第549号【月と金星と、本河内ダム】

 616日夜8時頃に西の空を見上げると、三日月と金星が並んで輝いていました。カメラで撮ったその月をよく見ると、影の部分がうっすらと光って見えます。これは地球からの反射光が月の影の部分を照らすために起こる現象で、「地球照」と呼ばれるものだそうです。





 

 星空にも季節があって、日々天体ショーを繰り広げながら夏へと移行しています。きょう627日は美しいリングを持つ土星が、「衝」(地球より外側をまわる惑星が太陽と正反対の位置に来るとき)を迎え、観察しやすい時期に入ります。ちなみに明日28日夜9時頃、晴れれば南東の空に満月とそのすぐ右側に土星を確認できることでしょう。

 

 さて、まだまだ雨の日が続いていますが、この季節の雨水を盛夏期にむけてしっかり貯めているのがダムです。ダムといえば長崎市には、昨年7月に国の重要文化財に指定されたものがあります。眼鏡橋がかかる中島川の上流にある本河内水源地水道施設(本河内高部ダムと本河内低部ダム)です。





 

 本河内高部ダム(長崎市本河内3丁目)と本河内低部ダム(長崎市本河内2丁目)は、長崎市街地を囲む山あいの一角にあります。路面電車の蛍茶屋電停から本河内高部ダムまで徒歩約20分、そこより下流に位置する本河内低部ダムまでは徒歩10数分。生活圏のすぐそばにあるダムです。



 

 長崎市のHPによると、「本河内水源地水道施設は、わが国における最初期の近代水道施設であるばかりでなく、貯水池を備えた水道施設のはじまりであり、水道史上価値が高く、先駆的土木技術を駆使したわが国最初期の近代水道施設といえる」とありました。



 

 本河内高部ダムは、明治24年(1891)、横浜・函館についで3番目の近代水道施設として建設されました。日本人(吉村長作)による設計・施工としては日本初のダムだそうです。ダム建設のきっかけは、幕末に外国人居留地がつくられた長崎には、海外と貿易が行われる一方で伝染病もたびたび流入。衛生的な水道施設の必要性が高まったからだそうです。その後、人口増加により水道を拡張。明治36年(1903)に本河内低部ダムが日本で2番目のコンクリート造の水道ダムとして誕生しました。


 先に完成した本河内高部ダムは、主に土を用いて形成された土堰堤(どえんてい)といわれる造りで、青い草に覆われていました。コンクリート造の本河内低部ダムとの大きな違いです。高部ダムの近くには石造りのアーチ状の山門で知られる妙相寺があります。この山門は、もとは長崎街道沿いにあったものが、ダム建設のときに現在地に移されたそうです。



 

 両ダムの敷地内には公園も整備。周囲の豊かな緑とともにのんびりできるスポットになっています。余談ですが、このダムを管理する長崎県では、昨年、県管理ダム37基(内2基は建設中)のダムカードを作成。本河内高部ダムと本河内低部ダムについては、通常タイプのダムカードに加え、重要文化財に指定された記念としてプレミアムダムカードもあるそうです(ダムカード配布については条件があります。長崎県河川課のHPでご確認ください)。防災や生活用水の供給などわたしたちの暮らしを支えるダム。ときには訪れてみるのもいいかもしれません。



検索