第508号【時を超え天空を翔ける青龍】

 7世紀末から8世紀初め頃に造られたとされるキトラ古墳(奈良県明日香村)。近年、その石室内に天文図や四神像、そして十二支像の美しい絵が確認され、大きな注目を浴びました。はるか昔のものとは思えないほどの繊細で色鮮やかなその絵に驚かされた方も多いのではないでしょうか。

 

 大陸文化の影響を受けたキトラ古墳。中国にゆかりの深い建造物や行事がまちを彩る長崎で暮らしていると、キトラ古墳にも描かれている四神像については、折に触れ、見聞きする機会があります。四神像とは、四つの方位を守る神のこと。東の青龍、西の百虎、南の朱雀、北の玄武。いずれも人間のイマジネーションから生まれたいわゆる霊獣(れいじゅう)です。長崎新地中華街の東西南北に設けられた中華門にも、これらの霊獣が描かれています。





 

 四神像のなかでも「青龍」は、長崎ではなじみ深い存在です。毎年10789日に開催される諏訪神社の伝統の大祭「長崎くんち」の演し物のひとつである龍踊(じゃおどり)を通じて、その姿や舞いはよく知られています。長崎の「龍踊」は、江戸時代に唐人屋敷に居住した中国人から伝えられたといわれています。今年の「長崎くんち」では、筑後町が龍踊を奉納。2体の「青龍」と1体の「白龍」が大迫力の舞いを見せてくれました。

 





 さて、キトラ古墳の「青龍」と、龍踊の「青龍」。物ごとは長い時の流れのなかで、しだいに姿かたちが変化していくものですが、キトラ古墳に描かれた「青龍」は、足の長さなど多少の違いはあるものの、馬やラクダに似た長い頭、雄鹿のような角、蛇のような長い胴体と舌、鷲のようなするどい爪など、複数の動物をあわせたような姿をして、いまの私たちが知る「青龍」とほとんど変わっていません。

 

 悠久の時を軽々と超えてくる「青龍」。神話や伝説として語られるこのような幻獣は、古今東西に存在するようです。よく知られるのが西洋の「ドラゴン」です。物の本によると、「龍」や「ドラゴン」は、畏敬、脅威、恐怖など、人間の内面を象徴するものが形になったともいわれているそうです。興味深いのは、中国神話では「青龍」は神々しいものとして語られ、皇室の象徴とされたりしましたが、西洋の「ドラゴン」は、人々に恐怖をもたらすというパターンの物語が多いそうです。いずれにしても、時代を超え、国を超え、こんなにも長く人間とともにあるのは、この幻獣に普遍的な何かがあるからなのでしょう。



 

 晴天に恵まれた「長崎くんち」の最終日、東の天空を仰ぎ見れば、雲の形にドッキリ。数体の「青龍」が、シャギリの音色と歓声が響くまちを見下ろしながら、気持ち良さげに蛇行しているようでありました。

 



◎参考にした本/『ドラゴン』(久保田悠羅とF.E.A.R.著/新紀元社)、『幻獣辞典』(ホルヘ・ルイス・ボルヘス著/晶文社)

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