第551号【電停の名まえが変わる2018夏】
猛暑が続いています。西日本豪雨の被災地では、いまも大勢の方々が復旧作業にあたっています。無事に作業が進み一日早くもとの暮らしにもどれますよう心からお祈りいたします。
夏休みがはじまって、長崎では路面電車を利用する観光客にまじって地元の子供たちの姿も目立つようになりました。通勤や通学、お買い物など長崎市民にとって大切な生活の足である長崎電気軌道の路面電車。大正4年(1915)11月に長崎のまちを走り出して以来、今年で103年目を迎えます。
長崎の路面電車は現在、4つの路線で市中心部を巡っています。電車停留場(以下、電停)は全39カ所。そのうち13カ所の名称が8月1日から変わることになっています。より分かりやすく、利便性を高めるために行われる今回の電停名称変更は、次のとおりです。1.「長崎大学前」→「長崎大学」2.「浦上車庫前」→「浦上車庫」3.「松山町」→「平和公園」4.「浜口町」→「原爆資料館」5.「大学病院前」→「大学病院」6.「築町」→「新地中華街」7.「正覚寺下」→「崇福寺」8.「賑橋」→「めがね橋」9.「諏訪神社前」→「諏訪神社」10.「市民病院前」→「メディカルセンター」11.「大浦天主堂下」→「大浦天主堂」12.「西浜町(アーケード入口)」→「浜町アーケード」13.「公会堂前→市民会館」(※公会堂跡地に新市庁舎が完成したら「市役所」(仮称)に変わるそうです。)
名称が変わる電停を何カ所か訪ねました。もうすぐ「めがね橋」となる「賑橋」電停。実際の賑橋、めがね橋は中島川にかかる橋で、この電停からそれぞれ徒歩2分ほど。めがね橋から200メートルほど下流に賑橋が架かっています。現在の賑橋は鉄筋コンクリート造りの道路橋ですが、その歴史をひもとくと、長崎らしいエピソードに彩られていました。
江戸時代初め、同場所には木の橋が架けられていましたが、江戸中期になり「榎津橋」という石造りのアーチ橋が架けられました。これは、貿易で財を成した帰化唐人、何高財(が こうざい)の寄進によるものと伝えられています。その石橋は明治後期に架け替えられ、そのとき「賑橋」と名称が変わったそうです。ちなみに、何高財の息子の何兆晋(が ちょうしん)は、片淵に茅葺屋根の別宅「心田庵」(市指定史跡)を建てたことで知られています。
「築町」の電停も最寄りの観光スポット「新地中華街」という名称に変わります。「築町」は、路面電車が走り出した大正4年当初からある電停です。現在の電停所在地は「銅座町」ですが、当時は「築町」だったのでしょう。ちなみに「築町」自体は南蛮貿易時代からあるたいへん古い町名です。
今回の電停巡りでは、電車一日乗車券を使ってとってもお得に楽しめました。余談ですが、電停の標識が、レトロ調のモスグリーンで縁取られたタイプばかりと思っていたのですが、実は数タイプあることに初めて気付きました。「諏訪神社前」の電停は、門前電停らしいデザイン。何事も、見ようとして見なければ、気付かないものなのですね。