第597号【日本遺産認定〜シュガーロード〜】

 先週の大雨のあと、眼鏡橋などの石橋群で知られる中島川沿いを通りがかると、桃渓橋そばに咲くカンナ(草丈1メートル以上)の群生が、増水した急流になぎ倒されていました。中島川は、昭和57年の長崎大水害後の拡幅工事によって、かなりの増水にも耐えられる川になりました。しかし、ふだんは静かなこの川が、ゴウゴウとしぶきをあげて流れる様子を見ると、短時間で集中的に降る雨のこわさを実感。家にもどったら、すぐに緊急時の避難場所と持ち出すものを再確認しました。みなさんも、ぜひ、ご確認ください。





 

 コロナ禍のなか季節はめぐり、状況は変化しています。先週末、県境をまたぐ移動の自粛要請も解除されました。新しい生活様式をこころがけて、外出を楽しまれた方も多いことでしょう。長崎のまちにも少しずつですが、観光客の姿が見られるようになりました。

 

 この移動の解除日と同じ619日、長崎県・佐賀県・福岡県にとって、うれしいニュースがありました。今年度の「日本遺産(Japan Heritage)」(文化庁)に『砂糖文化を広めた長崎街道〜シュガーロード〜』が認定されたのです。「日本遺産」とは、地域の文化財を生かして観光振興などにつなげることを目的にしたもの。今年度は全国各地から申請された中から21件が認定されています。

 

 『砂糖文化を広めた長崎街道〜シュガーロード〜』は、長崎県(長崎市・諫早市・大村市)・佐賀県(嬉野市・小城市・佐賀市)・福岡県(飯塚市・北九州市)が申請。3県8市の自治体がいっしょになって申請した理由は、文化庁が発表した認定概要をよむとわかります。「室町時代末頃から江戸時代、西洋や中国との貿易で日本に流入した砂糖は、日本の人々の食生活に大きな影響を与えた。なかでも、海外貿易の窓口であった長崎と小倉を繋ぐ長崎街道沿いの地域には、砂糖や外国由来の菓子が多く流入し、独特の食文化が花開いた。……」

 

 3県8市は、砂糖の歴史に甘く彩られた街道沿いの地域にあります。天ぷら、有平糖、金平糖、カステラ、おこし、大村寿司、小城羊羹など、それぞれの地域に伝えられた甘味は、銘菓・名物としていまも食べ継がれています。



 

 江戸時代、長崎街道「シュガーロード」を経て、全国各地に運ばれた砂糖。海外交流の窓口だった当時の長崎には、オランダ船が出島へ、唐船が新地へ砂糖を運び込んでいました。現在、出島に行くと、「三番蔵」(復元)で、砂糖を保管していた当時の様子を見ることができます。砂糖は、丈夫な麻袋に入れられ積まれていました。





 

 江戸時代、砂糖をはじめさまざまな文物が、長崎を拠点に全国各地へ、そして世界各国へ渡っていきました。そうした歴史について、展示パネルや映像でわかりやすく紹介しているのが、「筆者蘭人部屋」(復元)です。出島の中央付近の表門近くにあります。



 

 現在の出島には、「三番蔵」や「筆者蘭人部屋」のように、19世紀初頭の建物が十数棟復元されていて、各所で出島にまつわる歴史を多様な視点で紹介しています。いずれも充実した内容なので、何度も足を運んで見るのがおすすめです。出島は、長崎市民を対象に今年61日から930日まで無料開放されています。この期間を利用して、出島のことを再度学んでみるのもいいかもしれません。これから長崎を案内するときに、きっと役に立ちます。

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