第37回 長崎料理ここに始まる。(九)

一、はじめに



▲安南染付け皿(越中文庫)


 私がみろくや前社長の山下泰一郎氏に始めてお逢いしたのは平成三年頃であった。其の時、社長から「みろくや通信・味彩というのを社で出版しているが、『長崎の食の文化』を大いに宣伝したいので、何か標題を決め寄稿して下さい。」とのご依頼があった。


 私は早速、寄稿させて戴き、平成四年十一月発刊の「味彩七号」に「長崎開港物語・長崎料理ここに始まる」の標題で西洋料理編(一)を掲載していただいた。以来、今回で三十七編となる。


 私はここで少し方向を変えて、今回より私が昭和二十四年より長崎県下を各種文化財調査のため歩き回った中より「食の文化」に付いて、之も西日本新聞社長崎支局長のご要望も会って、昭和五十五年四月十一日より同年十一月十九日まで四十二回にわたって「長崎味覚歳時記」を掲載させて戴いた。中より思い出の深い地方色豊かな食文化を取り上げてみたいと考えている。


 長崎味覚歳時記の第一号は「雑煮あれこれ」を取り上げ、長崎雑煮に始まり、対馬、島原、五島等と各地の雑煮話を記し、次は壱岐の雲丹めし、五島のキビのズーシ、小値賀のイカの黒みあえ、と続いている。今回は、私の初期の食文化の旅より「対馬の雉子ソバ」の話題を提供させて戴くことにした。



二、対馬の雉子ソバ


 私は在学中、学徒動員令によって初年兵として大村四十六連帯に入隊したのは昭和十八年十二月一日の寒い朝であった。確か岡本少尉殿の第二小隊の兵舎だった。

 当時は全てが不安で、気が落ち着かぬ少年兵であった事を今も覚えている。この時、班長殿が「心配するな」と声をかけて下さったのが中島上等兵殿だった。


 上等兵殿は対馬出身で私にはよく声をかけて下さった。おかげで私は無事初年兵三ヶ月の訓練期間を終え鹿児島の積部隊に配属された。

この別れの時、中島上等兵殿が、私に「キジそば」の話をして下さった。「お前もし対馬に行く事があったら、おれの所にこいよ・・・」と言われた。中島上等兵殿は対馬ヌカダケの御出身と聞いていた。


 戦後、私は老人大学講師として県内各地を巡回し対馬豊玉町の会場に行った時、その最前列に中島上等兵がおられるではないか。


 中島さんは私の名前を覚えていて下さって、わざわざ遠くから来て下さったそうである。私は嬉しかった。私は中島さんのお宅にお伺いした。

 「キジそば、覚えているね」と言われる。「今はね、禁猟期でキジ撃ちに行かれんが、家にキジを飼っているから食べてゆきなさい」と言われる。庭に出たら、其のキジが中島さんの足音を聞くと餌が貰えると思って寄ってきて、くっくっと鳴いた。


 私は何故か、この時キジを食べる気持ちがなくなってしまった。結局、私はキジをいただかなかった。中島さんは笑っておられた。


 中島さんの家の前は入江になっていた。中島さんは若いときから酒を口にしない謹厳な人であった。鳥たちが寄ってくるはずである。その中島さんが私に酒を進められたのです。庭ではキジがしきりに鳴いていました。


 帰る時、中島さんが私に「カゴに入れてあげるから、君が今回食べなかったキジを土産に持っていかないか」と言われる。私は、其のキジを辞退した。何か中島さんとキジの別れが私には寂しかったのです。対馬のキジは対馬に残しておきたかったのです。



三、私が食べた対馬ソバとセン団子



▲江戸宴会図(料理通)(越中文庫)


 其の後、私は厳原で弘化年間(一八四四~)以来、対馬ソバ伝統の味を残しておられるお店を訪れ、其処でまた、対馬の小松勝助先生から対馬名物の「センダンゴ」のお話をお聞きした。


 セン団子とは、葛芋を薄く切って天日に乾かし、カンコロを造り、これを臼でついて粉にし、其の粉を桶に入れ水にさらし、それより良質のデンプンを取り、手で固め、日陰干したものがセン団子の原材料だそうである。


 その原材料の粉(せん)(デンプン)をぬるま湯でやわらかに練り、団子に仕上げる。其の団子を、ツガニをつぶした出し汁で食べるのが一番うまいそうですが、今では、其のツガニを取ってくるのが大変だそうである。


 又、セン団子は「よせ鉢」に入れると美味しいと言われる。よせ鉢と言うのは、対馬では新鮮な魚に野菜を入れて煮込んだ鍋物です、と言われた。


 又、セン団子に付いては、江戸時代になるとサツマイモが普及すると、葛芋よりサツマイモよりセン(デンプン)を取る事も多くなったし、其の昔は、彼岸花の球根を水にさらし、それよりセンをとっていた事もあったそうですよと、対馬の古老の人達に教えられた。


 現在でも厳原でいただく「対馬ソバ」は、長崎県下で一番おいしい「そば」ですよと、先日も、知人が私にそっと教えて下さった。


第37回 長崎料理ここに始まる。(九) おわり


※長崎開港物語は、越中哲也氏よりみろくや通信販売カタログ『味彩』に寄稿されたものです。

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