第605号【穴弘法から見渡す浦上の地】

 気持ちのいい秋晴れが続いた長崎の10月。朝晩はさすがに冷え込みますが、日中は蒸し暑さを感じることも。川ではスズメが尾を広げて水浴びを楽しむ光景が見られました。コロナ禍の秋、感染予防という緊張の一方で、例年より静かでややスローダウンした日々が続いています。だからでしょうか、いつもなら見逃してしまう何気ない光景にも目が行きます。感染対策を万全にして、この季節をゆっくり味わいたいものです。

 



 ふだんはなかなか足を運べずにいた場所へ行ってみようと、地元で「弘法さん」、「穴弘法」などと呼ばれ親しまれている「長崎高野山 穴弘法寺」(長崎市坂本町)と、穴弘法寺の奥之院「霊泉寺」(長崎市江平)を訪ねました。弘法大師などを祀る「穴弘法」は、長崎市街地の北東側に位置する金比羅山の中腹にあります。市街地を走る路面電車の最寄りの電停から、徒歩30分前後で到着しますが、ふもとの浦上地区から坂道や石段を登り続ける道のりは、ちょっとした登山のようです。



 

 ルートは、電停「大学病院」か「原爆資料館」から、長崎大学病院をめざし、そこからさらに車道を登って坂本小学校へ。校門前の道路の左手に階段が見えます。斜面地の住宅街の上下をつなぐその階段を登っていくと、コンクリートだった階段が、ゴツゴツとした山道の石段に。まもなく「穴弘法寺」です。



 

 「穴弘法寺」の本堂は、こぢんまりとした佇まい。境内には澄んだ山の空気が漂っています。参拝を済ませた後、裏手の山へまわり、弘法大師などが祀られている巌穴へ。靴を脱ぎ、腰をかがめて中に入り参拝。神聖な気分で巌穴を出ると、眼下に浦上地区を中心とした市街地が広がっていました。街の向こう側には山々がゆるやかな稜線を描き、その上には秋の雲が泳ぐ青空が見えます。とても美しい景色でした。

 



 「穴弘法寺」は、戦時中、旧長崎医科大学の救護所に指定されていました。原爆が浦上に投下された昭和2089日、大学関係者らをはじめとする多くの市民が惨禍を逃れようとこの寺をめざしましたが、途中で息絶えた方や辿り着いても亡くなられてしまう方が大勢いました。しかも、爆心地から約900メートルしか離れていなかったお寺自体も爆風で全壊。その惨状は想像を絶するものであったと語り継がれています。



 

 「穴弘法寺」からさらに200メートルほど登ったところにあるのが、奥之院「霊泉寺」。標高約130メートル。ここにも本堂の裏山に岩穴があり弘法大師が祀られています。原爆が投下された時、「霊泉寺」もまた建物は全壊。多くの石像が破壊されました。現在、敷地内にはたくさんの石仏が祀られていますが、なかには原爆の被害にあったものと思われる像も残っています。



 

 ここは、昔から湧水の地として知られていて、原爆が投下された後、多くの人々がその水を求めて登ってきたそうです。毎年、89日に行われる「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」での献水は、数カ所の被爆者ゆかりの地から汲み上げた水が使われます。「霊泉寺」の湧水もそのひとつです。



 

 穴弘法から、いまは美しい浦上の市街地を眺めていると、75年前の原爆後の荒野とそのなかにいた人々へと想いがいきます。原爆の巡礼の地でもある穴弘法。亡くなられた方々のご冥福と平和をあらためて祈念する秋でした。



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