第574号【サント・ドミンゴ教会跡資料館へ】
大雨による被害が各地でありました。被災された方々に心からお見舞い申し上げます。
梅雨の晴れ間、中島川上流にかかる桃渓橋(ももたにばし)を通りかかると、橋の下で、カンナがいっせいにオレンジ色の花を咲かせていました。カンナはへこたれない植物です。河川の草が生い茂るたびに短く刈り取られ、大雨や台風のときは濁流に飲み込まれ、ときになぎ倒されたりもしますが、水が引いてしばらくすると、すくっと立ち上がります。ありのままの姿を炎天下にさらし、再び鮮やかな花を咲かせるカンナ。橋を行き交う人々を励ます存在です。
カンナの咲く桃渓橋から、「サント・ドミンゴ教会跡資料館」(長崎市勝山町)へ足を運びました。長崎歴史文化博物館のそばにあるこの資料館は、長崎市立桜町小学校の校舎裏手に設けられています。小学校が建て替えられた2004年にオープンしたので、今年で15年目。小さく目立たない資料館ですが、全国的にもめずらしい江戸初期のキリスト教の教会遺構を、目の当たりにできるたいへん貴重な歴史スポットです。
サント・ドミンゴ教会が建てられたのは慶長14年(1609)。江戸幕府が開かれて6年ほど経った頃です。幕府は秀吉の時代に引き続きキリスト教の禁教令を出してはいましたが、南蛮貿易港の長崎での取り締まりは、まだゆるやかで、全国各地のキリシタンが次々にこの町に集まっていました。当時の長崎は、複数の教会堂が建てられ、さながら小さなローマのようであったと伝えられています。
サント・ドミンゴ教会は、当時、富と権力を握っていた長崎代官の村山等安が寄進した土地に建てられました。教会建設にあたって地元の有力者の保護を受けるということは、長崎のまちが南蛮貿易によって成立していたこと、そして南蛮貿易とキリスト教の布教が一体化して行われていたことを示しています。しかし、その後、幕府の全国的な禁教令により、長崎の教会は次々に壊されていきます。サント・ドミンゴ教会も慶長19年(1614)に破壊されてしまいました。
資料館では、サント・ドミンゴ教会時代の遺構と思われる石組地下室、石畳、排水溝が発掘当時のまま保存・展示されています。黄色い土と石で築かれた遺構を見ていると、建ってわずか5年で破壊された教会が、400年以上も経ったいま、再び目の前に現れたことの不思議を感じます。
教会の土地を寄進した村山等安は、その後、失脚。教会の跡地は、末次家(17世紀中期〜後期)、高木家(18〜19世紀)といった長崎代官の屋敷となりました。代官屋敷時代の建物礎石、井戸なども発掘され保存・展示されています。
資料館には、ほかにも大量に出土したキリスト教の象徴ともいえる花十字紋瓦も展示。日本の仏教寺院の建築様式を踏襲したと思われる木造瓦屋根の教会堂に使用されていたのでしょうか。また、代官屋敷時代の陶磁器や煎茶に用いられた急須や小杯なども展示されていて、当時の暮らしぶりがうかがえます。
「サント・ドミンゴ教会跡資料館」は、南蛮貿易、キリスト教の布教、長崎代官など、17世紀から19世紀にかけての長崎の移り変わりをさまざまな視点から眺めることができます。長崎の歴史を知るほどに、この場所に刻まれた濃密な時間を感じとれることでしょう。