第26回 平戸にみる西洋料理(其の二)


▲安南手色絵皿


前号で解説したように平戸のポルトガル船への開港は1550年であり、長崎の開港は1571年であるので、当然・長崎県下で最初のヨーロッパ風食事が開始されたのは平戸の町である。


 今回は前回に引続き、1613年6月11日平戸港に到着。平戸藩主松浦隆信(1603~1637)に面会。8月6日にはイギリス国王の書簡をたずさえて駿府に家康を、更に江戸まで足を伸ばして将軍家光に面会したジョン・セーリス「日本渡航記」(新異国羨書)を中心に西洋料理関係の話を進めてきた。



一、セーリス(J.Saris)の平戸出発


 1613年8月、平戸公はセーリスのために大阪まで船を用意している。その船は片側に25本にカイがあり、乗り組みの船員は60人であった。


 使節の一行はセーリス以下、イギリス人10名、通詞の日本人1名、W・アダムスとその家来(日本人)2名、警護の武士1名とその家来3名、槍持ち1名であった。


 8月6日、出帆のとき祝砲13発をもって送られた。平戸より2日間漕ぎ続け博多の港につき上陸している。博多の町では人々が騒ぎたて自分達の後ろよりついてきた。日記には「之にかまわず行きました」と記してある


 下関を過ぎ、8月27日大阪に着いている。途中何も異状もなかったと記してあり。船中の給与については、ビールとビスケット。1食は豚肉・1食は米と油と記してある。

 次に当時の日本人の食に関する記事が収録してある。




▲中国色絵壷


 日本人は全般に米を食べ、白い米が最高である。我等のパンの代わりである。次に塩漬けの魚、酢漬けの菜類。豆類。


 塩漬けまたは酢漬けの大根と其の他の根。野禽・家鴨・真鴨・鵞鳥・雉・しぎ・うずら・其の他多くの種類がある。彼等は其れ等に粉をかけて塩漬けにする。(粉は糠(ぬか)のことである)


 鶏は多い。鹿も同様であり赤いのと淡黄色の両方ある。野猪・野兎・山羊・牝牛などもある。チーズはあるがバターはない。牛乳は飲まない。


 註:チーズは豆腐を間違えたのだろう。


 9月8日、セーリスは駿河につき家康に国王の書と使節よりの贈物を呈している、その贈物は、立派な繻子の布団・絹の穀物・飾帯・毛織布2布・ソユトラ産蘆荅・オランダ製手布3枚。



二、江戸におけるセーリス一行


 9月14日、一行は江戸に着いた。9月17日、将軍家光に面接。


 9月21日、浦賀港の調査のため出発・浦賀より再び駿河に向かう。9月29日・駿河にはスペイン使節一行も来ていた。スペインの使節は「甘いぶどう酒5壷」と「緞子」を献上している。


 10月16日、一行は京都出発、21日正后ごろ大阪に着いた。10月24日、大阪まで私達を送ってくれた平戸藩の船が大阪で持っていたので早速その船に乗り込んだ。


 11月6日、朝10時頃・平戸に着いた。平戸では早速私達の船(イギリスのボート)に乗り上陸しイギリス商館に向かうとき祝砲5発があげられた。



三、セーリス江戸参府・留守中の江戸


 (平戸イギリス商館員リチャード・コックス日記より)


 9月13日、平戸の老法印が病気と聞いたので、私は通訳ミグエルに「あまいぶどう酒の大瓶1個と砂糖漬け及び砂糖パン2箱を見舞として贈った。」

 平戸ではこの当時、一般には、まだ「甘いパン」は造られることがなかったので、珍しいものとして「甘いパン」がイギリス商館内では作られていたことが知られる。


 10月10日、7日以来長崎奉行が平戸に来た。この夜、長崎の役員の子息2人が来た。平戸公はこの時、イギリス商館に来られたので皆と一緒に宴席をもった。平戸公は此の時、「葱と蕪菁とを入れて煮たイギリス牛肉と豚肉を食べたいので明日もってきてくれ」との事であった。


 10月11日平戸公に早速、注文の牛肉・豚肉それにぶどう酒1本と白パン6個を持たせた。公より孫の若殿、弟の松浦信実、親類の松浦主馬を招き一緒に之を賞味されたとの報告があった。




▲オランダ人形(陶器)


 10月13日、平戸公より使いが来てぶどう酒1本を持ってオランダ商館に来るようにとの事であった。


そこには大変結構な中食が用意されていた。肉は日本風とオランダ風の両方で美味しく調味されていた。松浦公は彼の長男、若き兄弟と一つのテーブルにつかれ、他のテーブルには公の弟(信実)、それに私と松浦家の家老が席についた。オランダ・カピタン自身は席につかないでテーブルの肉を切って接待した。


 10月30日、平戸公の家来より明日、城内で能(のう)があるので、食料品を献上するようにとの連絡あり、スペイン産のぶどう酒2本・焼鶏・焼豚肉・軽パン及び料理の材料3箱をとどけた。


 以上のように平戸公は様式料理を非常に好まれたことが良く理解されるし、平戸には西洋料理を調理できた日本人の料理人がいたことも知られている。


第26回 平戸にみる西洋料理(其の二) おわり


※長崎開港物語は、越中哲也氏よりみろくや通信販売カタログ『味彩』に寄稿されたものです。

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