第535号【黄金色に染まる晩秋】

 北国では早くも積雪。西日本の各地からは初雪のニュースが次々に聞かれるようになりました。長崎の初雪は平年だと12月中旬。しかし、このところの急な冷え込みからすると、今年の初雪はもっと早くなりそう…。晩秋がかけ足で過ぎて行こうとしています。眼鏡橋の上流にある光永寺(長崎市桶屋町)へ足を運ぶと、境内の真ん中にあるイチョウの木がきれいに色づいていました。茶色の山門からのぞく黄金色のイチョウの葉。その美しさに、お寺の前を通りがかる人たちもつい足を止めます。





 

 光永寺は、福沢諭吉ゆかりのお寺です。福沢は19歳のとき蘭学を学ぶため長崎へ来ていますが、最初にこのお寺を頼って来ており、一時居候。福沢が自らの人生を語った「福翁自伝」にもそのときのことが記されています。山門前には、「福沢先生留学趾」と記された碑がありました。



 

 光永寺のそばにかかる古町橋のたもとに目をやると、「松壽軒(しょうじゅけん)跡」と記された碑が建っています。松壽軒は、虚無僧寺。時代劇などで、顔を隠すように笠を深くかぶり、尺八を吹いて歩く僧侶の姿を見たことがあると思いますが、それは、虚無僧と呼ばれる人たちで、江戸時代の普化宗の僧侶です。彼らは、尺八を吹いて全国を行脚修行していました。ちなみに長崎は、幕末に関西を中心に活躍した尺八奏者・近藤宗悦の出身地であり、宗悦は松壽軒と関わりがあったといわれています。



 

 長崎と尺八。出島がらみで語られがちな当時の長崎のまた違った一面が見えてきました。虚無僧らが尺八を吹きながら往来したであろう古町橋を渡り、寺町通りの一角にある大音寺(長崎市鍛冶屋町)へ。ここには、樹齢300年を超える大イチョウがあって市の天然記念物になっています。樹高は20メートルほど。すっかり黄金に色づいたイチョウの葉が枝ごと風に揺れる姿はどこか野性的。大音寺の後山でひときわ目立っていました。



 

 黄金といえば、先日、「特別展 新・桃山展 大航海時代の日本美術」を開催中の九州国立博物館へ行った際、豊臣秀吉が造らせたという「黄金の茶室(復元)」が出入り口付近に公開展示されていました。移動可能な組み立て式のコンパクトな茶室は壁や天井、柱、そして障子の腰にも金が張られ、茶道具もみな金色。畳の表は赤い毛織物で、障子紙の部分も赤。侘び寂びの対局にあるような秀吉の発想に驚かされました。



 

 この特別展では、信長・秀吉・家康の時代、ヨーロッパやアジア諸国の影響を受けた日本の美術品が多数展示され、長崎ゆかりの品々も少なくありませんでした。群雄割拠の戦国の世に、南蛮貿易港として開港した当時の長崎は異彩を放つ存在。しかし、よくよく歴史を見てみると、長崎を開港させた大村純忠には、周囲の豪族から領地を守りたいといった、戦国時代ならではの胸のうちがあったよう。歴史には見とれるほど光り輝く面がある一方で、あまり表沙汰にはならない影の部分も同じだけある。そんなことを思わせる秋の黄金色でありました。

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