第534号【現代と江戸時代をつなぐ出島表門橋】

 秋の行楽シーズンたけなわ。路面電車が走る長崎のまちでは、観光客の方々や修学旅行生が笑顔で行き交う姿が目立ちます。そんな賑わいから少し離れて、山里の風情が残る鳴滝へ足を運ぶと、木立ダリアが長い茎の先にうすむらさきの花をつけ、ススキとセイタカアワダチソウが競うように生い茂っていました。





 

 こんな秋らしい風景に出会うと思い出すのが、向井去来の「君が手もまじるなるべし花すすき」という句です。元禄2年(1689)一時帰郷した去来が長崎を離れる際、日見峠で詠んだもの。見送りに来た親戚の人はよほど別れがたかったのでしょう。長崎街道をいく旅人は、長崎市中にほど近い蛍茶屋で見送られるのが通常でしたが、そこからもう少し離れた山あいの峠まで付き添いました。

 

 いよいよお別れとなったとき、去来が振り返るたびに、すすきの合間から手を振り続ける親戚の姿があり、しだいに見えなくなっていく、そんな情景が浮かびます。句には長崎滞在中、皆によくしてもらったという去来の感謝の念も込められているのでしょう。時代は変わっても、二度と会えないかもしれない別れの心情はきっと同じ。ちょっとせつなくなります。

 

 日見峠の別れのシーンから、再び賑わう街中へ。この秋、長崎を代表する観光スポット、「出島」がいつも以上に注目を浴びています。というのも出島と対岸の江戸町をつなぐ出島表門橋が架けられ、平成291125日(土)から、江戸時代のように橋を渡って出島に入れるようになるのです。以前かかっていた石橋が取り払われてから約130年ぶりの架橋。洗練されたデザインで、ひとつ下流のたまえ橋から見ると、周囲になじんでしまってわかりづらいのですが、現代の橋の技術を駆使しながらも、さりげない表情がいいなあと思います。



 

 鎖国時代、唯一ヨーロッパに開かれた窓口だった出島。かつて出島と長崎市中を結んだ一本の橋は、さまざまな人や貿易品が行き交った歴史的ルートともいえます。現在、出島内ではヘトル部屋、料理部屋、乙名部屋、銅蔵など全部で16棟の建物が復元されており、出島表門橋の上にたたずめば、往時の様子がよりリアルに感じられるかもしれません。出島表門橋は、夜間にはライトアップされ、ひとつ上流にかかる出島橋(明治時代に架けられた日本最古の現役の鉄製道路橋)とともに、美しい夜景を楽しめるそうです。

 

 出島表門橋のたもとから後ろを振り返れば、そこは県庁裏門。そばには紅毛外科楢林流の始祖、楢林鎮山(ならばやしちんざん/16481711)宅跡の碑があります。オランダ通詞だった鎮山は、職務のかたわらオランダ商館医に付いて医学を学んだそうです。出島の目と鼻の先に自宅があったという点で、さまざまな人の出入りがあり、史料には残されていないこぼれ話がたくさんあるのだろうと想像されます。





 

 長崎県庁裏門も、長崎駅近くの新しい県庁舎がこの秋完成し、その後の移転が済めば撤去されることになるのでしょう。表玄関とくらべ地味な存在でしたが、この界隈を知る人にとっては、なじみのある風景。いまのうちに目に焼き付けておきたいと思いました。



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