第613号【沈丁花とツュンベリー】

 開花とともに、あたりに甘い香りを漂わせる沈丁花。早春を知らせる芳香ですが、マスクをしているとなかなか気付きにくいですね。ご近所の方が、通行人にも香りを楽しんでもらおうと思われたのか、咲きはじめた沈丁花の鉢植えを通り沿いに出していました。マスクをずらして、しばし芳香を楽しめば、卒業や進学、就職など、人生の大切な節目を迎えた春の記憶があれこれよみがえります。香りって不思議ですね。



 

 沈丁花の原産地は、中国中部からヒマラヤ地域にかけて。日本へは室町時代に渡来したといわれています。沈丁花の名は、香木の「沈香(じんこう)」と、エキゾチックな香りのスパイス「丁子(ちょうじ)」(クローブ)に由来。学名であるDaphne odoraの名付け親は、江戸時代、出島のオランダ商館付医師として来日したツュンベリーだそう。植物学者でもあったツュンベリーは、出島で栽培されていた沈丁花を観察し、学名を付け学会に発表。この学名の語源も、やはり芳香を意味する言葉だそうです。



 

 スウエーデン生まれのツュンベリーは、生物の分類学の創始者であるリンネ(1707-1778)の高弟で、植物学者として優れた才能を持っていました。出島にやって来たのは1775年で、滞在はわずか1年ほどでしたが、その間に採取した日本の植物は800種余りもあったそう。帰国後、その植物を『日本植物誌』に著し、ヨーロッパに広く紹介しました。このとき、初めて世界に紹介された植物も多く、カキ(Diospyros kaki)、サザンカ(Camellia Sasanqua)など、日本での呼び名がそのまま学名になったものもあります。



 

 ツュンベリーは、同じオランダ商館付医師として1690年に来日したケンペル、1823年に来日したシーボルトらと並び、出島の三学者と呼ばれる人物です。三人は、それぞれの時代においてヨーロッパの近代医学を日本に伝え、来日中は、優れた収集力と洞察力で日本の自然や風習、文化などを調査・観察し、帰国後にそれらを著し、広くヨーロッパの人々に伝えました。現在、出島には、かつて薬草園だった場所に、ケンペルとツュンベリーの名を刻んだ記念碑が残されています。これは、シーボルトが先達のふたりの功績を讃えて1826年に建立したものです。



 

 三学者らが、日本の植物などを数多くヨーロッパに伝えた一方で、日本にはじめてオランダ船が運んできた植物にはどんなものがあったのでしょう。往時の町並みが復元されつつある現在の出島の西側近くに建つ「二番蔵」にその答えが展示されていました。野菜や果物なら、トマトやセロリ、パセリ、パイナップル、イチゴなど。花なら、キズイセン、ストック、シロツメクサ、マリーゴールド、カラー、ヒマワリ、オシロイバナ、キンレンカなどなど。いまでは、日本の暮らしになじみのあるものばかりですね。





 

 冒頭で紹介した沈丁花の名にゆかりのある丁子(クローブ)も、シナモンやナツメグとともに、痛み止めや防腐効果などのある薬種のひとつとしてオランダ船がたくさん運んで来ていました。いまでは、料理やお菓子作りによく使われるスパイスですが、当時はとっても貴重なものだったようです。

 

◎参考にした本/『ガーデニング植物誌』(大場秀章)

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