので、つい先走ったことが頭をよぎります。実際、長崎くんちの小屋入り(6月1日)の頃に咲く諏訪神社(長崎市上西山町)のザクロの木が、すでに橙色の花を咲かせました。そうなると、梅雨入りも早まるのでは?と気になるところです。  諏訪神社からほど近い長崎歴史文化博物館(長崎市立山)へ行くと、「長崎式のこいのぼり」が今年も広場に飾られていました。江戸時代から伝わるという「長崎式のこいのぼり」は、杉の木の先端を残した支柱に、複数のこいのぼりを下げた笹の旗竿を斜めにゆわえてあります。こうすると、こいのぼりは風がなくても絡みにくく、風が吹けば旗竿が動いて、のびのびと空中を泳ぐのです。長崎式の旗竿には、「鍾馗(しょうき)」の絵も欠かせません。「鍾馗」は、中国の伝説で疫病を防ぐ神さま。日本では、その絵は魔除けや学業成就に効くとして、端午の節句のさまざまな飾りに用いられてきました。昔も今も、子どもたちの健やかな成長を願う気持ちに変わりはありません。  江戸時代中期に築かれた庭園が残る「中の茶屋」(長崎市中小島)へも足を運びました。「中の茶屋」は、江戸時代の長崎の花街・丸山を代表する茶屋のひとつだったところ。当時、多くの文人墨客が訪れたと伝えられ、長崎奉行も市中巡検の際に休憩所として利用したそうです。「中の茶屋」の門扉をくぐると、掃除の行き届いた敷石の通路が奥の木造家屋へと誘います。老松など庭の樹木はほどよく整えられ、心地いい静けさが漂っていました。  日本の庭園の歴史をひもとくと、江戸時代は、池をつくり周りに樹木や石灯籠などを配して、歩き巡りながら庭の景色を楽しむ回遊式の庭園が多く造られたそう。「中の茶屋」の庭園も規模は小さいですが回遊式。池のまわりに施された狭い通路をめぐりながら景色を楽しみます。庭園には、稲荷のほこらや鳥居、そして丸山の遊女が献納したと伝えられる石の手水鉢があり、「中の茶屋」の歴史が垣間見えます。   「中の茶屋」の建物は、茶室を擁した木造家屋の2階建て(昭和46年に火災で焼失後、新築復元されたもの)です。広縁や座敷などから古き良き和の風情が感じられます。ここは現在、長崎市出身の漫画家・清水昆さん(1912〜1974)の展示館として利用され、昭和の時代に愛された「かっぱ川太郎」や「かっぱ天国」などの原画が展示されています。「かっぱ川太郎」の無邪気さや家族とのふれあいは、遠くなりつつある昭和の人情味にあふれ、ほっこりします。昭和好きの方にはおすすめのスポットです。余談ですが、清水昆さんゆかりのかっぱの銅像「ぼんたくん」が、中島川沿いにも設置されています。かわいいですよ。

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  • 第640号【2023はじまりの春】

     桜前線はいま、青森県の北部あたり。今週末には北海道に上陸するようです。長崎の桜は先月21日に開花。ときおり雨に見舞われながらも無事に満開を迎え4月初めまで花を楽しめました。それにしても今春の長崎は、4月に入るなり連日初夏を思わせる日差し。近郊の山々もめきめきと新緑におおわれました。長崎のあちらこちらで見られるクスノキは、春の落葉を終え、やわらかな若葉が生え揃いました。黄白色の小さな花をつけるクスノキは、例年なら5月初旬に開花して爽やかな甘い香りを漂わせるのですが、それも早まりそうな気配です。  季節が過ごしやすい陽気に包まれていく一方で、進学、就職、異動など、春の別れと出会いに、さみしさや期待が入り混じる複雑な思いを抱えている方も多いのではないでしょうか。そんな気持ちをくすぶらせながら、「寺町通り」を歩いていると、「浄安寺(じょうあんじ)」の掲示板に、『出会いは人を豊かにし、別れは人を深くする』という言葉が掲げてありました。タイムリーなその言葉に励まされて通りを先に進むと、今度は「延命寺(えんめいじ)」の掲示板に、『諸行無常』の文字が。さすが、お寺さんは心得ているもの。足取りが軽くなりました。  主に江戸時代初期に建立されたお寺が複数建ち並ぶ「寺町通り」。そのひとつ「浄安寺」は寛永元年(1624)創建の浄土宗のお寺です。「延命寺」は、元和2年(1616)創建。山門の門扉は、長崎奉行所立山役所のものが移設されています。山門をくぐると、ふくよかな表情の健康観音像が迎えてくれますよ。  「延命寺」のお隣は、「長照寺」です。手入れの行き届いた庭園のような境内では、古い桜の木がまだ花をとどめていました。桜の終わり頃に咲きはじめる牡丹や藤は開花してすっかり見頃。梅の木は実もたわわでした。そんな「長照寺」の境内を、数人の外国人観光客も楽しんでいました。彼らは、小声で言葉を交わしながら桜を静かに眺めていました。実は、こうした外国人観光客の姿を先月中旬から長崎のまちでよく見かけます。ちょうどその頃から長崎港に国際クルーズ船が相次いで入港しているので、おそらく、数時間の長崎観光を楽しむクルーズ船の乗客なのでしょう。  早朝入港したクルーズ船は、夕方には次の寄港地に向かいます。この日、入港していたのは「ダイヤモンド・プリンセス」(船籍:英国)。全長約290メートルの大型船です。この船を港ごと写真におさめようと南山手の高台へ向かう途中で、県外から観光にいらしたという70代のご夫婦にグラバー園への道を尋ねられました。長崎には若い頃に一度だけ来たことがあるとか。「若い時はずいぶん歩き回ったけれど、いまは、さすがに坂はきつい」と苦笑いされるご主人。らくに高台のグラバー園第2ゲートに行ける斜行エレベータ「グラバースカイロード」をご案内しました。   国内外を問わず、多く観光客の方々がコロナ禍を経験したことで、自由に人と会ったり、旅をしたりすることの喜びをこれまで以上に感じているよう。行き交う観光客のやさしいまなざしに長崎観光の新時代のはじまりが見えるようでした。

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  • 第639号【早春、市民の森へ】

     日ごとに寒さがゆるむなか、長崎では沈丁花が香る季節になりました。早春のつめたい空気に溶け込む甘く上品なこの香り。高校の卒業式シーズンとも重なり、「卒業して何年経っても、沈丁花の香りは当時を思い出させる」という人がいました。一瞬で遠い昔がよみがえる「香り」って本当に不思議ですね。  春めいてくると気分は自然と屋外へ。早春のバードウォッチングを楽しもうと、「長崎市民の森」へ出かけました。長崎市中心部から南西に伸びる長崎半島にある「長崎市民の森」。そのエリアは、長崎市街地を見渡す景勝地のひとつとして知られる「唐八景」から、半島の途中にそびえる長崎市でいちばん高い山、「八郎岳」(590m)までの森林地帯。森林体験館や休養宿泊施設、キャンプ場などが設けられ、「野鳥の森」や「昆虫の森」といった場所もあります。ちなみに「長崎市民の森」を抜け、半島の先端まで南下すると、「長崎市恐竜博物館」がある野母崎(のもざき)地区に出ます。  3月に入ったばかりの「長崎市民の森」は、まだ冬枯れの景色が残っていました。標高300メートル前後の山々を稜線沿いに歩くと、平地ではすでに散ってしまった梅が満開でした。このあたりでは、ツグミ、キジ、カケスなどたくさんの種類の野鳥を観察できるはずなのですが、鳴き声はするものの、なかなか姿が見えません。そんななか、「ツーツーピー」という声が。丸々とふくらんだ(羽毛の間に空気の層を作って寒さから身を守っている)ヤマガラでした。  「森林体験館」のスタッフによると、いまは越冬のために鹿児島の出水市に飛来していたマナヅルやナベヅルが、シベリアなどへもどる時期(主に3月)で、運が良ければ長崎半島の上空を通過し、北へ向かう群れを見ることができるそうです。「森林体験館」の周囲には、めずらしい野鳥がときおり訪れるようで、数年前には目の前の樹木に、アカショウビンが現れたこともあるとか。全長約27㎝、くちばしも体も赤いアカショウビン。マナヅル、ナベヅルらとともに、希少な野生動植物として「長崎県レッドリスト2022」に掲載されています。  今回はめずらしい野鳥との出会いはありませんでしたが、「野鳥の森」の一角にある「橘翔大展望」で、すばらしい眺めを堪能しました。茂木港や美しい橘湾をへだてて島原半島や天草を一望。あらためて長崎をかこむ海の美しさを実感しました。   「長崎市民の森」の帰りに「唐八景公園」へ。眼下に長崎の市街地を見渡す唐八景は、古くから(一説には長崎開港の頃)春になるとハタ揚げが行われてきた場所です。長崎のハタは、空中でハタをうまく掛け合わせ、相手のハタを切り落とすハタ合戦。その昔、春のハタ合戦の日ともなると、唐八景は足の踏み場もないほど混雑。大人たちは赤い毛氈を敷いて陣をとり、三味線・太鼓に興じ、酒を酌み交わしながらハタ合戦を見物したとか。人々は勝負の行方だけでなく、個性的なハタの絵柄(種類は100を優に超える)を見るのも楽しみだったようです。

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  • 第638号【長崎の真ん中から見渡す】

     3年ぶりに開催された「長崎ランタンフェスティバル」(1/22〜2/5)が無事に閉幕しました。最終日前夜の2月4日土曜日は立春。「暦の上では春ですが、厳しい寒さが続いています…」というのが、いつもの「立春」ですが、この日の長崎は、文字通り春めいた温かさを感じる天候でした。そのお陰もあってか、約1万5千個もの中国ランタンが施された長崎市中心部は、かなりの人出。ランタンを見上げる人々のマスク越しの会話も、あちらこちらで弾んでいました。 道沿いに延々と連なるランタンは、長崎のまちを縦横無尽に飛び交う龍のよう。新地中華街そばの銅座川では桃色のランタン、眼鏡橋がかかる中島川では黄色のランタンがそれぞれ水面に映って幻想的な景色でした。富を招くという金魚や縁結びの神様「月下老人」のオブジェの前では、ご利益にあやかろうと大勢の人々が集まっていました。 中国の旧正月、「春節」を祝う「長崎ランタンフェスティバル」。今年の干支のウサギにちなんだ大きなオブジェも目を引きました。ちなみに卯年生まれの長崎ゆかりの人物に、松尾芭蕉の高弟として知られる向井去来(1651-1704)がいます。去来は、儒医・向井元升の次男として長崎に生まれ、少年の頃、父に伴って京都へ移住。のちに芭蕉の門に入り、俳人として「西国三十三ケ国の俳諧奉行」と称されるほど高い評価を得ました。 去来が生まれた向井家は、江戸時代の長崎を代表する学問所、長崎聖堂の祭酒(所長)を代々務めた(一時期を除く)家柄です。父・元升は、長崎聖堂の前身である立山書院の設立者で、さまざまな人に広く開放された長崎聖堂は、学びの場として人材を育成、中国との通商や文化交流、儒教の振興に大きな役割を果たしました。あの坂本龍馬も受講したことがあると伝えられています。禅林寺(長崎市寺町)には、長崎聖堂4代目祭酒の文平と5代目の元仲が眠る向井家のお墓があります。 さて、「長崎ランタンフェスティバル」の賑わいのなか、この催しとは別のことで多くの人が訪れた場所がありました。長崎市役所新庁舎の19階展望フロアです。今年1月4日に開庁してから、展望フロアは平日のみの開放でしたが、2月4日から土日祝日も利用できるようになりました。 高さ約90メートルの展望フロア。まちの中心部から見渡すその景色は、長崎港を囲む山々から市街地を見下ろす景色とは違って、より臨場感があり新鮮に映りました。東側から時計回りで、烽火山、英彦山、風頭山、星取山、鍋冠山、そして長崎港の女神大橋と続きます。西側には市街地の向こうに稲佐山が見え、北から東にかけて立山、西山、新大工の街並みが見渡せます。 江戸時代に長崎の風物画を描いた川原慶賀だったら、この景色をどんなふうに描くだろう。ふと、そんなことを思わせる新時代の長崎の眺望。展望フロアの一角には長崎のまちの歴史を映像で紹介するコーナーもありました。観光で訪れる人にはもちろんおすすめですが、新型コロナの影響で、ここ数年帰省がかなわなかった親戚や友人たちにも見せたい故郷・長崎の新景色でありました。

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  • 第637号【尾曲がりねこと家康公】

     今年はどんなお正月を過ごされましたか。九州の三が日は穏やかな天候に恵まれました。その後も、ほぼ冬晴れの日が続き、日中外出すると汗ばむことも。温かいと動物たちも活動的で、中島川ではアオサギ、シラサギ、マガモ、カワウ、カワセミ、イソシギ、ハクセキレイ、キセキレイといった野鳥たちを一度の散歩で見かけることもありました。真冬は、あまり表通りに出て来ない町ねこたちも、道端で日向ぼっこをしたり、じゃれあう姿を見かけます。 町ねこといえば、長崎は、「尾曲がりねこ」が多いことで知られています。通常、ねこのしっぽといえば、しなやかに伸びた長いしっぽをイメージする人が多いと思いますが、「尾曲がりねこ」は、短いしっぽがクルっと丸まり、ボンボンのような形をしていたり、しっぽの先が曲がっていたり、通常のしっぽより短かったりします。その個性的なしっぽを長崎で初めて見た人は、「え?!」「かわいいー!」など、驚きを隠せません。 長崎に、「尾曲がりねこ」が多い理由について。江戸時代、唐船やオランダ船が長崎に荷物を運んで来るとき、積荷をネズミから守るためにねこを乗せていました。その中に、東南アジアや中国南部原産の尾曲がりの遺伝子を持つねこがいて、寄港先の長崎に住み着いたその子孫たちが、いまも町ねことして生息していると考えられているそうです。 尾曲がりは、「錠前」に似たその形から、「かぎしっぽ」とも呼ばれ、〝財産を守ってくれる〟、〝幸運をひっかけてくれる〟として、昔から縁起がいいとされているとか。新年早々、見かけた白ねこは、しっぽが見事にくるりと丸まっていました。ちなみに、ねこにはいろいろな毛色や模様がありますが、全身真っ白のねこは、幸運にちなんだエピソードが多く、こちらも縁起がいいそうです。 道端で居眠りする「尾曲がりねこ」を見ていて、ふと思い浮かべたのが、日光東照宮の「眠り猫」(国宝)です。徳川初代将軍家康公を御祭神とする日光東照宮。その東回廊に施された木彫像の「眠り猫」は、家康公をお守りしていると伝えられています。実は長崎にも家康公を祀る「東照宮神社」があります。 長崎市上西山町にある諏訪神社。その敷地に隣接する長崎公園の一角に、「東照宮神社」はあります。江戸時代、この場所には徳川歴代将軍を祀る「安禅寺」がありました。その本堂や庫裡(くり)は、現在の長崎公園の丸馬場一帯にあったそう。当時は、将軍を祀っていたことから崇敬を集めていましたが、明治維新とともに廃寺となり、御宮は「東照宮神社」として諏訪神社の末社になり現在に至っています。 市民が憩う丸馬場から「東照宮神社」に向かう道すがら、かつての参道跡と思われる石段が見られました。また、丸馬場の入り口には、徳川葵紋を刻んだ石門も残されています。この石門は、文政2年(1819)に乙名(町年寄の下で、実際に各町を支配した地役人)らの寄進によって建立されたもの。徳川家と長崎のつながりを現代に残す大切な遺構のひとつです。◎今年もみろくやの「ちゃんぽんコラム」をよろしくお願い申し上げます。

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  • 第636号【冬のきらめきLove&Peace】

     あっという間に師走がやって来ました。北国では厳しい寒さがすでにはじまっていますが、長崎は比較的暖かで過ごしやすい日が続いています。ただ、この冬の九州は、寒暖差が激しく、急に積雪に見舞われることがあるかもしれないそう。気温の乱高下に体調をくずさないよう、気を付けたいものです。 さて、12月といえば、クリスマスシーズン。長崎の街も夕方になるとあちらこちらでイルミネーションが点灯し、街中を美しく彩っています。新型コロナやウクライナ侵攻のことなど、世界中がむずかしい現実を抱えたまま迎えたこの冬のイルミネーションは、例年よりシックで控えめな印象。その分、「Love&Peace」の強い思いが、静かなきらめきに込められているように感じます。そこで今回は、ライトアップの美しい景観を楽しめるスポットをいくつかご紹介します。  今年9月、西九州新幹線が開業した長崎駅には、ステンドグラスをモチーフにした大きなクリスマスツリーが新駅舎の前に設けられました。ツリーは、万華鏡のように、いろいろな色合いに変化して、駅舎に出入りする大勢の人たちの目を楽しませています。 今年、国の史跡に指定されてから100周年を迎えた出島も、夜間はきらめきのスポットとして注目されています。オランダ商館員の住居や料理部屋、日本人役人の詰所、貿易品を保管する土蔵など、19世紀前半の建物が復元されている、現在の出島。夕方以降、控えめなライトアップを頼りに散策すると、建物の裏手から、ヒョイと地役人やオランダ商館員が現れそうでドキドキ。日中の出島とはまた違った感覚で、往時を想像することができます。 明治期に建てられた旧出島神学校そばの広場には、目にも暖かな黄金色のイルミネーションをまとったモミの木がありました。このツリーは、「オランダ冬至」を祝って設けられたもの(17:00〜21:00まで点灯。12月25日まで)。「オランダ冬至」とは、江戸時代、キリスト教が禁止されていた日本で、出島のオランダ人が「冬至」の祝いとしてクリスマスの宴を行っていたことから、そう呼ばれるようになったものです。復元されたカピタン(オランダ商館長)の居宅の2階には、冬至の宴会の料理が再現されているので、興味のある方は、ぜひ、出島でご覧ください。かなりのご馳走です。 長崎港を見渡す南山手の丘にあるグラバー園も、現在、ロマンチックなライトアップが施されています(〜12/25まで。夜間入園受付終了は19:40)。園内に設けられた大きなツリーは、やさしいブルーのかがやきがすてき。 また、昨年訪れた時は修復工事中だった旧グラバー邸(国指定重要文化財/世界遺産)は、工事を終えていました。グレーブルーの外観や白の窓枠が印象的な温室もきれいに再現。かつてグラバー親子が暮らしたこの住まいは、現存する日本最古の木造洋風建築(1863年建築)。幕末〜明治期の長崎の象徴のひとつとして、これからも大切にされていくことでしょう。◎本年も、「ちゃんぽんコラム」をご愛読いただき、ありがとうございました。どうぞ、良い年をお迎えください。

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  • 第635号【冬鳥と長崎市役所新庁舎】

     立冬が過ぎましたが、長崎はここ2週間ほど晴天が続き、冬のはじまりとは思えないあたたかさです。そのせいか、黄葉がはじまった樹齢300年を超える大音寺(長崎市寺町)のイチョウの葉は、まだ明るい黄色。こっくりとした黄金色に染まるまで、もう少し時間がかかりそうです。 晩秋から冬へ向かうこの時期、楽しみなのは大陸から渡ってくる野鳥との出会いです。散歩がてら野鳥観察をしている中島川には、昨年、初めてカイツブリが渡ってきましたが、今年はまだ見えません。中島川上流では、桃渓橋あたりで、ジョウビタキ(雌)に出会いました。全体的に灰褐色で、尾羽が橙色をしたかわいらしい小鳥です。いちばん高いところにある電線につかまって、「ヒッ、ヒッ」と、しきりに鳴いていました。渡って来たばかりなので、頑張って縄張りを主張していたのかもしれません。 桃渓橋のさらに上流では、採餌中のマガモ8羽(雄4羽・雌4羽)を見かけました。マガモは本来、渡り鳥なのですが、餌が十分にあると渡りをしないケースもあるそう。中島川では一年を通して見かけるので、餌が豊富なのかもしれません。 余談ですが、先月の当コラムでカワウが足で羽繕いしている写真を掲載しましたが、今回も偶然にマガモ(雌)が足で羽を掻いているところを見かけました。どうやら、足での羽繕いは、とくにめずらしいことではないようです。 さて、前述のジョウビタキは、11月に入ってから、市街地や緑豊かな長崎半島の山あいなど、いろいろな場所で見かけるようになりました。長崎歴史文化博物館のある立山地区の山の斜面でも、電線の上から市街地を見渡していたジョウビタキ(雄)がいました。平地とは違い寒かったのでしょう、ふくらスズメのように、ふわふわの羽毛で丸くなっていました。 このジョウビタキの視線の先には長崎市役所新庁舎がありました。旧長崎市公会堂跡地(長崎市魚の町)に建設中の新庁舎は、いよいよ来年1月開庁予定で、外観は概ね完成しています。地上19階・地下1階のビルの高さは90.86m。長崎市中心部にあるビルなかでは、屈指の高さです。市街地のあちらこちらから見えるようになったので、「市役所はどこですか?」と聞かれたとき、道案内が楽になりそうです。 新庁舎で楽しみなのは、なんといっても19階に設けられる展望フロアです。市街地の真ん中から東西南北の長崎の風景を楽しめるとか。いままで見たことのない長崎の街の風景と出会えそうな予感です。「市民会館」電停から見上げるビルの横顔もいい感じ。新時代の長崎のランドマークとして、長崎市民の期待と注目が集まっています。

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  • 第634号【羽ばたけ、かもめ】

     関東地方の急な冷え込みほどではありませんが、長崎も先週からようやく日中の蒸し暑さがやわらぎ、ひんやりしてきました。さわやかな秋空のもと、眼鏡橋などの石橋群で知られる中島川沿いを散策すると、アオサギやキセキレイ、イソヒヨドリなどおなじみの野鳥たちの元気な姿がありました。青緑色の美しい羽を持つカワセミは、つがいで現れ、それぞれ岩の上から獲物をねらっていました。このカワセミは、街中の川の生活に慣れたのか、警戒心がややゆるくなっているようです。ツーショットを初めて撮影できました。  この日は中島川で、もうひとつ初めての出来事がありました。それは、カワウが自分の足を使って体を掻く姿を見たことです。中島川で数年前からときおり見かけるようになったこのカワウ。水中での採餌のあと、岩の上に留まってひと休み。濡れた翼を片方ずつ広げて乾かしていたのですが、急に右足をヒョイと上げ、首筋あたりを掻きはじめました。ネコやイヌが後ろ足を使い毛繕いするのは見たことがありますが、鳥も同じようにやるとは…。くちばしを使っての羽繕いとは違い、ちょっとユーモアのある姿でありました。  「鳥」つながりの話題で、この秋、長崎でいちばん注目をされたのが「かもめ」です。先月9月23日、西九州新幹線(武雄温泉〜長崎)が開業。それまでの特急「かもめ」が廃止され、新幹線「かもめ」が運行を開始しました。これにより博多〜長崎が最速1時間20分で結ばれることに(武雄温駅で武雄・博多間を運行する在来線特急列車と対面で乗り継ぐ「リレー方式」)。地元の生活も観光も、利便性の高まりによる活性化が期待されています。  新幹線の開業前、長らくお世話になった特急「かもめ」を写真におさめようと長崎駅へ向かいました。ホームに出ると、その車体の色から「黒いかもめ」と「白いかもめ」の呼び名で親しまれた列車が並んで停車中。いろいろな思い出がこみあげて、感慨深いものがありました。  博多〜長崎を結んだ特急「かもめ」。振り返れば、昭和の時代はベージュ色の「エル特急かもめ」、平成には銀色の「ハイパーかもめ」、そして赤い車体の「KAMOME PRESS」が登場。特急「かもめ」は時代ごとの象徴的なカラーで、多くの人々の人生に寄り添い、さまざまな思い出のひとこまとして刻まれてきました。新幹線「かもめ」もまた、たくさんの素敵な思い出を創ってくれるに違いありません。  長崎駅のホームで発車を控えた新幹線「かもめ」。赤と白のシンプルな外観と、どこかかわいらしい面長の顔に親しみがわきます。発車時刻が近づくと、前照灯が点灯。発車のアナウンスの後、静かに動き出したかと思うと、国道202号の上をまたぎ20数秒ほどでトンネルに入って見えなくなりました。このあと、諫早駅、新大村駅、嬉野温泉駅を経て、武雄温泉駅へ。それぞれ新装したばかりのモダンな駅舎が新幹線「かもめ」を迎えています。   新幹線「かもめ」の運行開始で賑わう長崎駅。この秋、3年ぶりに帰省した知人は、長崎駅周辺の変貌ぶりにとても驚いていました。長崎港が背景に映る新しい駅舎をはじめ路線バスルートの変更や駅前電停のエレベーターの設置など、さまざまな変化が続いています。そのスピード感は、地元の人も驚くほど。長崎駅は、新時代に羽ばたく長崎の鼓動が感じられるもっともホットな場所のひとつになっています。

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  • 第633号【長崎の名月】

     9月は台風シーズン。油断なく、ぬかりなく、いま一度、避難所や防災グッズの確認をしておきたいものです。  先週の台風一過。澄んだ空気の中、雲の表情も次第に秋めいてきましたね。その週末には旧暦8月15日(十五夜)を迎え、中秋の名月を愛でた方も多いのではないでしょうか。この日、関東地方の夜空は晴天に恵まれたようですが、九州・長崎は、雲の多い夜空となりました。それでも雲の切れ間から、ときおり満月が顔をのぞかせ、日をまたいでからは雲の少ない時間帯もあり、十分に満月を眺めることができました。しかも今年は、月に薄雲がかかった状態が多かったことで、光が反射して起きる月光環(月の周りに虹のような輪が見られる現象)も見られました。  『名月をとってくれろと泣く子かな』小林一茶の有名な句ですね。月は、古来から日本人にとって神聖かつ親しみのある存在です。いにしえの人々は、月を詠んだ歌や句をたくさん残しています。江戸時代、中秋の月見は秋の訪れを告げる大切な行事で、宮中はもちろん、武家も庶民の家でも、縁側にススキやハギなどを飾り、秋の収穫物や団子を供えてお月見をしたそうです。宇宙飛行士が月に降り立つ現代にあっても、地球に潮の満ち引きをもたらす月には、人々の心をとらえて離さない不思議な魅力があります。見上げた月の美しさに、思わず手を合わせたり、願い事をしたりしてしまうのは、いまも昔も変わらないのかもしれません。  『彦山の上から出る月はよか こげん月は えつとなかばい』。長崎で、よく知られているこの歌は、江戸時代の狂歌師・蜀山人(しょくさんじん)こと太田南畝(直次郎)によるものと伝えられています。文化元年(1804)9月、長崎奉行所勘定役として江戸から長崎に来て、1年余り滞在しました。歌碑は、彦山からのぼる月がよく見える諏訪神社(諏訪神社斉館「諏訪荘」の前)に建立されています。      諏訪神社には、もうひとつ名月を詠んだ句碑があります。『尊さを京でかたるも諏訪の月』。 長崎ゆかりの俳人、向井去来の句です。蕉門十哲の一人として知られる去来は、長崎生まれ(生誕地は、長崎市興善町の長崎市立図書館あたり)。8歳のとき、両親とともに京都へ移りました。去来は、松尾芭蕉の門弟になってからも、母方の親戚がいる長崎に、たびたび帰郷しています。この句から、長崎が懐かしくてたまらない、そんな心情が伝わってきます。句碑は、諏訪神社の参道の一角にある祓戸神社のそばにあります。  さて、長崎でお月見の時期の定番行事といえば、長崎新地中華街を中心に行われている中国の伝統的な祭り「中秋節」です。今年は、9/9〜9/25まで。昨年は「コロナ」の影響で行われなかったと思いますが、今年は、「コロナ」前まで行われていた龍踊りや中国獅子舞などの催しはないものの、月に見立てた黄色い提灯がたくさん飾られています。虫の声が涼やかに響く秋の夜、黄色い提灯を見上げながら歩けば、心もまあるく、明るくなるよう。ぜひ、お出かけください。

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  • 第632号【ウリ科の野菜で夏を健やかに】

     8月初旬、記録的大雨により被災された東北や北陸、そして西日本各地のみなさまに心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復旧をお祈りいたします。  あらためまして、残暑お見舞い申し上げます。立秋が過ぎ、暦の上では秋。厳しい暑さの中ですが、ここ数日、夜風がかすかに冷んやりとして来ました。セミの鳴き声も晩夏の趣。少しずつですが、涼しい季節へ向かっていることにホッとします。とはいえ、連日の真夏日(30度超え)、猛暑日(30度超え)は、身体に堪えますね。こんなときこそ、野菜をおいしくたっぷり食べられる「長崎ちゃんぽん」は、おすすめです。豚肉や魚介類の旨みが凝縮したちゃんぽんスープの香りが、食欲を目覚めさせてくれますよ。  さて、今回は、夏バテ予防をテーマに、薬膳の考え方で夏場の不調を改善する食材の中から、「ウリ科」の野菜にしぼってご紹介します。まず、はじめは調理いらずで、すぐに食べられる西瓜(スイカ)です。利尿作用があり、むくみ取りや血圧を下げる効果もあるといわれています。からだに熱感があるときや目の充血、喉の渇きにもおすすめです。 西瓜の原産地はアフリカ大陸の赤道近く。日本へは16世紀にポルトガル船が種子を伝えという説や、17世紀中頃、長崎にやって来た隠元禅師一行が種子を持参し、長崎で栽培をはじめたのが最初という説などがあります。  余談ですが、西瓜はペルシャ語で「ヘンダワネ」と発音するそう。スペイン語でレストランのことを「タベルナ」というのと同じく、日本語として聞くと、クスッと笑ってしまう外国語のひとつです。  西瓜と同じく利尿作用があり、からだの熱を取り除く効果を期待できるのが、冬瓜(トウガン)です。熱中症の予防にもなるといわれています。冬瓜と鶏肉のスープは、夏の長崎の郷土料理のひとつ。小ぶりに切り揃えた冬瓜、鶏肉を水から煮て、塩、薄口しょうゆ、酒で味を整えます。食べた後、からだのほてりがスーッと引いていくのを感じます。  独特のほろ苦さが夏の食欲をそそるゴーヤこと苦瓜(ニガウリ)も、ビタミンCが豊富で、夏バテ予防になる食材です。薬膳的には、発熱や多汗を治め、熱中症予防にもなるといわれています。味噌炒めにしたり、パスタにしたり、いろいろな調理法でおいしくいただけますが、薄く切った苦瓜をさっと湯がいて、冷水にとり、ぎゅっとしぼって器へ。かつお節をかけ、お好みの合わせ酢でいただくのがおすすめのひと品です。   胡瓜(キュウリ)もこの時期、積極的に食べたい食材です。90%以上が水分でビタミンやミネラルは少ないのですが、さわやかな香りやパリッとした歯ごたえが夏の食欲をそそります。利尿効果があり、体が熱っぽいときやむくみ、下痢の症状に効果があるといわれています。胡瓜はぬか漬けにすると、疲労回復のビタミンといわれる、ビタミンB1の含有量がぐんと増えます。ぬか漬けは腸内環境も整えてくれる発酵食品。毎日、適量をおいしく食べて、夏バテ予防につなげたいですね。

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