第23回 パン物語(二)
一、 オランダ商館・長崎出島に移転のこと
長崎の港内・長崎奉行所下(当時の奉行所は現在の長崎県庁本館の地にあった)の海岸を埋め出島の地が完成したのは寛永13年5月(1636)で、その面積は3,969坪(約13ヘクタール)であった。
この出島が築造された目的は、「ひとつは幕府における海外貿易の統制」と他のひとつは「キリシタン禁教のため」であった。その故に1571年(元亀2)長崎開港以来、長崎の町に自由に住み、日本婦人と家庭と持つことも許されていたポルトガルの人達を全て出島の中に収容し、許可なく自由に長崎の町に出ることを禁じている。
そして、唐船に対しても我が国に貿易のため入港を許す港は長崎一港に限り、今までのように平戸、その他に港に来航することも禁じている。
寛永16年7月(1639)幕府は更にポルトガル人(船)の長崎入港を禁じ、ポルトガル人を追放し、我が国に入港を許す船は唐船(ベトナム・タイ・カンボチヤの船を含む)とオランダ船のみと命じた。
▲オランダ色絵皿
そして、この時、幕府は更に前年(1614)実施した我が国のキリスト教徒148名をマカオ・マニラに追放した事に続いて、イギリス・オランダ人の混血児とその関係者11名をジャカルタに追放している。
この中の一人に長崎筑後町生まれのジャガタラお春がいた。
翌1640年9月(寛永17)大目付井上筑後守は平戸オランダ商館に行き商館長マキシミリアン・メールに、ポルトガル人に立ち退かせたあと空家となっていた長崎出島の地に移るように命じた。
これに対してオランダ人は幕命であり否応は言えなかった。
二、オランダ人・出島に移転す
1641年6月25日(寛永18・5・17)のオランダ商館の日記には次のように記してある。
(村上直二郎先生訳・岩波書店刊)
日の出の頃、船が長崎についたので直ちに予は(M・メール)オランダ人及び(船に乗船してきた)日本人の通詞他の人々に室をきめ、日本人家主(25人の長崎町人)に必要な修理を頼んだ。午后、主なオランダ人と奉行所に挨拶に行き今まで平戸で使用していた日本人の使用許可を願った。
食事のことについてはあまり記載されていないが、それは前回述べたように当時の長崎の町には既にポルトガル人が1571年以来、自由に町中に住み・牛肉やパンなどをとる食生活があったので即座に不自由はなかったからである。
8月1日(寛永18・6・25)次の申し渡しがあった。それは食用に関するものであった。
オランダ船が持参した牛肉、塩豚肉、アラク酒、イスパニヤ・フランスの葡萄酒、オリーブ酒、その他キリシタンが通常使用するものを日本人、中国人又は外国人に賣渡し、交換または贈与してはならぬ。
8月9日(寛永18・7・3)幕府はオランダ人に日本人に対してキリスト教布教の厳禁を命じている。その一節には次のように記してある。
日本人の面前でキリスト教の儀式を行ってはならぬ。日曜や聖日を祝い休んではならぬ。聖書・聖歌集を日本人に見せてはならぬ。
1641年8月19日(寛永18・7)出島門前に次の制札が建てられたと記している。
1、 日本人はオランダ人と共謀し金・銃器・その他禁制品の輸出を禁ず。
1、 オランダ人は許可なく出島外に出てはならない。
1、 遊女以外の女、僧、乞食は出島に入ることを禁ず。
1、 日本人の船は出島の周囲に建ててある杭の中に入ることを禁ず。
1641年10月24日(寛永18・9・20)長崎奉行所に幕府より派遣されて来た大目付井上筑後守は島原藩主高力摂津守ならびに馬場・拓殖両長崎奉行と共に午后出島オランダ商館を訪ねてきた。商館長は葡萄酒及び料理で出来るだけ飲待したが「彼等は料理に出した葡萄酒・アラク酒・牛酪・酪酪の事について種々質問した」
以上の他・次のことがあった。
▲赤絵オランダ船絵付コーヒーカップ
1、 オランダ人は日本滞在中は陸上でも船上でもラッパを吹かぬこと。(1641・8・11)
2、 オランダ人は今後日本人を使用することを禁ずる。(1864・8・11)
これによって商館内に平戸以来雇用してきた日本人使用人21人の内13人を解雇し、奉行所より派遣使用人として通詞2人、青記1人、料理人2人、部屋召使3人の計8人を申請した(1846・8・13)
この2人の出島料理人は寛文4年(1664)より奉行所派遣の定役となり、人員も3人となり「阿蘭陀台所へ毎日相詰め」「出島くずねり」とよばれ、1ヶ月に1人前45匁づつ遣申候」といっている。
然し長崎出島オランダ屋敷内の台所でパンが焼かれることはなかった。出島内で食用されていたパンは後述するが長崎の町なかで作られ出島に運ばれていた。
尚、当時オランダ船をはじめポルトガル・イギリス船も航海中はパンを食用とせず全てビスケットを食用していた。此の事については、伊東秀雄先生の「イギリス東インド会社船・クローヴ号船員の食生活」(長崎談叢87輯・平成10・5刊)を参考にお読み下さるとよい。(以下次号)
第23回 パン物語(二) おわり
※長崎開港物語は、越中哲也氏よりみろくや通信販売カタログ『味彩』に寄稿されたものです。