第616号【希望を携え龍馬像をめぐる】
4月に入ってからの長崎は、春というより、早くも初夏の陽気に包まれる日が多くなりました。ぐんぐん上がる気温に乗って、ご近所の春バラが空に向かって大輪の花を咲かせました。つい先日まで桜が満開だったのに、季節はどんどん移り変わっています。例年よりも早く北上している桜前線は、いま青森あたりでしょうか。長崎市の桜の名所のひとつとして知られる風頭公園に足を運ぶと、龍馬の銅像が楠や桜の青葉を背景に、長崎港の沖合を見つめていました。
「龍馬さん、あなたなら、いまの時代をどんなふうに生きるでしょう?」。思わず、そんな質問をしたくなる龍馬像。幕末の志士、坂本龍馬(1836-1867)は、新しい時代に目覚め、前例にとらわれないやり方で突き進み、ズンズンと時代を動かしました。こだわりのないおおらかな人柄だったそうで、時代を超えて多くの人々を魅了し続けています。
新型コロナの影響で観光客が激減したいまも、マスクを付けた龍馬ファンとおぼしき人たちが、風頭山の山頂にあるこの龍馬像をめざして登っていく姿を見かけます。というのも、この界隈は龍馬たちが闊歩したスポットとして、龍馬ファンにはたまらないエリアなのです。風頭公園近くから「龍馬通り」と称する階段を下ると、山の中腹には龍馬が率いた「亀山社中の跡」があり、社中のメンバーが参拝に訪れたといわれる「若宮稲荷神社」や龍馬らが利用した料亭「玉川亭の跡」、上野彦馬の撮影局跡などがあります。ちなみに「若宮稲荷神社」の境内にも龍馬像がありますが、こちらは風頭公園の銅像の原型だそう。顔立ちがより若々しい印象です。
昨年11月には、聖福寺(長崎市筑後町)に龍馬像が建立されました。50センチほどの高さで、風頭公園の銅像と同じ作者だそう。こちらの像は、後頭部にまとめた髪がポニーテールになっています。聖福寺は、「いろは丸事件」(龍馬たちが乗った船と紀州藩の船が衝突した事件)の談判が行われた場所で、話し合いには龍馬も同席しました。その日、どんな気持ちで山門(国宝)をくぐり、参道を歩いたのでしょう。境内の古めかしい石畳や石段を龍馬も踏みしめたかと思うとドキドキします。
ところで、聖福寺はいま、修復工事の真っ最中。境内にあった大きな楠や金木犀などの樹木が工事の都合で伐採されたことで、はからずも大雄宝殿の全景を撮ることができました。修復作業は長丁場で、これから10年ほどかけて行われるそうです。
さて、龍馬の銅像は、丸山公園にも設けられています。丸山公園は花街丸山の跡地にあり、龍馬ら海援隊の面々も訪れていたようです。1867年(慶応3)に起きたイカルス号事件(英国人水夫が丸山で惨殺された事件)では、海援隊のメンバーが犯人ではないかと疑われ(のちに嫌疑は晴れる)、龍馬を悩ませたこともありました。
銅像をめぐりながら当時の出来事を振り返ると、龍馬はさまざまな試練や苦難を成長の糧にしていたこと、そして新時代への希望を抱いて行動していたことがわかります。時代を超えて龍馬が愛される理由はそんなところにありそうです。