第614号【春のグラバー園で富三郎を想う】

 近頃のお天気は、「春に三日の晴れ無し」ということわざ通り、短いサイクルで晴れたり、曇ったり。そうやってしだいに春めく様子は、暮らしのいろいろなシーンで感じられます。スーパーの鮮魚コーナーは、一年を通して見かけるアジやイワシ、モチウオなどのほかに、旬のマダイ、アマダイなどが並んで春らしい彩りに。その美しい紅色の姿を見て、ふと思い出したのが、グラバー図譜でした。



 

 通称・グラバー図譜こと『日本西部及び南部魚類図譜』は、幕末〜明治の日本で活躍した英国出身の商人トーマス・ブレーク・グラバーの息子である倉場富三郎(1871-1945)が、長崎魚市場に水揚げされる魚類を、地元の画家を雇って制作したものです。描かれた魚類は約600種(図版総数約800枚)に及び、緻密で美しい彩色の描写で知られています。

 

 グラバー図譜は、当時、長崎でトロール漁業の会社等を営む実業家であり、水産学者でもあった富三郎が、日本の魚類の分類学に寄与するために制作したといわれています。大正から昭和初期にかけて21年の歳月と莫大な資金がかけられており、それぞれの図版には、富三郎自らが多くの文献を調べて、学名、和名、俗名などを記しています。図譜にかける富三郎の熱意がうかがえます。

 

 現在、グラバー図譜は、長崎大学附属図書館が所蔵。データベース化されていて、インターネットで閲覧できます。実は、グラバー図譜は、終戦直後に亡くなった富三郎の遺言で、渋沢栄一の孫の渋沢敬三(1896-1963:財界人、民俗学者、第16代日本銀行総裁、大蔵大臣)に託されました。そして、その数年後、再び長崎へもどってきます。その経緯については、1970年代にグラバー図譜の全図版を写真版でまとめた『グラバー図譜』(全5巻・長崎大学水産学部編)にある、渋沢の寄稿(第1巻)の中で述べられています。関心のある方は、長崎市図書館などでご覧になってみてはいかがでしょう。

 

 富三郎のことを思いながらグラバー園へ。グラバーそして、富三郎が暮らした旧グラバー住宅は、2年前から保存修理工事中(工事終了は今年1029日を予定)でした。庭の一角ではシモクレンがちょっと早めの開花を迎えていました。



 



 現在、旧グラバー住宅に展示されていた品などは、園内の旧リンガー住宅、旧スチイル記念学校にそれぞれ移され、「グラバー特設展」として紹介されています。長崎に生まれ、東京の学習院、アメリカのペンシルバニア大学で学んだ富三郎は、地元長崎にもどると実業家として活躍しました。明治〜大正〜昭和の激動の時代を生き抜く中、父がグラバーであることや自身の日本人離れした容姿などについて、きっと他人には推し量れない複雑な思いがあったことでしょう。



 

 旧リンガー住宅での「グラバー特設展」で、グラバー住宅の食堂を富三郎が撮影した写真が展示されていました。その写真に、藤製の大きなつい立てが写っていて、その現物も見ることができました。つい立は、すっかり色あせていましたが、手の込んだ堅牢な作りに、裕福な暮らしぶりがうかがえました。





 

 長崎港を見渡す緑豊かな丘の上にあるグラバー園。園内を歩いていると、もうじき北へ帰るアカハラ、ジョウビタキの姿がありました。富三郎も、この場所で渡って来た鳥たちを見たかもしれません。

 


 

◎参考にした本/『グラバー図譜』第15巻(長崎大学水産学部 編)

 

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