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  • 第661号【令和7年のお正月】

     あけましておめでとうございます。みなさんはどんなお正月を過ごされましたか?長崎の三が日は、穏やかな晴れ間が広がり、市中心部は初詣や初売りに繰り出す人々で賑わっていました。季語をまとめ記した『日本大歳時記 新年』(講談社版・昭和56年刊)のページをめくると、「初夢」、「書初め」、「初稽古」など、新年を迎えて初めてするあれこれの言葉が並ぶなか、「初電話」や「初写真」といった、昭和の時代とは状況や意味合いが変化したものもいろいろありました。ちなみに当コラムの「初写真」は、メジロがビワの花蜜を吸う元日の朝の光景です。  日本一の生産量を誇る長崎のビワ。地元では庭や畑の片隅に植えている家も多いです。果実の旬は初夏で、「ビワ」は夏の季語ですが、その半年ほど前に咲く「ビワの花」は冬の季語です。明るい印象の果実と比べると、枝先に密集して咲く白くて小さいビワの花は控えめな感じ。鼻を近づけるとやさしい芳香がします。そんなビワの花蜜を堪能したメジロは、隣に植えてあるスモモの枝の新芽も次々についばみました。花蜜を好むメジロは、ウメやサクラの花の時期もよく見かけます。ウメ、サクラ、ビワ、スモモは、すべてバラ科の植物。いい香りに誘われるのでしょうか。 さて、新年といえば、初詣。長崎や福岡など、九州の一部の地域には、「三社参り」といって、初詣に三つの神社を詣でる風習が残っています。徒歩圏内の神社をめぐる人もいれば、地元の神社のほか、隣町や隣県の神社に詣でる人も。また、「三社参り」の風習は知らなくても、複数の神社を詣でる人は少なくないように見受けられます。  今年は、諏訪神社(長崎市上西山町)への初詣の際、拝殿の右手奥にある玉園稲荷神社へも足を運びました。稲荷神社は五穀豊穣、商売繁昌、家内安全などにご利益があるとされています。玉園稲荷神社は、朱色の鳥居をいくつもくぐり抜けた先にあり、拝殿の前に、大きなクスノキが鎮座していました。これは「抱き大楠(いだきおおくす)」と呼ばれる御神木。両腕を大きく広げて抱くと、元気を授かったような気分になりました。  諏訪神社の境内をひと巡りした後、徒歩15分ほど離れた場所にある西山神社(長崎市西山本町)へ向かいました。ここには例年お正月に見頃を迎える「元日桜」と呼ばれる寒桜が知られています。明治30年(1897)1月に植樹されたということですから、樹齢120年以上の古木桜です。今年は、開花が遅れているようで、花はほんの数輪。見頃は来週以降になりそうです。  さて、今年、諏訪神社へ初詣の際、最寄りの「諏訪神社電停」に変化があったことに気付いた方も多いかもしれません。渋滞緩和とバリアフリー化のために、先月から、電停の位置が45メートルほど螢茶屋方面に移設。それまで地下道の階段を上り下りしなければ利用できなかったのが、横断歩道からスムーズに行けるようになりました。今年もこうした街の変化があちらこちらで見られることでしょう。  ◎本年も、ちゃんぽんブログをよろしくお願い申し上げます

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  • 第660号【2024師走 時代の曲がり角を行く】

     今月3日、今年最後の三日月が、夕焼けの空に浮かんでいました。時代の喧騒など、どこ吹く風の美しい景色です。ふりかえればこの一年、過ぎ去るのがとても早かったと感じている方が多いのではないでしょうか。大人になると月日の経つのが早いとはいうものの、今年はいろいろな出来事が次々に起こり、めまぐるしい日々でした。時代の曲がり角というのは、こういうものなのかもしれません。  12月に入り、長崎もようやく冬らしい寒さを感じられるようになりました。急な冷え込みで背中を丸めて歩いていると、川べりで同じように身体を丸くしたイソヒヨドリ(メス)を発見。強気の表情で寒さをしのぐ姿がかわいらしかったです。また、冬になると気になるのが、中島川へ渡って来るカイツブリです。いまのところ未確認ですが、もうしばらく飛来を期待したいと思います。そして、先月コラムにも登場したカワセミですが、今月も中島川にかかる編笠橋と大井手橋の間で見かけました。中島川で、カワセミをよく見かけるエリアは、光永寺そばにかかる古町橋から、上流の桃渓橋界隈にかけて。青空が広がる穏やかな日中、餌を求めて活動的になるようです。  さて、クリスマスシーズンのいま、長崎の観光スポットは華やかで温かなイルミネーションのきらめきに包まれています。幕末の居留地時代に建造された大浦天主堂(1864年竣工)と隣接する旧長崎大司教館(1915竣工)は、やさしく厳かな光に彩られていました。そして同じエリアにあるグラバー園も、ノスタルジックな美しい光の演出がほどこされていました。  洋館や石畳など、幕末から明治にかけての長崎の歴史の息吹を感じることができるグラバー園。今年、開園50周年を迎えたことを記念して「マダム・バタフライ」をテーマにした光の演出が各所で繰り広げられていました。園内の高台へ導く「動く歩道」は、まるでタイムリープトンネルのような幻想的な光を放ちながら幕末・明治へと誘います。降り立つと、明治期に建てられた洋館、「旧三菱第二ドッグハウス」。その明るいベージュの外観をスクリーンにして、「ハローキティとマジカルバタフライ」のプロジェクションマッピングが行われていました。(19時〜20時の間。令和7年3月末迄) 思えば、幕末〜明治もまた大きな時代の曲がり角でありました。『ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする』。明治初期の時代をあらわす有名な文句ですね。長く続いた武士の時代の象徴でもあるちょんまげを切り落とした人は、文明開化という新しい時代の波に乗っているというのですが、当時は、ちょんまげにこだわって、切り落とさなかった人も多かったとか。何だかいまにも通じるエピソードですね。   さて、長崎のまちで新時代のまちづくりの象徴的な存在ともいえるもののひとつが「長崎スタジアムシティ」です。秋の開業以来、街を行き交う人々の数が増え、スタジアム周辺に賑わいのルートが生まれるなどの変化が起きています。日が暮れてから出かけると、サッカースタジアムではクリスマスソングとともに素敵なレーザーショーが行われていました。親しみや愉しさとともに、明るい新時代を見せてくれる「長崎スタジアムシティ」。来年も大きな歓声に包まれることでしょう。本年もご愛読いただき誠にありがとうございました。

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  • 第659号【いつもと違う?2024年晩秋〜初冬】

     今年は夏が終わってからも気温の高い日が続いたせいか、秋らしい涼やかな気候を十分に楽しむ間もなく「立冬」(11/7)を迎えました。長崎の市街地では今月に入り、ようやく街路樹のイチョウやナンキンハゼが色づきはじめています。今年は、全国的に紅葉が遅れたようですが、長崎県の紅葉の名所、島原半島の仁田峠(雲仙市)も、例年より10日ほど遅れて色づきはじめ、いま見頃を迎えています。山肌を染める赤、黄色、オレンジ色。そこに常緑樹の緑色が加わって生み出された景色は、まるでパッチワークのよう。人間にはとうてい作れない雄大で美しいコントラストを楽しむことができます。 暦の上では冬ですが、長崎ではその気配はあまり感じられません。秋になると大陸から渡ってくるジョウビタキは、例年通りやって来たようで、「ヒッ、ヒッ」という鳴き声を何度も耳にしました。小春日和の休日、ジョウビタキを撮ろうと中島川沿いを歩いていると、桜の木の枝に留まったカワセミを見かけました。この日は本命のジョウビタキには会えませんでしたが、キセキレイ、アオサギ、マガモ、イソヒヨドリなど常連の野鳥たちの元気そうな姿を確認できました。  見上げれば、まだまだ秋らしい空が広がっています。秋の雲といえば、いわし雲が代表的ですが、刷毛や筆でサッと描いたような筋状の形をした「巻雲(けんうん)」もよく見られます。ちなみに、ひこうき雲(飛行機の航跡に発生する雲)は、「巻雲」の仲間だそう。先月、五島列島の海上から、そして今月、長崎県庁の展望テラスから撮った「巻雲」をご覧ください。  さて、旅行シーズンでもあるこの時期。長崎市中心部は、国内外からの観光客をはじめ、各地からやってきた修学旅行生、さらには、先月開業した「長崎スタジアムシティ」を訪れる人々も加わって、いつも以上に往来する人々の数が増えている印象です。そんな人の流れから抜け出すようにして、長崎駅西口界隈に絶えず人が訪れている場所がありました。 そこは、この界隈に点在する2つオリジナルデザインのマンホールです。ひとつは「ながさき未来応援ポケモン」の「デンリュウ」が描かれたもの。ここにあるのは長崎市バージョンで、佐世保市・大村市・雲仙市・新上五島町の県内5つの市町に、それぞれの土地柄を背景にした「デンリュウ」のマンホールが設けられています。また、デンリュウは路面電車やバスにもラッピングされ、町行く人の目を楽しませています。   そして、もうひとつは長崎市出身の漫画家、渡辺航氏が描く人気漫画「弱虫ペダル」のマンホール。キャラクターのひとり「鳴子章吉」が描かれたものがあります。こちらのマンホールは長崎市水道局供用60周年を記念して令和4年に長崎市内全域の観光&景観スポット全27カ所に設置されたもののひとつ。主人公の「小野田坂道」のマンホールは、クルーズ船が停泊する松が枝国際ターミナルの近くにあります。探してみませんか。

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  • 第658号【展開する2024年秋】

     長崎港に寄港する国際クルーズ船。コロナ禍を経て、すっかり日常的な光景になりました。ようやく夏が過ぎ、催しや観光などを満喫できる季節が到来しましたが、いつもの秋より気温が高く、蒸し暑いのが気になるところ。クルーズ船から降り立つ外国人の姿もまだ夏の装いです。長崎では、9月に真夏日が続いたせいか、毎年お彼岸前から咲きはじめたヒガンバナがめずらしく遅れ、10月に入ってから見頃を迎えています。天気予報によると九州では、もうしばらく夏日(25〜29℃)が続くそう。ですが、急に涼しくなる日もあるので体調に気を付けたいですね。  この10月、長崎は新時代への展開を明確に感じさせる大きな節目を迎えます。「長崎スタジアムシティ」(長崎市幸町)の開業です。サッカースタジアムやアリーナ、ホテル、オフィスビル、ショッピングモールが揃った複合施設で、「ジャパネットホールディングス」という民間の会社が主体となって進めた開発プロジェクトです。開業を受けて、最寄りの電停とバス停が今月から名称を変更。電停は「銭座町(ぜんざまち)」が「スタジアムシティノース」、「宝町」が「スタジアムシティサウス」に。バス停は、「銭座町」が「銭座町 長崎スタジアムシティ」、「幸町」が「幸町 長崎スタジアムシティ」に。今月に入ってから、すでに人の流れに変化が見られます。長崎のまちの在り方にも大きな影響を与えそうです。  まちが新しい展開を迎える一方で、伝統の祭りで賑わう姿も長崎の変わらぬ魅力のひとつです。10月3日の「庭見世(にわみせ)」を皮切りに「長崎くんち」関連の行事が続いて市街地は連日賑わっています。「庭見世」とは、10月7日からはじまる「長崎くんち」本番を前に、演し物を奉納する踊町(おどりちょう)の家々や店舗などで、傘鉾をはじめ衣装、小道具、贈られたお祝いの品々を披露するもの。今年は、7つの踊町(興善町、八幡町、万才町、西浜町、麹屋町、銀屋町、五嶋町)の「庭見世」めぐりを楽しみました。  夕刻にはじまる「庭見世」。お祭り独特の混雑のなか、道をゆずりあってそぞろ歩く見物客たち。思いのほか高齢の方々の姿が目立ち、家の軒先に椅子を出して道行く人を眺めている人も。たまたま隣り合わせた80代の女性が、「庭見世の雰囲気は、昔と変わらんね」「子どもの頃は、くんちになると新調した服を着せてもらうのがうれしかった」などと話してくれました。  「長崎くんち」の間、お祭り気分を盛り上げるもののひとつが、家紋やシンボルマークなどを染め抜いた幔幕(まんまく)です。踊町をはじめ市中心部の家々や店舗、公共施設などが入り口に張って「長崎くんち」を応援します。いろいろな日本の家紋を見ることができて面白いという人もいます。   ということで、本日10月9日は、「長崎くんち」の後日(あとび)です。午後1時から神輿(みこし)がお旅所から諏訪神社にもどる「お上り」が予定されています。市中心部を練り歩き、各所で演し物を披露してきた踊町は、最後の力をふりしぼります。期間中、「モッテコーイ」「ヨイヤー」といった掛け声があちらこちらから聞こえてきましたが、なかでも長崎駅そばの「かもめ広場」はたいへんな人集り。麹屋町の川船と鮮やかな水色の衣装を着た根曳衆らが、大きな歓声を浴びていました。

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  • 第657号【9月 酷暑の中、秋の気配】

     9月に入ってからも30℃越えの気温が続く九州。長崎ではたびたび熱中症警戒アラートも発表されています。中島川沿いのヤナギの葉はパサパサ。アオサギやシロサギは川面に影がさす夕方になるのを待って、餌取りをしているようでした。異常気象といえるほどの厳しい暑さはまだ続くようですが、ときおり吹き抜ける風に秋の気配が感じられるようになりました。もうしばらく、がまんです。  旬のものを食べて、酷暑に耐え続ける身体を癒したい。そんな気持ちでスーパーの鮮魚コーナーをのぞくと、カマスが目に入りました。長崎ではカマスは9月から11月が旬とされる魚です。白身が水っぽいので、干物を好む方も多いようですが、シンプルに塩焼きもおいしい。焼く前に塩をふって30分ほど冷蔵庫におき、水分を抜けば身が締まります。白身はやわらかく、ほどよい旨味があり、ご飯がすすみます。  地元の農作物を扱うお店に行くと、雲仙産の落花生を見つけました。落花生といえば、日本の生産量の約7〜8割を占める千葉県産が有名ですが、長崎県でも、雲仙、大村、五島などで生産されています。落花生の収穫時期は9月。生のままの落花生が店頭に出る期間は限られているので、見かけたらすぐに購入し、塩ゆでに。炒りタイプにはないおいしさを楽しめます。  ちなみに落花生は、「ピーナッツ」、「南京豆(なんきんまめ)」、「唐人豆(とうじんまめ)」などとも呼ばれます。「ピーナッツ」の名称は昭和に入ってからだそうです。また、長崎では「落花生」を「ドウハッセン」と呼ぶことがあります。中国語で落花生が、「ロウフゥアシェン」と発音することに由来するそうです。  長崎県のほぼ中央に位置する大村では、「塩ゆでピーナツ」が名物のひとつです。この地域の郷土料理で「煮ごみ」というものがあります。これは、ダイコン、ニンジン、ゴボウ、鶏モモ肉、厚あげ、干し椎茸などをさいの目に切って煮しめた、いわゆる五目煮です。大豆に代えて、ゆで落花生使うところが特徴です。  9月に入り、サツマイモの収穫もはじまったようです。「新サツマ芋」と値札に記されたものを購入。さっそく、長崎市野母崎地区に伝わる郷土料理、「いも寄せ」を作りました。もっちりとした生地は、炒りゴマとショウガが香る昔ながらの味わいです。   さて、来週9月17日(旧暦8月15日)は、十五夜です。一年でもっとも美しいとされる「中秋の名月」ですが、サトイモやサツマイモの収穫時期と重なることから「いも名月」とも呼ばれています。農家では、稲穂に見立てたススキを飾り、初掘りしたサトイモの煮付けや月見団子などを供え、秋の実りに感謝しました。今年の十五夜は、酷暑の中、育ってくれた農作物とがんばった人々を思い、ひときわ感慨深い月見になりそうです。

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  • 第656号【8月愛と平和と海辺】

     真夏の青空の下、長崎のまちのあちらこちらでキョウチクトウの花が満開を迎えています。79年前の8月9日の朝、何気なくこの花を眺めた人もいたことでしょう。その数時間後に、原爆が投下されることなど知る由もなく…。長崎港にそそぐ浦上川沿いを歩きながら、10数年前に聞いたある男性(80代)の話を思い出しました。「原子爆弾が落とされた直後、この川沿いを、人探しのために歩きまわった。そのときのことが僕の原体験になっている」。この世のものとは思えぬ悲惨な様子をポツリ、ポツリと言葉少なに語った男性。この方も原爆による癒えない心の傷をずっと抱えて生きてきた人でした。  もし、悲しい土地の記憶を癒すものがあるとしたら、それは、愛と平和。けして、大それた話ではなく、日々のあれこれを味わい、楽しみ、顔を合わせる人たちと、なごやかに笑顔で過ごす、それも愛と平和のカタチのひとつです。 近年、再開発がすすみ、人々が憩い、楽しめる素敵な街並みが着々と築かれている浦上川周辺。そのベースには、平和を強く希求する長崎市民の思いがあります。近い将来、世界中から多くの笑顔がこの街に集い、それぞれの日常を彩り豊かに過ごしている、そんな街の姿をとおして、愛と平和を発信し続けることができたらいいですね。  さて、例年にない酷暑となった2024年の夏。外出もおっくうになりがちでしたが、ちょいとバスに乗りこんで、海辺へ出かけてきました。行き先は「かきどまり白浜海岸」(長崎市柿泊町)。長崎市の北西部に位置する海岸で、映画のロケ地にもなったことで知られています。アクセスは、長崎駅から「柿泊」行きのバスで約30分。「弁天白浜」バス停で下車。長崎へ観光に訪れた方でも、気軽に足を伸ばせる海辺です。  西側に大海原をのぞむ「かきどまり白浜海岸」は、夕陽の名所としても知られています。海岸線に沿って、「弁天白浜」と「小白浜」と呼ばれる小さなビーチが連なり、透明度の高いエメラルドグリーンの海がとてもきれいでした。かつて、夏場は海水浴場として開設されていましたが、現在は監視員がいないため遊泳禁止に。波打ち際で砂遊びをする親子の姿や岩場で景観を楽しむ人の姿がありました。  「弁天白浜」から、「かきどまり漁港」まで続く遊歩道が整備されていて、安全に景観を楽しむことができます。西彼杵半島につながる海岸線は、砂浜だけでなく岩場もあり、けっこう複雑多岐な表情です。山地が外洋に面した地形ということもあり、長い年月をかけて波の浸食によって創られた「海食崖」や「海食洞門」も見られ、ダイナミックな地球の鼓動を感じることができました。  リンゴをかじった形に見えることから地元では「リンゴ岩」と呼ばれるユニークな姿の岩石がありました。ちなみに、地質学では波の浸食に抵抗して岩石の柱や塊が残ったものを「離れ岩」といい、そのなかで、「リンゴ岩」のように根元の部分がえぐられ、くびれた形になっているものを、「茸岩(きのこいわ)」というそうです。「リンゴ岩」は遠くから見るとくびれの細さに崩れそうに思えますが、間近で見ると、案外しっかりしているような印象でした。  「かきどまり白浜海岸」には、遊歩道沿いにキャンプエリアやバーベキューエリアも設けられています。利用にあたってはルールを守ってお楽しみください。

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  • 第655号【文月の酷暑のなかで】

     夏の初めになると親戚から届く、すもも(プラム)。何の手入れもしないのに、春になると白い花を咲かせ、毎年たくさんの実をつけるそう。今年は、真夏のような暑さが早くはじまったせいか、いつもより早く食べ頃を迎えたといいます。味は、ほどよい酸味と甘さがあり、例年通りのおいしさでした。すももの旬は、品種にもよりますが、おおむね初夏から初秋。免疫力を高めるビタミンCのほか、ビタミンA、カリウム、食物繊維など、暑い季節の身体にうれしい栄養素が含まれています。おやつや朝食などにおすすめですよ。 沖縄地方以外、まだ梅雨は明けていませんが、早くも厳しい暑さが続いています。この夏はいつも以上に、暑さ対策を心がける必要があるよう。まずは、神頼みをということで、諏訪神社(長崎市上西山町)の「夏越の祓え(なごしのはらえ)」でお参りをしてきました。 一年の半分にあたる6月30日に、各神社で行われる「夏越の祓え」。拝殿前などに立てられた「茅の輪(ちのわ)」をくぐることで、半年間の罪や穢れを祓い、この夏を無事に過ごせるよう祈願するという神事です。くぐり方は地域により違いはあるようですが、諏訪神社では『水無月の夏越のはらえする人は千歳のいのち延ぶと言ふなり』と唱えながらくぐります。「茅の輪」は、「茅(かや)」を太く束ねて大きな輪にしたもの。この暑さのなかで、大量の茅を刈り集めて輪を作る作業は、きっとたいへんだったに違いありません。 参拝の後、参道脇に建立された福沢諭吉の像のそばでふと足が留まりました。羽織姿のその像は、地元の慶應義塾大学の卒業生によって建立されたもの。長らく(1984年から約40年間)親しまれてきた一万円札の顔も、いよいよバトンタッチのときを迎えました。  この7月から新一万円札の顔として登場した渋沢栄一(1840-1931)。近代日本の経済を支えた人物として知られています。長崎にまつわるエピソードで思い浮かぶのは栄一ではなく、孫の渋沢敬三(1896-1963)とグラバーの息子、倉場富三郎(1871-1945)とのことです。  祖父、渋沢栄一の後継者として活躍した敬三。日銀総裁や大蔵大臣なども務めた経済界の重鎮という顔を持ちながら、民俗学者としても活動(主に漁業史)し、功績を残しています。一方、倉場富三郎は、長崎の実業界で活躍。日本で初めてトロール漁業を導入しました。富三郎は、長崎で水揚げされる魚を精密に描いた『日本西部及び南部魚類図譜』(グラバー図譜)を編纂。これは、5人の画家を雇い、約25年に渡って製作したものでした。この図譜に関心を抱いた敬三は、1941年5月、九州へ仕事で来た際、長崎入り。グラバー邸の応接間で、精緻で美しいその図譜を数時間かけて観察したそうです。  富三郎が終戦直後に亡くなったとき、遺言には、この図譜を渋沢敬三に託したい旨の記載があり、グラバー図譜はいったん長崎を離れることに。その後、敬三は、この図譜が水産関係の研究所や大学などで活用されること、そして富三郎が生まれ育った長崎市内に所蔵されることを望み、長崎大学の水産学部に託すことに。長崎にもどったグラバー図譜は、現在、長崎大学附属図書館に貴重資料として所蔵され、同図書館ホームページの「電子化コレクション」から閲覧できます。ぜひ、ご覧ください。

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  • 第654号【水無月(みなづき)の花々】

     初夏のすがすがしい風が吹き抜けた6月1日の朝、長崎では秋の大祭「長崎くんち」の稽古始めとなる「小屋入り」が行われました。この行事は、その年に演し物を奉納・披露する踊町(おどりちょう)の世話役や出演者らが、諏訪神社(長崎市上西山町)と八坂神社(長崎市鍛冶屋町)で清祓いを受け、無事に大役を達成できるよう祈願するものです。今年、7つの踊町は朝から列をなして次々に神社へ。シャギリの音色が街中に響きわたりました。  今年の「踊町:演し物」は、次のとおりです。「八幡町:山伏道中・剣舞・弓矢八幡祝い船」、「麹屋町:川船」、「銀屋町:鯱太鼓」、「西濵町:龍船・二胡演奏」、「興善町:本踊(石橋)」、「万才町:本踊」、「五嶋町:龍踊」。コロナ禍の影響で中止がつづき昨年4年ぶりに行われた「長崎くんち」。通常なら7年に一度めぐってくる踊町の役割も10年ぶり。踊町も観客も、ひときわ思いのこもった「長崎くんち」になるに違いありません。  さて、「小屋入り」の日は、諏訪神社のザクロの花が満開でした。6月も中旬に入ると、アジサイはもちろん、ユリやアガパンサス、クチナシなど、色とりどりの初夏の花々を見かけます。出島に近い街角では、ひときわ個性的なトケイソウが咲いていました。  平らな花の真ん中に突き出た雄しべと雌しべ。その姿が時計の文字盤を思わせることから名付けられたというトケイソウ。ペルー、ブラジル原産のつる性多年草で、江戸時代の享保年間(1716-1735)に日本へ渡来したといわれています。ひとくちにトケイソウといっても、たいへん種類が多い植物だそう。では、江戸時代に渡ってきたのは一体、どんなタイプだったのでしょうか。色つきの植物図鑑として日本で初めて出版されたといわれる、『本草図譜』(1830年刊/著者:岩崎灌園)には、今回見かけたものと同じ姿のトケイソウが描かれていました。  ところで、夏の暑さ対策のひとつに、「緑のカーテン」というものがあります。窓際につる性の植物を育てることで、日差しをやわらげたり、室内に入る風をひんやりとさせたりするものですが、このトケイソウも「緑のカーテン」として利用できるそうです。   中島川上流にかかる石橋、桃渓橋(ももたにばし)。この時期の夜、橋の上からそっと川端に目をやると、数匹ですがホタルが飛んでいます。橋の下には小規模のカンナの群生があり、6月から10月の花期になると、鮮やかな橙色の花を次々に咲かせます。カンナはもともと丈夫な植物ですが、桃渓橋のカンナも生命力にあふれ、大雨や台風時の濁流に激しくなぎ倒されても、バッサリと刈り取られても、必ず復活し大ぶりの花を咲かせます。ときに小鳥に蜜を与えながら、炎天下にたくましく育つカンナ。私たちもカンナのように、この夏を乗り越えられたらいいですね。

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  • 第653号【皐月(さつき)】

     中島川沿いにある光永寺(長崎市桶屋町)では、境内にある樹齢450〜500年といわれる大イチョウが、ふさふさと若葉を茂らせていました。このお寺は、幕末の1854年(安政元)、蘭学を志した福沢諭吉が一時期止宿したことで知られています。諭吉さんは当時19歳。約1年間の長崎滞在中、四季折々に変化するこのイチョウの姿を見たはず。若葉につつまれた季節はどんな気持ちで見上げたでしょうか。  光永寺にほど近い長崎市民会館横の道路沿いにはイチョウ並木があり、こちらもすっかり初夏の装いです。この界隈には観光スポットの眼鏡橋もあり、ゴールデンウィーク中は、いつも以上の人出で賑わっていました。多くの人がマスクなしで笑顔を見せている光景に、いろいろと制限があった日々を忘れがちになっていましたが、いまあらためて、行きたい場所へ行き、人と会ったり、ものに触れたりすることを自由に楽しめるって本当に幸せなことなのだと感じます。  光永寺から中島川をさらに上流に向かったところで、カワセミを見かけました。この川ではおなじみの野鳥ですが、春は抱卵の時期なので、巣穴にこもっていたと思われ、この数週間はなかなか姿を確認できずにいました。いまは、卵からかえったヒナたちへ、せっせと餌を運ぶ時期に移ったのでしょう。川面をしばらく見つめていたカワセミは、画像ではわかりにくいですが、下のくちばしが赤みを帯びていたのでメス。(オスのくちばしは、上下とも黒い)。夏いっぱい、オスと協力して子育てに励みます。  さて、ゴールデンウィーク中は、どこの観光スポットも賑わっていたようですが、お出かけしたいけど、静かな場所がいいという方にとっては、穴場ともいえる場所がありました。思案橋電停から徒歩7〜8分。和の庭園と木造家屋が落ち着いた風情を醸す「中の茶屋」(長崎市指定文化財)です。ここは、江戸時代中期に花街「丸山」の遊女屋「中の筑後屋」が設けた茶屋で、全国各地から長崎を訪れた文人墨客らが遊び親しみ、長崎奉行の市中巡検の際には休憩所として利用されていたと伝えられています。  「中の茶屋」の母屋は、昭和46年の住宅街火災の延焼の被害を受け、その後、新築復元されたものですが、庭園は茶屋が設けられた当時の形をとどめているそうです。庭園の樹木のなかで目を引くのが、樹齢200年は超えていると思われる松です。古木ながら枝ぶりに勢いが感じられます。長崎学の基礎を築いた郷土史家、古賀十二郎先生(1879-1954)は、著書『丸山遊女と唐紅毛人』に、「中の茶屋」についてくわしく触れ、「庭園には、枝振りの佳き松が、幾つもあった。〜」などと記しています。  庭園の池を囲むように植えられたサツキが、開花時期を迎えていました。庭木や盆栽として古くから日本人に親しまれてきたサツキ。ツツジより小ぶりの花は、次々に咲いて長く楽しめます。今月中旬には見頃を迎えるそうです。  「中の茶屋」は、平成13年から「清水昆展示館」として活用されています。昆さんは昭和期に活躍した長崎市出身の漫画家で、かっぱの漫画と言えば、ピンとくる方も多いことでしょう。今年は昆さんの没後50年にあたり、その活躍を振り返る企画展が開催されています。昭和の人情味とユーモアあふれる作品の数々に、懐かしい気持ちでいっぱいになりました。若い人たちにとっては、逆にそれが新鮮に思えるかも。ぜひ、足をお運びください。

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  • 第652号【春の光景あれこれ】

     長崎ではソメイヨシノの開花が当初の予想より1週間ほど遅れ、3月26日に開花宣言が出ました。その後は、『花開く時、風雨多し』などと昔から言われるとおりの天気が続きましたが、花は何とか持ちこたえ、開花から散り際の美しさまでしっかり楽しむことができました。現在、桜前線は東日本を北上中。長崎では葉桜に移行中です。  「♪チョッピー、チョッピーチョ」。4月に入ったばかりの畑に響き渡ったのはホオジロのさえずりです。『一筆啓上つかまつる』などと言っているように聞こえるといわれる独特のさえずりは、きっと誰もが耳にしたことがあるはず。全国に分布する留鳥で赤褐色の小鳥です。スズメに似ていますが、尾羽が長めでやや大きい。くちばしの横あたりが白いので、ホオジロと名付けられました。畑に現れたホオジロは、好物の虫がいたようで、春キャベツをしきりにつついていました。  近所の学校の校庭にある池をのぞくと、アメンボウがスイー、スイーと水面を行き交っていました。水中をのぞくとオタマジャクシやヤゴも発見。小学生の頃、新学期がはじまったばかりの理科の授業で、教室を出て学校の池や畑をめぐったことを思い出します。オタマジャクシはこれから脚が生えてカエルになり、ヤゴはトンボへと成長します。子どもの頃のワクワクがよみがえる春の光景です。  春らしい光景は、まちなかを流れる川に現れるアオサギにも見られました。その長い脚やくちばしが、赤みを帯びていたのです。これは、「婚姻色」と呼ばれるもので、春の繁殖の季節になると見られる姿です。このとき見たアオサギと同じと思われるのですが、同じ頃、ちょっとめずらしい光景を目にしました。アオサギ、コサギ、カワウの三羽がお互いの姿をすぐ目の前にした位置で佇んでいたのです。ふだんは、それぞれのテリトリーを意識してか、あまり近づくことのない彼ら。このときは、たまたま共通の獲物がこの辺りに集まっていたのかもしれません。お互いに、けして目線を合わせない様子が面白かったです。  春になるとスーパーの鮮魚コーナーの一角に、「マテ貝」が並ぶようになります。長崎で手に入るのは、島原半島の砂浜で採れる「マテ貝」、佐世保の針生瀬戸で採れる「赤マテ貝」があるようです。貝殻の色合いが島原半島のものは黄土色で、針生瀬戸のものはその名のとおり少し赤みを帯びた柄が入っています。採り方も違い、砂浜の「マテ貝」は、砂の中に潜り込んだときにできる穴に塩を入れ、貝がピュッと飛び出したところを捕まえます。針生瀬戸の「赤マテ貝」は、漁師さんが、かぎ針のついた仕掛けを海底の砂に突き刺して採る「突き漁」といわれる伝統的な漁法がいまも行われているそうです。   スティック状の個性的な姿をしたマテ貝。「どうやって食べるの?」と聞かれることがあります。実はアサリと同じ二枚貝で、酒蒸し、バター焼き、佃煮などアサリと同様の調理法でいただきます。旨みがあり、味噌汁にすると濃厚な出汁がでます。身は小イカに似た風味と噛みごたえがあります。ちゃんぽんの具材にしてもおいしいですよ。

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  • 第651号【節目の春、龍馬に会いに行く】

     小高い丘の上にある中学校の校庭の片隅で、ハクモクレンが咲いていました。真っ白な花びらが青空に映えてとてもきれい。生徒たちも花を見上げながら行き交っていました。ハクモクレンにはいくつかの花言葉があります。そのひとつが、「自然への愛」。空に向かっていっせいに咲く姿が、春の到来を喜んでいるように見えることに由来するとか。そして、「持続性」という花言葉も。これは、ハクモクレンが1億年前の地層から化石が発見されるほど古くから存在することに由来するそうです。 そんなハクモクレンの見頃が、長崎ではいつもより早めに終わりを告げています。寒さと温かさを繰り返しながら本格的な春へと移行するなか、にわかに気になってくるのが、桜の開花です。今年は、平年並みか平年より早めになるそうで、いまのところ長崎では、「春分の日」頃に開花がはじまり、3月末には満開を迎えるという予想が出ています。  開花前の様子が気になって、桜の名所のひとつとして知られる風頭公園(かざがしらこうえん)へ足を運びました。この公園は、市中心部に近い風頭山の山頂にあります。公園の桜並木は、固いつぼみを無数に付けた状態で、幹や枝がうっすらとピンク色を帯びているように見えました。ここで偶然、枝や幹をついばむ小鳥と遭遇。スズメよりも小さくて、丸みのある姿がかわいい。長い尾羽が特徴的な「エナガ」でした。 さて、風頭公園は「坂本龍馬之像」があることで知られています。この日も、この像のある展望台に、入れ替わり立ち替わりで多くの人がやってきました。風頭山は、その麓から山頂にかけて、龍馬ゆかりのスポットがいくつもあります。中腹には1865年(慶応元年)に龍馬が同志と立ち上げた日本初の商社「亀山社中の跡」、そして、龍馬をはじめ幕末の志士たちが参拝したといわれる「若宮稲荷神社」があります。この神社の境内の一角には、令和4年11月に「坂本龍馬神社」が設けられ、龍馬ファンの注目を浴びています。 「若宮稲荷神社」の参道入口そばには、龍馬がたびたび訪れたという西洋料理店の「藤屋跡」があります。いまでは、筒型のポストや古い石垣など昭和の風情が漂う静かな住宅街となっているこの界隈。龍馬が誰かと語りながら同じ通りを歩いたかと思うとドキドキします。そこから、中島川沿いまで下ると、日本初の営業写真館「上野撮影局跡」があります。日本における写真術の開祖、上野彦馬が1862年(文久2)に開業。ブーツを履き、右手を懐に入れた龍馬の肖像写真はここで撮られました。   幕末という激動の時代に、広い視野と行動力で、大活躍した龍馬。進学や就職など人生の節目を迎える人も多いこの季節、明日への期待と不安を胸に龍馬が闊歩した長崎をめぐれば、何だか、前向きな気持ちになってくるから不思議。龍馬は時空を超えて、人々の背中を押してくれる存在のようです。

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  • 第650号【2024年長崎ランタンフェスティバル】

     2月初旬の九州は雨の日が続き、気温は平年よりやや高め。雨量は多くはありませんでしたが、何だか菜種梅雨を思わせました。菜種梅雨とは、菜の花が咲く季節(3月から4月初旬にかけて)の長雨をいいます。すでに長崎ではあちらこちらで菜の花が満開なので、本当に菜種梅雨だったかもしれません。 2月3日節分の日も、あいにくの雨でしたが、社寺の節分祭には大勢の市民が足を運びました。役目を終えた正月飾りなどを鬼火焚きに投げ込み、しばし火にあたる人々。地震で被災した能登半島に思いを馳せ、無病息災を祈願した人も多かったに違いありません。  例年よりもあたたかな2月となり、いつもなら3月初旬に開花して甘い香りを漂わせる沈丁花も咲きはじめた長崎。そんな天候と3連休が重なったこともあり、『2024長崎ランタンフェスティバル』(2月9日(金)〜25日(日)迄)のスタートは多くの人出で賑わいました。今年は4年ぶりの通常開催とあって、催しも充実。長崎の市中心部は約1万5千個ものランタンやオブジェで彩られ、日が暮れると幻想的な雰囲気に包まれています。  新地中華街会場そばを流れる銅座川には桃色のランタンがゆれています。日没間もない紫色の空は桃色のランタンをより美しく引き立てます。一方、眼鏡橋が架かる中島川は、黄色いランタンで彩られています。月を連想させる黄色のランタンが川面にも映り、とてもきれいです。中島川の川沿いには、十二支のかわいいオブジェが設置されていて、干支を順にたどりながら楽しそうに歩く家族連れの姿がありました。 道沿いに連なるランタンは、催しが行われている各会場へスムーズに人々を移動させる案内役になっています。長々と連なるそのランタンは、さながら龍のようで、道行く人々を見守っているかのよう。目にも温かなランタンを見上げて歩く人々の表情は皆ほころび、偶然隣合わせた方とも、「きれいですね」「いいですね」などと自然に言葉を交わす姿も見られました。  各所に設置されたランタンオブジェは、いずれも伝説の神さまや神獣、歴史上の偉人などをかたどった縁起物。中島川からほど近い長崎市役所新庁舎の玄関前には、魔を除くという伝説の神「鍾馗(しょうき)」のオブジェが設けられていました。このほかチャーミングなオブジェも多いので、お気に入りを探してみてはいかがでしょう。  最後になりましたが、今年(辰年)の『長崎ランタンフェスティバル』のメインオブジェは、「九鯉化龍」(ジュウリイファーロン)です。新地中華街会場の湊公園に設置されています。高さ約10メートル。荒波を乗り越えた鯉が鯱(シャチ)や龍に変わって行く様子を表現していて、「出世」や「進歩」を象徴しているそうです。どんなにたいへんな状況も、日々できる範囲で少しずつ乗り越え、よりよい明日へと進歩していく。一緒に、そんな年にしましょう。

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  • 第649号【長崎の正月料理】

     この度の能登半島地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。そして被災された方々へ心よりお見舞い申し上げます。地震活動が終息し一日も早く平穏な日常がもどりますようお祈りいたします。  年明け最初の話題は、「ナマコ」です。「ナマコ」は冬が旬の海の幸。長崎では正月料理に欠かせません。薄切りにしたナマコに大根おろしを添え、ポン酢やダイダイ、ユズなど好みの香酸柑橘をかけていただきます。ナマコにはその色合いからアカナマコ、アオナマコと呼ばれる種類があり、大村湾のような内海にいるナマコは身がやわらかく、五島灘など外海にいるものは身が固めだといわれています。 暮れに、親戚から五島産のアカナマコをいただきました。ご存知のようにナマコはぬるりとしているので、包丁がすべらないよう用心しながら内臓を除き薄切りにします。子供の頃、ナマコはその個性的な見た目もあって、本当に変わった食べ物だなと思っていました。コリコリとした噛みごたえはあるものの、明確な味はなく、周りの大人たちに「お腹の掃除をしてくれる」「身体にいい」などと言われながら食べた記憶があります。実際、ナマコは高タンパク質で、アミノ酸やビタミン類も豊富。疲労回復、免疫力アップ、冷え予防などの効果があるらしく、冬の身体にうれしい食材のようです。  長崎生まれの江戸時代の俳人、向井去来は、『尾頭(おかしら)のこころもとなき海鼠(なまこ)かな』という句を残しています。ナマコは尾と頭の区別がはっきりしないと詠んだものですが、去来もまたナマコを変わったヤツだと思っていたのかもしれません。  ナマコのほかに長崎の正月料理として並ぶのが鯨肉です。尾の身、赤身(背中の部分)、ベーコンなど部位ごとにいろいろな種類があります。この正月は、「さらし鯨」(尾びれを薄くスライスして茹でたもの)をいただきました。ちりめんじわのようにチリチリした肉で、酢味噌や酢醤油でいただきます。余談ですが、鯨の流通拠点として賑わった歴史をもつ長崎県東彼杵町出身の知人の実家では、正月の雑煮は鯨肉入りだそうです。  最後に、辰年にちなんで、長崎のまちなかにいる龍をいくつかご紹介します。「龍踊り」でもおなじみの伝説の霊獣・龍は、長崎のまちのいたるところで人々を見守っています。見つけやすいのは、長崎新地中華街でしょうか。中華街入り口の新地橋のたもとに鎮座。そして、中華街の東門にも守り神として青龍が描かれています。ちょっと異色なのが、諏訪神社近くの馬町交差点の西山通り(国道235号線)に設置された龍の電灯です。夜、かわいい表情の龍が高い位置から道路を照らします。さて、2024年辰年の旧暦正月を祝う『長崎ランタンフェスティバル』は、2月9日(金)〜25日(日)まで開催されます。どうぞ、お越しください。  ◎本年もよろしくお願い申し上げます。

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  • 第648号【2023年、師走】

     ビワやヤツデ、ツワブキなど秋の終わりから冬にかけて咲く花をあちらこちらで見かけるようになりました。とはいえ、師走としては異例の暖かさが各地で続いています。長崎でも12月中旬に入ろうとする頃、二日続きで気温が20度を超えました。冬日和というには暖か過ぎる状況ですが、今週末には本格的な寒波が到来するという予報です。極端な気温差は、思いのほか体に堪えます。体調に気を付けて年末年始を乗りきりたいですね。  この秋、長崎市街地のイチョウの黄葉は遅れ気味でした。例年なら葉を落としているはずの12月に、大音寺(長崎市鍛冶屋町)の大イチョウ(長崎市指定天然記念物)を訪ねると、まだ見頃が続いていました。イチョウの葉は、樹齢を重ねるほど小さくなるそうで、樹齢300年はゆうに超えるといわれるこの大イチョウの葉も小ぶりです。四方に伸ばしたいくつもの枝に、こがね色の葉をびっしりとつけ、老齢の美しさをたたえていました。ちなみにこの大イチョウは、長崎の歴史上の著名人が多く眠る大音寺の後山の墓地の一角にあり、お寺の境内から本堂越しに見上げるとその大きさがよく分かります。  大音寺がある寺町通りの近くを流れる中島川では、この秋冬に寒い地域から渡って来た鳥たちを見かけるようになりました。2年前の冬にはじめて確認したカイツムリを、今年は1羽発見。大人の片手に乗るくらいの大きさで、その毛色から若鳥のようです。大の得意の潜水で採餌に励んでいました。このほか、「ヒッ、ヒッ」と甲高く鳴くジョウビタキ、そして、ここ何年も姿を現さなかったダイサギもやってきました。90センチほどもある真っ白な鳥なので、川面に立つと目立ちます。  さて、師走に入り、五島列島在住の知人が、その日釣ったばかりの魚を急ぎ届けてくれました。3匹の新鮮な魚は、いずれもハタの仲間。「地元では、クエとか、アラとかいうけど、本当の名前は知らん。刺身が、うまかよ」とのこと。調べると、赤いのは「アカハタ」、茶色ベースに赤い斑点は「キジハタ」、茶色斑点は、「シロブチハタ」のよう。刺身は、コリコリとした歯ごたえがあっておいしい。煮付けにすると、どこかカレイに似た風味がして、これまたおいしい。あとは、吸い物や鍋にしていただきました。五島の知人と長崎の海の幸に感謝。  今年5月、新型コロナ感染症が、国民一人ひとりの自主的な取り組みをベースとした「5類感染症」に移行してから、徐々に活気を取り戻しつつある長崎。港にはクルーズ客船の寄港が増えました。長崎駅周辺は、コロナ期間中にも着々と変貌をとげ、新しいホテルや商業ビルが完成。現在は、駅舎から国道202号線へとつながるエリア(かつて高架橋があったところ)に、多目的広場などの整備が進められています。   そして、長崎駅から徒歩圏内の浦上川沿いでは、いよいよ来年10月開業予定の「長崎スタジアムシティ」の建設が進められていました。これは、民間会社主導の再開発事業で、サッカースタジアムを中心に、アリーナ、ホテル、商業施設、オフィスなどが併設。サッカーの試合後などに、大勢の観客たちが浦上川沿いをワイワイ言いながら往来する様子が、いまから想像できて楽しくなります。「長崎スタジアムシティ」は、地元長崎はもとより、国内外の多くの人々を巻き込みながら、長崎の素敵な未来ストーリーを創造していく大きな存在になりそうです。 ◎本年もご愛読いただき、誠にありがとうございました。  来たる2024年、皆さま、良い年をお迎えください。

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  • 第647号【11月の夏日を乗り越えて】

     11月のはじめの3連休は、各地で連日の夏日となりましたね。長崎も9月初旬のような蒸し暑さで、道行く観光客は半袖シャツ姿が目立ちました。街路樹のナンキンハゼの紅葉は見られるものの季節の深まりを感じさせるような風景は、まちのなかには少なく、住宅街をぬけ、段々畑が残る鳴滝の山あいまで足を運びました。そこで、ようやくススキやセイタカアワダチソウが群生する秋らしい風景が見られました。この異例の暑さも連休明けの雨でひと区切り。気温は下がって秋らしさがもどってきたようです。  市街地散策の道すがら秋の味覚、「グベ」が実っている様子を目にしました。長崎では、「ムベ」のことを「グベ」と呼びます。子どもの頃、学校帰りに道脇でもぎって食べたことがあるなど、ひとによっては懐かしい思い出と重なる食べ物でもあります。種が多く、食べられる部分は少しですが、とろみのある果肉は甘くておいしい。アケビによく似ていますが、アケビのように熟すと実が裂けるということはありません。また、葉にもわかりやすい違いがあり、「ムベ」は常緑性でツヤのあるしっかりとした葉ですが、アケビは落葉性でやわらかな葉です。  11月の秋晴れの下、長崎港と市街地の景色を撮るために鍋冠山(なべかんむりやま)へも足を運びました。鍋冠山は長崎港を囲む山のひとつで、南山手にあるグラバー園の背後に位置しています。標高約169mの低山で、グラバー園の第2ゲート付近から、整備されたコンクリートの階段の歩道を利用すれば、頂上まで15分もかかりません。頂上には回廊形式の展望台があり、港や市街地はもとより、まちを囲む山々の姿やその向こうの眺望までぐるりと楽しめます。この日は、長崎港内に大きな帆船の姿もありました。11月最初の土日に4年ぶりに開催された『長崎帆船まつり』に参加するために入港した「海王丸」(全長約110m)でした。  鍋冠山からの下山途中、樹木のてっぺんでさえずる鳥を見つけました。人の手が届かないたいへん見晴らしがよさそうな場所です。カメラのズームを通して見ると、モズでした。モズは里山に近い林などに棲息。秋になると見通しのよい高い所で、高鳴きをして縄張りを主張します。このモズも、まさに高鳴きの最中だったようで、喉元を大きく膨らませたり、凹ませたりしながら鳴いていました。   今年は夏の猛暑や11月初旬の夏日など、いつもとは違う気象が相次ぎましたが、秋に大陸から日本に渡ってくるジョウビタキは、例年と変わらない時期(10月中旬)に見かけたので、ホッとしました。長崎の市街地では、この秋も若いアオサギ、シロサギ、イソシギの姿が見られ、次の世代が育っている様子です。これからも、まちなかで生きる野鳥をとりまく環境が、よりよい方へ向かうことを願うばかりです。

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