第509号【秋めく長崎でシーボルトを想う】

 鳥取地震の被害に合われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。1日も早く余震が収束し、平穏な生活をとりもどすことができますようお祈りいたします。

 

 10月も中旬を過ぎてから、ようやく本格的に開花した長崎のキンモクセイ。町中に香りを漂わせたちょうどその頃、関東から来た人に、「東京のキンモクセイは、すでに時期は過ぎましたよ」と言われました。長崎では、9月下旬から一部咲きはじめたのですが、その後、夏日が続いたことで開花が先延ばしになったものが多かったようです。いまは秋雨が橙色の小さな花をおとし、甘い香りを消しているところ。日に日に秋が深まっています。



 

 めくるめく季節のなかで四季折々にさまざまな植物の姿を楽しめる日本。その多彩で豊かな自然に魅せられたのが、江戸時代に日本を訪れたシーボルトでした。



 

 ドイツ生まれの医師で、博物学者であったシーボルト(1796-1866)。1823年(文政627才のときにオランダ商館医として来日。翌年には鳴滝塾を開き、門人として集まった全国各地の俊英たちに近代的な西洋医学を伝えました。一方で、日本の自然や地理、人々の生活の様子などに関するさまざまな資料を、門人などを通して収集。江戸参府に同行した際には、日本を知る絶好の機会とばかりに、旅の途中で動植物の採取をし、各地の植木屋などにも立ち寄るなどして、さまざまな観察調査を行ったと伝えられています。



 

 シーボルトが集めた資料は、のちの「シーボルト事件」で一部没収されたものの、監視の目を逃れた多くの資料がヨーロッパに持ち帰られました。シーボルトは、その資料をもとに日本研究に没頭。そして著した『日本』や『日本植物誌』などは、江戸時代の日本を知る貴重な史料としていまも活用されています。



 

 ところで、今年はシーボルト没後150年の節目にあたり、今年から来年にかけてシーボルト関係の催しが各所で行われているようです。長崎では、この秋、「国際シーボルトコレクション会議」が開催され、国内外のシーボルト研究者が集いました。またこの夏、国立歴史民俗博物館で開催した「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」という企画展が、来年には長崎歴史文化博物館でも開催(2017218日〜42日まで)される予定。いままであまり紹介されてこなかった展示物もあるとのこと。長崎での開催が楽しみです。

 

 シーボルトゆかりの地である長崎は、これまで生誕や没後の節目の年に記念行事などが行われてきました。鳴滝塾跡にある「シーボルト記念館」(長崎市鳴滝)の庭園入り口には、1897年(明治30)にシーボルト生誕100年を記念して建てられた石碑が残されています。当時の長崎県知事の発議によって建立されたもので、使用した石は、塾舎の礎石だったとも伝えられています。



 

 生誕200年にあたる1996年(平成8)には、日本とドイツ両国で記念郵便切手が発行されました。ちなみに7年後の2023年は、シーボルトが初めて出島に降り立った日からちょうど200年目にあたります。このときは、どんな記念行事が行われるでしょうか。



 

 シーボルトの多岐にわたる日本研究や、それを支えた鳴滝塾の門人らのことなどについて、知れば知るほどその全体像は広範で複雑になり、人物像も功績もどこかつかみどころがなくなってきます。節目節目の記念行事は、時間によってひもとかれたシーボルトのあらたな一面を知るいい機会になっているようです。

 

 

◎参考にした本/『ケンペルとシーボルト』(松井洋子 著/山川出版社)、『長崎市史 地誌編』

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