第621号【手水鉢の謎とヤマガラ】
長崎の寺町通りの一角にある長照寺。こぢんまりとした境内は、日本庭園のように手入れが行き届き、四季折々の花も楽しむことができます。この時期には石畳沿いに植えられたタマスダレがいっせいに咲き誇るのですが、今年はいつもより20日ほども早く開花して、お寺の方も驚いていました。また、お盆の頃にヒガンバナが咲くなど、不順な天候に植物たちも翻弄されているよう。これは、先月の大雨や長雨などで気温の低い時期が続いたためと言われています。いつもと違うことが次々に起こる昨今ですが、自然への畏敬の念を忘れず、コロナ感染予防も怠らず、なるだけ明るい気持ちで日々を過ごしたいものですね。
9月に入ってすぐ、関東では気温が急降下したというニュースが流れましたが、長崎は、曇天ながら蒸し暑い日が続いています。リフレッシュしようと、緑豊かな松森神社(長崎市諏訪町)へ足を運ぶと、手水舍にヤマガラが飛んできました。ヤマガラは住宅街などでも見かける身近な野鳥です。手水鉢の水をクチバシでつつくと、しばし、そこにいて辺りを見回していました。
ヤマガラが留まった手水鉢は、ふちに植物の文様がほどこされた個性的なデザインで知られています。安山岩を削ってつくられたものですが、石工の名や制作年などは刻まれておらず、いつ頃、誰が松森神社に設けたのか、詳細は不明のよう。長崎市史(地誌編神社教会部・上巻/昭和13年発行)には、『〜其の形態は朝顔花を模し構造が巧妙であるので、鑑賞を惹いている』と紹介されています。
しかし、どう見ても、朝顔とは思えず、同じような文様の家紋がないか調べてみました。すると、「河骨紋(こうほねもん)」によく似ていることが分かりました。「河骨」とは、ハスのように水面に葉や花を浮かべる水生植物です。水にちなんだ植物でもあることから、もしかしたら、手水鉢の文様は、「河骨紋」の可能性もあるのでは、と思いました。ちなみに、「河骨紋」は、徳川家の「葵紋」に似ています。
松森神社から東へ3.3Kmほど離れた長崎市本河内地区にある妙相寺(みょうそうじ)。地元では昔から紅葉の名所として知られています。また、アーチ型の石門も有名です。実は、このお寺には、松森神社の手水鉢の雛形ではないかと言われるものがあります。それはお寺の池に、噴水鉢として置かれているもので、現在は池の水が抜け、鉢の全貌が丸見えになっていました。高さ約40㎝、直径約62㎝で、松森神社の手水鉢の半分くらいの大きさです。残念ながら、文様は、苔に覆われて確認できませんでした。写真で、苔がないときのものを見ると、確かに松森神社のものとそっくり。聞くところによると、妙相寺のそれは、蔓性植物のスイカズラを図案化したものだとも伝えられているそうです。
松森神社と妙相寺の手水鉢。実際のところ、何の文様なのか、いつ、誰が作ったのかなど、はっきりしたことは分かりません。だからこそ、いろんな想像を膨らませることになり、歴史探訪の面白さが増すのかもしれません。そんなことを思いながら、人の気配がない妙相寺の裏手に回ると、青々と茂るカエデの木の合間から「ツーツーピー」と鳴き声がしました。またもやヤマガラです。フヨウの木に飛んで来ると、蕾を足で器用につかみ、クチバシを差し込んで蜜を吸いはじめました。いまを夢中で生きる、微笑ましくて、たくましい、ヤマガラの姿でありました。