第596号【天文学者 西川如見(にしかわじょけん)】

 先月24日の夕方、偶然見上げた西北西の低い空に、月と水星と金星が接近し、三角形をなしているのを確認。細い月の右斜め上に、うすい雲におおわれた水星が見え隠れ。水星の右斜め下には宵の明星・金星が輝いて、幻想的で美しい光景でした。また、今月6日の満月のときには、午前3時前から6時頃までの間に、月が地球の半影に入る「半影月食」が見られたそう。私たちが眠っている間も、月や星たちは宇宙の神秘を語るように、刻々と壮大なドラマを繰り広げているのですね。



 

 アメリカの先住民は、毎月やってくる満月に、その季節にちなんだ名前を付けました。たとえば、花咲く5月は「フラワームーン」、6月は「ストロベリームーン」というふうに。「ストロベリームーン」は、6月が野いちごの季節だということや、この時期の月の色が、赤みを帯びて見えることに由来しているとか。赤く見える理由は、朝日や夕日と同じ原理で、月が一年でもっとも地平線(水平線)に近い軌道を通るからといわれています。今月の満月がなんとなく赤みがかって見えたのは、そういうことだったのです。



 

 月を見上げているとき、ふと、江戸時代の天文学者、西川如見(にしかわじょけん:16481724)のことを思い出しました。如見は、長崎の歴史や地誌などについて記した『長崎夜話草』の著者として知られています(この書は、如見の子、正休が父の談話を筆録・編集したもの)。長崎の鍛冶屋町の商家に生まれた如見は、18歳のとき父を亡くし、その後、母によく仕え親孝行をしたと伝えられています。20歳を過ぎて学術を志した如見は、長崎奉行に招かれ京都から来た儒者・南部草寿の塾で学びました。南部草寿は、1672年から8年間長崎に滞在し、立山聖堂の祭酒(学頭)も務めた人物です。

 





 海外から新しい知識が怒涛のように入ってくる長崎にあって、如見は師にも恵まれ、おおいに学んだようです。当時、西洋の天文学の大家といわれた小林謙貞(?〜1688)などから天文暦学を師事。研さんを積んで大成し、江戸にその名を知られるほどの天文学者になりました。日本人の学者らの間で、地球が球形であることが浸透していなかった時代に、如見は、早い段階で大地が丸いという説を唱えていました。

 

 晩年には、天文好きの将軍徳川吉宗に招かれて江戸に上がり、謁見。天文学に関する質問を受け、意見を述べたと伝えられています。ところで、如見は、日本で最初の世界地理書とも評される『華夷通商考(かいつうしょうこう)』をはじめ『天文議論』、『日本水土考』など天文・地理に関する書籍を多く著していますが、そのなかでも博識ぶりがよくわかるのが、前述の『長崎夜話草』、そして町人道徳を記した『町人袋』、農民の経済を語った『百姓嚢』です。これらは江戸時代を知る名著として、文庫本にもなっています。



 

 文庫本を読むと、如見の視野の広さと奥深さ、人柄の細やかさが伝わってきます。地理や天文学を通して、人智の及ばぬところがあることを知りつつ、貪欲に知識を求め、得た知識・経験は書に著し、後世の人々に役立つものを残そうとした姿が見えてきます。歴史書として、教訓書として、興味深いおすすめの一冊です。



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