第518号【往時がよみがえる出島の表門橋】
「あれ?出島って扇型の島じゃなかったの?」出島を初めて訪れた人から、ときおり聞かれる言葉です。ええ、たしかに鎖国時代は、小さな橋一本で対岸とつながった扇型の小さな人工島でした。現在の出島は、中島川に面した北側(扇型の内側の弧)以外の三方が明治以降に埋め立てられ、「島」の姿は見ることはできません。
出島の正式名称は「出島和蘭商館跡」(でじまおらんだしょうかんあと)。大正11年にシーボルト宅跡(長崎市鳴滝)や高島秋帆旧宅(長崎市東小島町)とともに国指定史跡になりました。「江戸時代、西洋に開かれた唯一の窓口」だった出島の歴史的な意義ははかりしれず、その特異な存在感で、いまも国内外からの観光客が絶えることはありません。
そんな出島に先月末、約130年ぶりに橋がかかりました。シンプル&モダンな美しい橋です。名称は「出島表門橋」。文字通り、出島の表門に通じる橋で、全長38.5メートル、幅4.4メートル。女性の足だと100歩くらいで渡れる長さでしょうか。実は昔、ほぼ同じ位置に架かっていた橋は、全長5メートルに満たない石橋だったとか。中島川の変流工事にともない撤去され、出島の北側も大きく削られたために川幅が大きく変わりました。また、出島が国の史跡ということで工事にもしばりがあり、そのため復元ではなく新たな橋のデザインになったそうです。
新しく架けられた「表門橋」。江戸時代にそこにあった橋は、「出島橋」と呼ばれていました。ちなみに、現在、同じ名称の橋がすぐそばの出島東側に架かっています。鉄製の道路橋で、1890年(明治23)の架設当初は、現在地よりも下流の河口近くに「新川口橋」の名称で設けられました。20年後、すでに撤去された旧出島橋に代わるものとして、1910年(明治43)に現在の場所に移設され、名称も「出島橋」となったようです。
「出島橋」は、現役の鉄製道路橋としては日本最古のものになるとか。鉄は当時アメリカから輸入したもの。水色に塗られた細い鉄骨を組み合わせた姿は、とてもシンプルで丈夫そうな印象です。明治の人たちのセンスの良さや意気込みが感じられます。「表門橋」と並んだことで、上流の石橋群とはまた違った橋の名所として、さらに注目されるようになるかもしれません。
さて、大きなクレーンで「表門橋」が架けられたとき、工事を見守った大勢の市民から拍手がわいたとか。江戸時代、長崎奉行の管理下にあった出島は、オランダ通詞や料理人など限られた日本人しか出入りできませんでした。長い時を経て架けなおされた橋は、誰でも渡ることができます。開通は周辺の整備を終えてからで、今年11月24日を予定しているそうです。「島」の出島にはもどれなくても、この「橋」を渡ることで、当時の感覚や人々の気持ちに近付けるような気がして、期待感が高まります。
余談ですが、出島近くの道路(NIB前付近)では、江戸時代の出島の絵図をモチーフにしたマンホールの蓋を複数見かけます。その絵図は、出島の商館医として1690年から1692年に来日したケンペルが著した「日本誌」に記載されたもの。対岸とつながる橋も略図ながらちゃんと描かれています。探してみませんか。