第583号【片淵の赤かぶ】
九州地方は、初冬にしては温かく過ごしやすい日が続いています。日中は春の陽気にも似て、小鳥たちが活動的になっているよう。中島川の眼鏡橋そばのアコウの木では、枝から枝へと果実をついばむメジロたちの姿が。川原ではキセキレイが長めの尾を上下にふりながら餌を求めて歩き回っていました。
実りの季節、食欲が増すのは人間も同じです。店頭には、野菜や果物など旬の食材が満載で目移りします。なかでも、さといも、ごぼう、にんじん、れんこん、かぶなどの根菜類のおいしさは格別。さて、今夜は何をいただきましょうか。
根菜類といえば、長崎には「片淵の赤かぶ」とか「片淵かぶ」などと呼ばれる伝統野菜があります。片淵とは地名のことで、長崎市中心部にある住宅街ですが、入り組んだ山の斜面地に畑がみられるところです。江戸時代には海外貿易で賑わう長崎市中に隣接する自然豊かな場所として、貿易で財を成した人たちの別宅などがおかれていました。
「片淵の赤かぶ」は表皮がツヤのある紫がかった赤色で、むくと純白。肉質はやわらかく、かぶ独特の香りは控えめ。苦みや辛味もほとんどありません。なますにすると表皮の赤が全体をうっすらと染めておめでたい色あいに。長崎くんちの行事食に、「ざくろなます」がありますが、この赤かぶで作った「なます」も「くんちなます」として用いられていたそうです。
大正生まれの知り合いの女性から、「片淵の赤かぶ」にまつわる懐かしい思い出をうかがう機会がありました。「片淵の赤かぶが手に入ると、よく〝炒りかぶ〟を作っていたのよ。義父がお好きでね。よくお茶漬けにして食べていらしたわね」。〝炒りかぶ〟の作り方は、まず、赤かぶを薄くイチョウ切りにし、塩もみをしてちょっと置き、ざっと洗って水気をしぼります。それを小鍋でさっと炒りながら、ほんの少しのみりんとしょうゆで味付けをして出来上がりです。お皿に盛るときは、彩りにかぶの葉を刻んでのせます。
味付けも作り方もとてもシンプルな〝炒りかぶ〟。義父は、赤かぶの季節を待ってましたとばかりに召し上がっていたようです。そんな季節感のある食生活は心を豊かに育むもの。古き良き日本人の食生活を垣間見るエピソードでした。
日本各地には、「片淵の赤かぶ」のような在来種が多く存在し、その数は80種類にも及ぶそうです。そうした在来種は、その土地の気候や土壌の影響も受けて、色や形なども個性的。大別すると、和種系、洋種系があるそうです。ちなみに、出島のオランダ商館医として来日したツユンベリー(医師・植物学者)は、帰国後に著した『日本紀行』で、長崎の赤かぶを「洋種のかぶ」として紹介しています。
薬膳では、かぶは消化を促す作用があり、食べ過ぎによる胃もたれや腹部の張りが気になるときに使うとよいとされます。この季節にぴったりの食材ですね。