第655号【文月の酷暑のなかで】

 夏の初めになると親戚から届く、すもも(プラム)。何の手入れもしないのに、春になると白い花を咲かせ、毎年たくさんの実をつけるそう。今年は、真夏のような暑さが早くはじまったせいか、いつもより早く食べ頃を迎えたといいます。味は、ほどよい酸味と甘さがあり、例年通りのおいしさでした。すももの旬は、品種にもよりますが、おおむね初夏から初秋。免疫力を高めるビタミンCのほか、ビタミンA、カリウム、食物繊維など、暑い季節の身体にうれしい栄養素が含まれています。おやつや朝食などにおすすめですよ。






 沖縄地方以外、まだ梅雨は明けていませんが、早くも厳しい暑さが続いています。この夏はいつも以上に、暑さ対策を心がける必要があるよう。まずは、神頼みをということで、諏訪神社(長崎市上西山町)の「夏越の祓え(なごしのはらえ)」でお参りをしてきました。






 一年の半分にあたる630日に、各神社で行われる「夏越の祓え」。拝殿前などに立てられた「茅の輪(ちのわ)」をくぐることで、半年間の罪や穢れを祓い、この夏を無事に過ごせるよう祈願するという神事です。くぐり方は地域により違いはあるようですが、諏訪神社では『水無月の夏越のはらえする人は千歳のいのち延ぶと言ふなり』と唱えながらくぐります。「茅の輪」は、「茅(かや)」を太く束ねて大きな輪にしたもの。この暑さのなかで、大量の茅を刈り集めて輪を作る作業は、きっとたいへんだったに違いありません。




 参拝の後、参道脇に建立された福沢諭吉の像のそばでふと足が留まりました。羽織姿のその像は、地元の慶應義塾大学の卒業生によって建立されたもの。長らく(1984年から約40年間)親しまれてきた一万円札の顔も、いよいよバトンタッチのときを迎えました。


 

 この7月から新一万円札の顔として登場した渋沢栄一(1840-1931)。近代日本の経済を支えた人物として知られています。長崎にまつわるエピソードで思い浮かぶのは栄一ではなく、孫の渋沢敬三(1896-1963)とグラバーの息子、倉場富三郎(1871-1945)とのことです。

 

 祖父、渋沢栄一の後継者として活躍した敬三。日銀総裁や大蔵大臣なども務めた経済界の重鎮という顔を持ちながら、民俗学者としても活動(主に漁業史)し、功績を残しています。一方、倉場富三郎は、長崎の実業界で活躍。日本で初めてトロール漁業を導入しました。富三郎は、長崎で水揚げされる魚を精密に描いた『日本西部及び南部魚類図譜』(グラバー図譜)を編纂。これは、5人の画家を雇い、約25年に渡って製作したものでした。この図譜に関心を抱いた敬三は、19415月、九州へ仕事で来た際、長崎入り。グラバー邸の応接間で、精緻で美しいその図譜を数時間かけて観察したそうです。




 富三郎が終戦直後に亡くなったとき、遺言には、この図譜を渋沢敬三に託したい旨の記載があり、グラバー図譜はいったん長崎を離れることに。その後、敬三は、この図譜が水産関係の研究所や大学などで活用されること、そして富三郎が生まれ育った長崎市内に所蔵されることを望み、長崎大学の水産学部に託すことに。長崎にもどったグラバー図譜は、現在、長崎大学附属図書館に貴重資料として所蔵され、同図書館ホームページの「電子化コレクション」から閲覧できます。ぜひ、ご覧ください。

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