第566号【桃の花咲く桃溪橋へ】
「春に三日の晴れなし」とはよく言ったもの。変わりやすい春の空の下、卒業式や転勤といった人生の節目を迎える方も多いはず。「大事な日には晴れるといいね」、「この時期の雨は菜種梅雨って言うそうよ」などと、とりとめもないおしゃべりをしていた友人から、「お裾分けです」と兵庫県の郷土料理・イカナゴのくぎ煮をいただきました。「毎年、神戸の知人が送ってくれるの。瀬戸内に面したその地域では、イカナゴを煮炊きする香りが春先の風物詩になっているそうよ」と友人。醤油と砂糖で甘辛く煮たイカナゴのくぎ煮。ご飯がすすむおいしさでした。
地元長崎の海も春めいて、マダイやチヌなど季節の魚が採れているようです。知り合いから鰆(サワラ)をいただき、野菜入りの揚げかまぼこを作りました。鰆は春に産卵のため沿岸にやってくることから、春を告げる魚ということで「鰆」という字になったとか。秋・冬が美味と言われていますが、早春もまだまだおいしい。鰆は白身魚でクセのない上品な味わいです。照り焼きや西京焼にしていただくことが多いよう。かまぼこにしたのはちょっと贅沢だったかもしれません。
早春の晴れ間に中島川沿いを歩けば、眼鏡橋の上流にかかる桃溪橋(ももたにばし)のたもとでは、1本の桃の古木が満開を迎えていました。ちなみに今週初めの3月11日は、72節気の「第8候・桃始笑」(桃の花が咲き始めるという意味)でした。桃溪橋の桃の花はこれから1週間は楽しめそう。そして、来週後半には、桜の季節がやってきます。
中島川の石橋群のひとつ桃溪橋は、中島川の2つの支流が合流するところに架かっています。1679年(延宝7)、卜意(ぼくい)という僧侶が募った財で架設されました。橋の名は、当時、その川のほとりに多くの桃の木があり、桃の花の名所だったことにちなんだものとか。桃溪橋は丈夫な橋でしたが、昭和57年の長崎大水害で半壊。その3年後にもとの形にもどされました。橋の幅は3.5メートル。昔ながらの風情をたたえながら、いまも車両が通るタフな石橋として活躍しています。
桃溪橋のすぐそばの川沿いに「出来大工町不動堂」が建っています。江戸時代、この近くにあった「青光寺」(しょうこうじ)(1645年開創)という真言宗のお寺ゆかりのお堂です。1696年(元禄9)、青光寺の和尚が、門前にあった中島川沿いに不動明王の石像と、お堂を建立。その後、火災でお堂は消失しますが、再建・修理を重ね、現在の「出来大工町不動堂」へとつながりました。その間、青光寺は、明治政府による神仏分離令によって廃寺になりました。
不動明王を真ん中に、聖徳太子、弘法大師を祀る「出来大工町不動堂」。この小さなお堂が、いろいろな時代を乗り越えられたのは、霊験あらかたで地元の人々に敬われ親しまれてきたからだと伝えられています。
「出来大工町不動堂」のそばには「不動明王常夜灯」と刻まれた、「唐船安全祈願塔」が建っています。川を挟んだ向かい側にも同じようなものがあります。これらの塔は、江戸時代、長崎港に停泊する唐船の荷物を、小舟に積んで中島川上流の桃溪橋付近まで運んでいたことをいまに伝えています。
「出来大工町不動堂」や「唐船安全祈願塔」など江戸時代の記憶や風情が残る桃溪橋界隈。うららかな春の日に散歩に出てみませんか。