第34回 長崎料理ここに始まる。(六)

砂糖考(其の三) 

一、砂糖文化史の研究



▲初期の洋食に使用された長崎ガラス各種(長崎純心大学博物館蔵)


 昨年の暮、東京八坂書房より各方面の食文化研究の中より砂糖に関する論考を集めて「砂糖の文化誌」が発刊された。(二〇〇八・十二)同誌の序文に「砂糖百科」の著者として有名な伊藤汎教授が次のように記しておられる。


 砂糖の歴史は時の為政者とのつながりも強く人類とともに歩き其の時々の人類の要求に応じ人類の要求を備してきた。


 また同誌の十三章には杉本先生の「世界のさとうきび」の論考がありその中に砂糖が世界史に登場した時期について次のように記してある。


 砂糖の資料は紀元前四世紀アレキサンダー大王のアラビヤ遠征に始まる。大王がインドに遠征の時の記録に「インドには噛むと甘い石がある」とある。結晶砂糖の製造は古代インドの北部グル国に始まるという。それは紀元前五〇〇年サンスクリット語に記してある。


 同書によると砂糖は医薬品と記してある。インドでは砂糖の事を「グラ」と言うが、其れはインド古代国の一つ「グル国」に由来する。また「砂糖きび」属をサッカラムと言うが之もサンスクリット語に由来している。砂糖きび栽培の起源は一万年前ニューギニヤ島、スラウエン島近くの地方に始まったという。次いで砂糖きびは広くつくられるようになり、赤道直下の地域を中心に拡がり、インド系の細茎種と中国系細茎種に分かれている。



二、我が国の砂糖史


 我が国の近世における砂糖文化史は前述のように一五四三年ポルトガル人の来航に始まっている。そして砂糖が調味料として我が国に広く活用されるようになったのは豊臣秀吉による朱印船貿易の開始にはじまっている。


 その朱印船貿易研究の先駆者としては平戸出身の菅沼貞風の遺稿「大日本商業史」(明治二十五年刊)がある。次いで大正五年発刊の長崎高商(現長崎大学)教授川島元次郎の「朱印船貿易史」があり、戦後、それ等各方面の研究資料を集大成され昭和三十三年発刊された岩生成一先生の「朱印船貿易史の研究」は有名である。


 我が国と中国大陸との交流は一二七四年元軍の博多来襲により変化してきた。一三六八年には元の没落。明の建国。その間隙をついて倭寇の一団が中国・朝鮮の沿岸を侵している。更に一三九二年には朝鮮高麗朝が亡び委氏朝鮮が建国されている。


 一四四三年(嘉吉三)対馬の領主宗貞は委氏朝鮮国王世宗と貿易協定を結んでいる。然し一四六七年(応仁元)応仁の乱以後、我が国戦乱の時期を迎えると倭寇集団の活躍は激しくなってきた。そして其の集団の主な根拠地となった処は唐津、伊萬里、平戸、五島方面であった。


 この倭寇の侵害に悩んでいた明国は嘉靖末年(一五四〇)大掃討を行い遷海会を発し対外自由貿易を禁止していたが、一五六七年明国隆慶年間穆宗は南洋渡航については貿易を許したが、日本渡航については堅く禁じていた。この事は当時、五峰王直の一族が倭寇に協力し南支那や呂宋(ルソン)方面より船を出し平戸に来航し松浦道可公と手を結び交易する事があったからである。


 其の後文禄年間(一五九二~)豊臣秀吉が異国渡航を許可する朱印状の発行があったと長崎の旧記には記してあるが、この事について岩生先生は次のように記しておられる。


 秀吉時代、海外渡航に対する朱印状下附については積極的に証する資料は見あたらないが、之と極めて類似の性質を有する朱印状が内外に対して下附されている。


 朱印船制度については何時創設されたか明確な資料はないそうであるが前田家文書の中に慶長七年九月十五日(一六〇二)七月五日付安南国(ベトナム)渡航朱印状があると記してある。



三、朱印船渡航地と積荷



▲外国に輸出された長崎コンプラ正油瓶(長崎純心大学博物館蔵)


 一六一五年(元和元)大阪夏の陣が終わると政変があり徳川氏の政治となり武家諸法度その他政令が配布されている。この時代になると朱印船は前述の遷海令の事があり中国領土には行けなかったが次の六地区を中心に渡航している。


 交跡、呂宋、シャム(タイ)カンボチヤ、安南(ベトナム)高砂(台湾)、そして此の地方より輸入せれた貿易品は生糸、織物、鹿皮、鯨皮、蘇木、黒漆が主であり、砂糖はマニラ、交跡、カンボチヤより少量の白砂糖・蜜・黒砂糖が運ばれている。


 この朱印船の制度が廃止されたのは徳川三代将軍家光の寛永十二年(一六三五)である。

 砂糖の積荷が急速にあらわれてくるのは寛永十八年(一六四一)以降長崎に入港してくる唐船からである。その事は当時、出島オランダ屋敷に平戸より移住させられたオランダ商館員の「オランダ商館日記」に多く記載してある。


 それによると一六四一年鄭芝竜(鄭成功の父)の船十二隻に砂糖が多く積まれていた。


鄭氏一番船積荷

 白砂糖一九、八〇〇斤。紗綾三反。

 ロホ皮二十枚・・・・・・

鄭氏二番船積荷

 白砂糖四、〇〇〇斤。

 黒砂糖一六、〇〇〇斤・・・・・・

鄭氏三番船積荷(広東より)

 白砂糖一一、五〇〇斤。黒砂糖一〇〇〇斤・・・・・・

鄭氏四番船積荷

 白砂糖一三、九二〇〇斤。黒砂糖一〇、〇〇〇斤。

 氷砂糖三、〇〇〇斤


この時代より急速に白砂糖の輸入が増加している事に注目したい。

 (以下次号) 


第34回 長崎料理ここに始まる。(六) おわり


※長崎開港物語は、越中哲也氏よりみろくや通信販売カタログ『味彩』に寄稿されたものです。

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