第541号【古き良き極彩色の異国情緒】
磯に春の訪れを告げるアオサ。有明海産のものが手に入り味噌汁を作りました。新鮮な磯の香りにほっとします。一年中手に入る乾燥アオサもいいですが、やはりこの時期の摘みたてがおいしい。全国の海岸で見かけるこの海藻は、日本人には馴染み深い食材です。きっと今頃、各地の海端の家々の食卓に上がっているのでしょう。
それにしても今年の冬は寒かったですね。九州・長崎ではようやく10度を超える日が続くようになりましたが、北陸や東北、北海道の天気図にはまだ「雪」のマークが見えます。これから「三寒四温」で本格的な春に向かうわけですが、今年は寒暖の差が激しい。長崎の人も厚手のコートをしまうのは、もう少し待ったほうがいいかもしれません。
さて、長崎はいま、2月中旬からはじまった「長崎ランタンフェスティバル」が、後半の賑わいをみせています(3月4日まで)。長崎港にはアジア各国のお客様を乗せた大型クルーズ船が連日のように入港。船が停泊する「松が枝」に近い長崎新地中華街や唐人屋敷跡、孔子廟などは、クルーズ船から降り立った人々が大勢繰り出し、ランタンを見上げながら歩いていました。人々の弾けるような笑顔とともに飛び交っていたのは、いろいろな国々の言葉。そんな光景がまったく違和感がないのは、やはり歴史的に中国をはじめとするアジアの国々の影響をたくさん受けてきたこのまちならではの風土なのでしょう。
なかでも「長崎ランタンフェステイバル」は長崎と長くて深い交流のある中国の影響をくっきりと浮かび上がらせます。たとえば、唐人屋敷跡。いま、土神堂や観音堂といった朱色の建物がランタンに彩られとてもきれいです。
唐人屋敷は、貿易でやってくる中国人を居住させるため元禄2年(1689)に造られました。当初の敷地は約8,015坪(のちに約9373坪まで拡大)。唐人屋敷が造られた理由は、密貿易を防止するためでした。幕府は、出島に貿易相手のオランダ人を住まわせたように、中国人もまた限られた場所に集めて貿易の統制を図ったのです。
市中の一角にあった唐人屋敷は、練塀と竹矢来(たけやらい)で二重に囲まれてはいたものの、長崎の人々にとっては海に囲まれた出島よりは身近な存在。敷地内には二階建ての長屋が20棟もあったそうで、2千から3千人を収容可能だったといいます。唐人屋敷内には、役人や遊女など限られた人しか出入りできませんでしたが、いろいろな機会を通じて中国の人々と市中の人々の間で交流があったことは想像に難くありません。いまも長崎の年中行事として継承されているハタ揚げ、ペーロン、精霊流し、長崎くんちは、その頃に伝わった中国文化の影響が色濃く残っています。
唐人屋敷跡から徒歩約15分。長崎市大浦町にある孔子廟は、明治期に設けられました。中国の宮廷を彷彿させる極彩色の建物は、いかにも長崎の中の異国といった感じです。このまちのあちらこちらで目にする極彩色の異国情緒は、古き良き長崎らしさでもありました。