第522号【長崎の庭から】

 鮮やかな赤い実に、甘い果汁がぎゅっとつまったサクランボ。産地として知られる山形県では、収穫の時期は6月に入ってからでしょうか。ひと足はやく初夏を迎えた長崎の家々では、ゴールンデンウィーク中に庭木として植えられたサクランボが摘み頃を迎えました。天候にめぐまれたのか、いつもより実がたくさんなっているように見えます。サクランボの季節が終わったら、梅雨前にウメやビワが収穫の時期を迎えます。いずれも、すでに青い実がたわわ。どうやら、今年の長崎の庭の果実は表年(豊作年)のようです。





 

 「庭」といえば、ゴールデンウィークに、新緑を満喫できる庭園などへお出かけになられた方も多いのではないでしょうか。長崎駅から車で約7分。長崎市中心部にある「心田庵」(市指定史跡)も、そうしたスポットのひとつです。バス通りをそれた住宅街の一角にあり、かやぶき屋根の家屋と新緑におおわれた日本庭園を楽しむことができます。



 

 心田庵の庭園には、ヤマモミジやツツジなど樹木約300本が植えられています。新緑(4月下旬〜5月初旬)と紅葉の季節(11月中旬〜12月中旬)の年に2回一般公開されていて、昨年の紅葉の季節にも、このブログでご紹介しました。

 

 心田庵は、何 兆晋(が ちょうしん)という江戸期の唐小通事(とうこつうじ)が建てた別荘です。家屋には茶室が設けられています。庭園に面した和室のテーブルには、新緑にかがやくカエデが、逆さに映り込んでとてもきれい。しっとりとした風情の晩秋とはまた違った趣で、訪れる人々を魅了していました。



 

 兆晋の父・高材(こうざい)は、もともと中国の商人で寛永の頃、長崎に移り住み商売をした人物です。お寺や石橋建設の際に寄進をして長崎のまちづくりに大いに貢献しました。裕福な家に生まれ育った兆晋は、風流を楽しむ心やさしき人物だったと伝えられ、心田庵の名称も、人は地位や名誉・財産などより、心の田畑を耕すことが大切だという意味から付けられたとか。また、心田庵は、長崎の茶道文化にも影響を与えたといわれていて、庭園の景色を楽しみながら、茶をたて、友と語らったのだということが想像できます。士農工商の時代にありながら、兆晋は身分を超えた人との交流をもったようで、そのことがうかがえる史料も残されています。

 

 心田庵で新緑を堪能した帰り道、ひとさまの庭先からバニラのような香りが漂ってきました。オガタマノキの花の香りです。花期も、後半に入っているよう。そばの石垣では、アオスジアゲハの姿を確認。名前のとおり羽に青緑色の線が入ったこの蝶は、毎年5月頃から見かけるようになります。





 

 日に日に様子が変わっていく植物や昆虫。そんな小さきものが棲む家々の庭は、地球サイズでめぐる季節を何気に映し出し、日々にうるおいを与えてくれるのでした。

検索