第33回 長崎料理ここに始まる。(五)

砂糖考(其の二) 

一、ヨーロッパと日本(一)



▲出島蘭人遊興図(長崎古今集覽名勝図絵)


 ポルトガル人が初めて種子ヶ島に上陸したのは一五四二年(又は四三年)天文十一年の事と記してある。当時、我が国は戦国動乱の末期で各地で戦乱が繰り広げられていた。


 九州方面では薩摩の島津氏、大分の大友氏、島原の有馬氏、佐賀の龍造寺氏、平戸の松浦氏、大村の大村氏、諫早の西郷氏、山口の大内氏等々が争っていた。


 当時、ヨーロッパの人達は、あまり日本の事について知識を持っていなかった。ヨーロッパ人の日本に対する知識はベネチヤ人、マルコ・ポーロによってラテン語で書かれたOricental Travel(東方旅行記)のみであった。


 それによると日本の国名はZipangu又はZipangri・Gyampaguと記してある。この日本の国名は同書によると中国人が日本の事をJih-pan-guoとよんでいたからであると記してある。そしてその中国語の意味はSan-sowrce Kingdamであるという。(R・ヒルドレスの著書より)


 マルコ・ポーロは我が国に来た事はなかったが、彼は元のフビライ帝の時代・一二七五年頃より十七年間中国に滞在していた。ちょうどこの時期は元軍が博多に攻めてきた「文永の役」(一二七四年)・「弘安の役」(一二八一年)の時期であった。マルコ・ポーロは此の時代の中国商人達が伝えた日本国の事情を次のように記している。


日本は中国海岸より一、五〇〇マイル離れた島国でかなり広い。住民の顔色は美しく、作法に整っており、宗教は偶像崇拝で他国に征服された事はない・・・日本は金銀財宝に豊かである。王宮の屋根は黄金で葺かれ、部屋の天井は貴金属で飾られ、室内には純金の机があり窓には金の飾りがある。・・・そして後段には元寇の事も記してある。



二、ヨーロッパと日本(二)



▲マカオ付近で1845年頃につくられた陶器


 次にヨーロッパに我が国の事が紹介されたのは一五一一年マライ半島マラッカをポルトガルが占領した以降の事である。

 当時の資料として私達は先ずポルトガル人F・Mピント(Fernam Mendey Pinto)の記録で一六一四年出版されたPeregrinations in the East(東洋旅行記)を読むことが出来る。


 ピントの話によると、彼はD・ZecimotoとC・Borellと共に中国の船に乗り種子ヶ島に到着、島王のNantaguim(時堯)と面接。三人のポルトガル人は寺に宿泊していた。そこでZainmotoは当時の日本にはなかった小銃で二十六羽の鴨を撃ち、競馬を見物中の島王時堯に献上している。


 この時、種子ヶ島で小銃を模倣して製作したとも記してある。そして間もなく豊後の殿(大友氏)の船が多くの商人を連れて種子ヶ島に着き、以来、日本国に小銃が広まったと記してある。其の後ピントは大友氏の城下町臼杵に行っている。


 一五四七年、再びピントはマラッカから種子ヶ島に向かい次いで大友氏の臼杵に到着している。然し、当時の大友氏は内乱が起こり貿易が出来なかったのでピントの船は鹿児島の山川に回漕している。そのピントが帰国しようとした時、鹿児島を脱出しようとしていた安次郎が「お助け下さい」とかけこんできた。ピントは大急ぎで彼を船に乗せマラッカに脱出させている。


 この時、ピントはマラッカでザビエルに初めて面接、安次郎も亦ザビエルの教えを聴き日本人として最初のキリシタンとなっている。


 一五四九年ザビエルは安次郎を案内人として鹿児島に上陸、その翌年は平戸に行き、我が国でキリシタンの布教を開始している。

  以来、西欧の文化が我が国に伝えられ、我が国の言葉の中にポルトガル語が多く取り入れられる事になってきた。一六〇〇年頃には我が国の言葉の中にポルトガル語が多く残っている。それは四千語はあったと言う。その中で今日もなお使用されている言葉の中では食物と衣類関係が多いと記してある。食物の中では砂糖関係のものが一番多いそうである。その中より一例をあげると


アメンドウ(Amendoo) 扁桃の実(味)。

アルヘイトウ(Alfeloo) 有平糖、砂糖菓子。

ビスケット(Biscoito) 菓子。

丸ボロ(Bolo) 丸い菓子。丸ボーロ。花ボーロとよばれている。

カラメル(Caramello) キャラメル。

カステラ(Castela) 本来カステラ国の名でカステラ国で造られた菓子の意。

カステラ巻(カスマキ)にも変化している。

カスドウス(Castela doce) doceは甘いという意味。甘いカステラ菓子。

 現在平戸地方の銘菓。

コンペイトー(Confeitos) 金平糖。明治以前は長崎名物の一つだった。

ザボン漬(Jumboa) ザボンの砂糖漬。当時はザボンのみでなく、多くの砂糖漬があった。

マルメロ(Marmelo) 砂糖菓子の一種。

カセイタ(Caixeta) 小さな菓子の意。現在熊本名物の一つ。

鶏卵ソーメン(Fias re Ovos) 卵菓子の意。

現在博多名産であるが、昔は長崎で「たまごソーメン」として売られていた。

チンタ酒(Tinta vinho) 葡萄酒。


(以下次号)


第33回 長崎料理ここに始まる。(五) おわり


※長崎開港物語は、越中哲也氏よりみろくや通信販売カタログ『味彩』に寄稿されたものです。

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