第548号【本蓮寺のハス】
ザクロの花が咲きはじめた6月1日、長崎くんちの「小屋入り」が行われました。「小屋入り」とは、その年の踊町の世話役や出演者などが諏訪神社と八坂神社へ参殿して清祓いを受け、演し物の稽古に入るとされる日です。今年の踊町(演し物)は、小川町(唐子獅子踊)・大黒町(唐人船)・椛島町(太鼓山)・出島町(阿蘭陀船)・本古川町(御座船)・東古川町(川船)・紺屋町(本踊)の七ケ町。これからどんどん暑くなるなか、秋の本番にむけて、きびしい稽古がはじまります。そんな踊町のがんばりを大勢のくんちファンや市民が見守っています。
「小屋入り」の日の長崎は、梅雨入りして間もない頃でしたが初夏のさわやかな天候にめぐまれました。6月中旬の現在、北海道をのぞくすべての地域が梅雨入り。ジメジメした空気は気分を沈ませがちですが、屋外に目をやれば、しっとりとぬれた若葉の茂りは美しく、雨粒にうたれるアジサイは涼しげで、心に晴れ間が広がります。
いま見頃のアジサイに続き、これから開花の時期を迎えるのがハスです。数日前、長崎駅近くにある聖林山本蓮寺(長崎市筑後町)を訪れたとき、ハスを植えた大鉢がいくつも並べられ、境内はまるでハス園のようでした。ハスの花の見頃は7月初旬なので、まだ花の数も少なかったのですが、明るいグリーンの大きな葉っぱが参拝に訪れた人の目を楽しませていました。
泥の水のなかから生まれ、清浄な美しい花を咲かせるハスは、仏教の世界では、仏の智慧や慈悲の象徴とされているそうです。しかも本蓮寺は、お寺の名前のなかに「蓮(ハス)」があり、この花との強いご縁を感じます。ちなみにハスの花は、早朝に開き、昼過ぎには閉じてしまいます。この時期の本蓮寺への参拝は、午前中がおすすめです。
ところで、本蓮寺は長崎の歴史に興味のある人なら檀家でなくとも幾度も訪れたくなるお寺のひとつです。創建は江戸時代初期の1620年。この場所は、長崎の南蛮貿易時代(安土桃山時代)につくられたサン・ラザロ病院、サン・ジョアン・バプチスタ教会の跡地でした。病院と教会は、キリスト教の禁教令によって1614年に破壊されましたが、当時、南蛮人によって掘られた井戸は、現在も本蓮寺の一角に残されています。
創建後、大村藩や長崎代官から資金を得て寺地を増していった本蓮寺は、1648年に朱印地に指定され、長崎三大寺のひとつとして重要な役割を果たしていました。敷地内にあった大乗院という末寺は、長崎を訪れた幕臣などが宿舎として使用したようです。1805年、長崎奉行所勘定役として着任した大田直次郎(南畝)は2ヶ月ほど滞在。直次郎は、蜀山人という名で狂歌師、洒落本の作家として江戸で活躍した人物です。また、その50年後の幕末には、海軍伝習所の伝習生であった勝海舟が4年ほど滞在しています。
本蓮寺の後山には、長崎奉行や長崎代官をはじめ、長崎南画の三筆のひとり三浦悟門、海援隊の沢村惣之丞など、江戸時代の長崎で活躍した人々のお墓があり、そうした史跡を訪ねる人の姿が後を絶ちません。
江戸時代から続く由緒ある本蓮寺の本堂や諸堂は、残念ながら原爆のときに消失。現在の建物は戦後、再建されたものです。痛烈な諸行無常を味わった本蓮寺。ハスの花は昔もいまも変わらぬ美しさで、人々を見守っているようでした。