第539号【天文学者 盧 草拙と西山神社】

 西山神社(長崎市西山町)の寒桜がそろそろ見頃だと思い、出かけましたが、咲いていたのはほんの数輪。神社の方によると、例年通り12月中旬には花が開らきはじめたものの、1月に入ってから気温の低い日が続き開花が進まなかったそうです。今月末には満開になるでしょうとのことでした。



 

 諏訪神社から北へ徒歩10数分。斜面地の高台にある西山神社(長崎市西山町)。この神社は、江戸時代の長崎の天文学者、盧 草拙(ろ そうせつ:1675-1729)ゆかりの神社です。草拙は若いころから、北極星・北斗七星を神格化した妙見菩薩を信仰していて、それを祀るために、長崎奉行に願い出て、自らが所有する土地に妙見社(のちの西山神社)を建てたと伝えられています。

 

 地元では「西山妙見社」、「妙見さま」などと呼ばれ親しまれている西山神社。本殿前の鳥居の額束には、めずらしい円形の額が掲げられていますが、これは、星や天体を表しているといわれています。また、本殿の屋根などに施された社紋の九曜紋(星紋のひとつ)など、星にちなんだあれこれが、星好きな人の心をくすぐります。





 

 社殿を建てた草拙は、『長崎先民伝』(1819年刊)を息子の千里とともに著したことで知られています。この本は、近世前期に長崎の地に生き活躍した人物や長崎を訪れた学者や文人など、総勢147人について漢文体で記したものです。記述が長いものもあれば、短いものもあり、また名前のみあげられたものなどいろいろですが、多様なジャンルの人物のさまざまな逸話が記されていて当時を知る貴重な史料のひとつとして利用されています。ちなみに一昨年、この本にわかりやすい解説を加えた『長崎先民伝 注解 〜近世長崎の文苑と学芸〜』(若木太一・高橋昌彦・川平敏文 編/勉誠出版)が出ています。漢文が苦手な人も、注釈付きの書き下し文で内容を理解することができます。

 



 同著によれば、長崎に生まれ育った渡来人三世の草拙は、両親を早くに失い、祖母のもとで育てられたとのこと。体が弱く、病気がち。読書を好み、独学で博識を広げ、苦労のなか、若いうちに多くの弟子をとって生計をたてたそうです。その後、長崎聖堂の学頭も勤めており、天文学者としては江戸へも参上して褒美をもらうなどしています。

 

 仕事柄、草拙は、幾度となく長崎の星空を見上げたに違いありません。この時期だったら、オリオン座も眺めたことでしょう。もちろん、江戸時代ですから、「オリオン座」ではなく、和名の「鼓星(つつみほし)」として見ていたかも。星々をつなぐと和楽器の鼓(つつみ)に似ていることから来た名称です。今夜も晴れたら、南の空に見える「鼓星」。江戸時代の人も同じ星を見上げたかもと思うと、不思議な感じがします。



 

 西山神社からの帰路、中島川ではイソシギを初めて見かけました。お腹の真っ白な毛がきれいで、つぶらな目がかわいい。イソシギは全国各地の水辺で見られる野鳥ですが、越冬のため、より暖かな九州へ渡ってきた可能性もあります。とはいえ、九州もまだまだ寒い日が続きます。みなさん、体調に気をつけてお過ごしくださいね。



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